第22話 影、迫る⑧
正直言って、アーシャはすこし不安だった。
バーンズの料理を食べるのは初めてのことだ。まあ、キッチリ量を計っているのだからおかしな味にはならないと思うが、それでも漠然とした不安を拭えずにいたのである。
しかし、それは全くの杞憂に終わったと言っていい。
「とても美味しかったです」
用意された料理は、パスタにピザ、スープにサラダなど多岐に亘った。だが、そのいずれもがプロ並みの味であったのだ。自分が作る物より美味しいと思ったのは、悔しいので秘密である。
「お口に合えばなによりだ」
ニヤリと笑ったバーンズは、ワインを一口飲んだ。ちなみにこれは、ジョンがマーカスの店からせしめた戦利品である。
「相変わらずだな。以前とまったく味が変わらない。正直ちょっと怖いよ」
口元を拭きつつ、ジョンが呆れたように言った。
「でも久しぶりに食べられてよかった。昔は毎日食べてたから飽きたもんだけど」
毎日作らせていた当の本人が、よくそんなことを言えたものだ。呆れるアーシャだが、バーンズもこの手の言葉には慣れているので軽く受け流していた。
「さて、楽しい食事も終わったことだし、そろそろ本題に入るころかな。明日からの捜査方針はどうするの? それを話しに来たんだろ? 考えはあるの?」
「そりゃこっちのセリフだ」
バーンズは苦虫を噛み潰したような声で言った。
「まさか忘れたわけじゃないだろうな? お前は保釈中の身なんだ。裁判は続いているし、容疑が晴れたわけでもない。考えはあるのか?」
現状、捜査は行き詰まっている。犯人の影すら掴めていない状況だが、しかしその影は明らかにジョンたちへ迫っているのだ。
「『ネモ』事件の一人目と二人目の被害者遺族が死んだわけだから、三人目の被害者遺族と話がしたいな」
「今度は三番目の遺族が狙われると?」
アーシャが訊くと、ジョンは「可能性はあるだろ」と言って肩をすくめた。
「確かにな。だが、お前とは話がしたくないって言うかも」
「どうして?」
「お前は『ネモ』事件の容疑者だ。自分の身内を殺した奴と話がしたい奴はいないだろ」
「ほら、それだよ。僕らには共通の話題があるから大丈夫」
あまりに楽観的……というよりふざけているように聞こえるジョンの言葉に、アーシャとバーンズはため息をつくしかない。
と、その時である。
部屋のチャイムが鳴った。それとほぼ同時に、けたたましくドアをノックする音が聞こえる。
「ジョン! ジョン・ドゥ! 警察署の者だ! ドアを開けろ!」
言うや否や、ドアが蹴り開けられる音がリビングまで轟いてきた。ずかずかと靴音が聞こえてきたかと思うと、乱暴にリビングのドアが開け放たれる。
「ジョン・ドゥ!」
目を向けると、そこには二人組の男、制服警官がいる。彼らはジョンたちの元まで来ると、バッチを見せて言った。
「警察署の者だ。一緒に来てもらおう」
と、有無を言わさず連れて行こうとしたのでバーンズが割って入った。
「おい、待ってくれ。いきなりなんだ。理由は? 容疑は?」
「なんだ、知らないのか? 『PBI』は随分のんびりしてるんだな」
相変わらず攻撃的だ。『PBI』と警察の不和の歴史は有名だ。無理もないかもしれないが。
まったく、ケンカ腰でしか会話ができないのか?
そう思ったバーンズだが口に出すわけにはいかない。しかし、この場にはそれを口に出しかねない人間がいる。悪い予感を抱くバーンズ。そしてこういう時に限って予感は当たるのだ。
「僕ら『PBI』の常識では、ドアのノックは返事を聞いてから手で開けることになってるんだけどな。君たちは随分せかせかしてるんだね」
制服警官はギロリとジョンを睨んだものの、彼の相棒はユーモアを持っていたらしく、
「素早く動かないと悪人に逃げられるだろ?」
「なるほどね。でもここに君たちの求める悪人はいないよ」
「それは俺たちが判断する。さあ、一緒に来るんだ」
「待てと言ってるだろ。なぜジョンを連行する?」
バーンズが重ねて訊ねると、警官はフンと鼻を鳴らし、
「殺人事件が起きた。現場の状況や遺体の状態は『ネモ』事件と一致している。容疑者を連行するのは当りまえだろう」
「なんだって?」
『ネモ』事件が起きた? なぜそんな重要な情報が『PBI』に入っていない?
疑問に思ったのは一瞬だった。
今朝のリヒターの襲撃。捜査官たちがその事後処理や犯人逮捕に忙殺されているとしたら。情報が遅れているのも頷ける。
(くそっ。とんだ誤算だ)
バーンズは苦い思いで舌打ちを飲み込んだ。
「被害者の身元は? もうわれてるのか?」
「ここで俺たちで教えなくても、いずれ分かることだ。じゃあな」
ジョンの腕を掴む警官。だがそれは本人の手によって乱暴に振り払われた。
「じゃあ、こうしよう。君たちはポーカーフェイスが下手そうだ。僕の考えが当たってるかどうか、君たちが表情で示す。面白そうだろ?」
警官たちはなにも答えなかった。というより、答えるより早く、ジョンが二の句を継ぐ。
「被害者は、『ネモ』事件三人目の被害者遺族。そうだろ?」
相変わらず答えは返ってこないが、ジョンはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「当たりか。やっぱりね」
「そんなことはどうでもいい。とにかく来い」
「ねぇ、気やすく僕に触らないでくれるかな?」
再び掴まれた腕を、ジョンは乱暴に振りほどいた。
「ジョンさん……」
アーシャを見たジョンは、ニッと笑ってみせた。
「大丈夫。子供じゃないんだ。一人で問題ないよ」
後で連絡する。
そう言葉を残して、ジョンは二人の警官について行く。
「君たちが破壊したドアに関しては、警察署に請求させてもらう」
そんな軽口をたたきながら。
その姿が完全に見えなくなってから、アーシャが口を開く。
「本当に大丈夫でしょうか?」
「楽観はできないだろうな。だが、心配したところで事態は好転しない。俺たちはやれることをやるだけだ」
その言葉の意味が分からないほど、アーシャはバカではない。
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