THE PSYCHIC

タイロク

第1話 プロローグ

 男がカウンターの上に手をかざすと、そこに置かれたつまようじが静かに動き出した。


 つまようじは男の手の動きに合わせて、まるでなにかに引き寄せられているようにコロコロと転がっている。



「ねえ、それどうやっているの?」


 顔をあげると、そこにはスーツドレスを着た二十代後半と見える女性が立っていた。仕事帰りらしく、化粧で隠してはいるものの、その顔色には若干の疲労が見て取れる。


 男はニヤリと笑って、


「超能力」


 当然のように出てきた単語に、女は一瞬面食らったような顔つきになる。が、


「息だよ」


 バーテンダーがグラスを磨きながら言った言葉で、今度は納得したような顔をした。

 なんのことはない。この男はつまようじに息を吹きかけ、それに手の動きを合わせることで、手で動かしているように見せかけていただけなのだ。



「いいや、これは僕の超能力ですよ」


 負けじと言った男に、女は面白そうな笑みを浮かべた。


「そこまで言うなら証拠を見せて」


 その言葉に、男は勝ち誇ったかのように唇の端を吊り上げた。


 いいですよと答えた次の瞬間、男の瞳に、人を骨まで見透かすような強烈な光が宿ったように見えた。



「あなたはとても情熱的な人だ。一方で、とても冷めやすくもある。現在は離婚協議中。夫から一セントでも多く慰謝料を取ろうと思っているが、想像よりも弁護士費用がかさんでいてそろそろ妥協しようかと考えている。好きなのは日本の懐石料理。でも日本に行ったことはない。最近友人が五キロ太ったことを秘かにほくそ笑んでいて、好きな色は、ブラック。自分の醜い部分を覆い隠してくれるからです」



 男の言葉を聞いているうち、女の顔色は見る見る変わっていった。そして言い終えたとき、女はまるで幽霊でも見ているような顔をしていた。


「ちょっと……ちょっと待って。一体どういうこと? どうして分かったの……?」


「言ったでしょう? 僕は超能力者なんです」


 女は夢でも見ているような目で男を見た。



 なんとも不可思議な男であった。揃いのスーツを着ているが、ネクタイはせずにシャツのボタンを二つ外してラフに着こなしている。顔立ちは整っているくせに、一度目を離せばどんな顔をしていたのかまるで思い出すことができない。色白で線が細く、長身であろうことは座っていても分かった。



「じゃあ、あなた本物なの?」


 答えず笑みを浮かべた男を見て、女もつられて笑顔になった。


「すごい! 話には聞いていたけれど、初めて本物に会ったわ」


 男の言葉を完全に信じたと見えて、思わぬ出会いに顔をほころばせ、有頂天になっていた。一連の流れを見ていたバーテンが肩をすくめていることにも気づかないほどに。


「ねえ、もっと色々見せてくれない? 超能力もそうだけど、あなたのことももっと知りたいの」


 ここで、男とバーテンは意味ありげな目配せをした。バーテンはため息をついて磨いていたグラスを置き、背にしていた棚からボトルを一本取った。


 女は男の隣に腰かけ、じつに自然な仕草で体を摺り寄せてきた。


 軽く答えた男は、身の上話をしつつ、二三〝超能力〟を見せると、女はそれを褒めちぎった。



「ねえ、まだ時間はあるかしら? もしよかったら……」


 恐らく星の数ほど言ってきたであろう誘い文句は、バイブレーションに遮られた。それはカウンターに置かれた男のスマートフォンのものだ。


「失礼」


 断って画面を見た男はほんの一瞬目を細め、次の瞬間には立ち上がっていた。


「すみません。急用ができましたので、これで失礼します」


「えぇ、帰っちゃうの?」


「ええ。今日は楽しかったですよ、どうもありがとう」


 男はポケットから数枚の紙幣を出すと、「二人分だ」と言ってバーテンの前に置いてバーを出た。



 バーを出た男は小道を抜け大通りへむかう。次第に人通りは増え、喧騒も大きくなっていく。


 太陽はとうに落ち、日付さえ変わっているというのに、昼間よりも人通りが多い気がするのは、決して気のせいなどではない。



 この『人工島』は、夜には昼間とは全く違う顔を見せる。


 売春に、ドラッグ。きらびやかなネオンの裏には、暗い闇が蠢いている。


 三十年代の上海をも彷彿とさせる、ここはまさに現代の〝魔都〟であった。


 男は人の間を縫うようにして歩き、大通りを抜け、ふたたび小道へと入り、何気ない仕草で辺りを気にしつつ建物の中へと入った。


 廃ビルだ。すでにテナントは引き払っており、以前はどんな会社か、あるいは店が入っていたのか、想像もつかない。


 スマートフォンのライトを頼りにゆっくりと歩き、三階の、ある一画で立ち止まった。



 そして、ライトに照らされた〝モノ〟を見た瞬間、バーからこれまで一貫して落ち着いた様子を崩さなかった男が、一瞬息を詰めた。


 それは、男には嗅ぎなれた匂い。男の過去に蛇のように纏わりつく〝異臭〟は、暗い影を落とす。


 その時、黒雲を切り裂く稲妻のように人の気配を感じた。それを裏付けるかのように足音も大きくなっていく。


 それが止まったとき、男はいくつものライトに照らされていた。



「動くな! その場に跪いて、両手を頭の後ろへ回せ!」

 光の先から、鋭い男の声が飛んでくる。


 目を細めると、いくつもの銃口が自分を狙っているのが確認できた。


 大人しく従った男に、何者かがゆっくりと近づいてくる。


 何者かは地面に横たわる〝モノ〟――血だまりの中に倒れる人間と男を一瞥した。


 逆光の中、何者かはゆっくりと、しかしハッキリと言った。



「君を殺人容疑で逮捕する」

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