17-1.無数の点を繋ぐ線
――日没後、王都サフィーア冒険者ギルド『執務室』
執務室はランプの灯りに照らされ、机の上には依頼書や地図が積まれている。古びた木材と紙の匂いは、ここが幾度も帰ってきた場所であることを思い出させた。
「ハルト、無事で良かった」
「マスター、お久しぶりです」
「色々と聞きたいところだが、まずは状況を教えてくれ」
ハルトは真剣な顔付きで頷く。そして、自身の右側に手を伸ばした。少し口角を上げて仲間の名を呼ぶ。
「グラ、アン、ステラ、出てきて」
三つの闇が床に現れ、徐々にその姿が浮かび上がる。シャルは目を丸くし、口を僅かに開いている。
「ワン!」
「あっ、シャルー」
「……ここは――」
辺りを見回して物珍しそうにするステラ。グラとアンは混乱するシャルの元に駆け寄り甘えた。
「マスター、シャルさん、紹介します。アンの母親でハイハーピィのステラです」
「娘がお世話になりました」
穏やかな笑顔で落ち着いた様子のステラ。礼儀正しくお辞儀すると耳にかけた青い髪がするりと垂れ下がった。
「ステラ、この人がギルドマスターのアイゼンさん、あっちでアンが甘えてるのが受付嬢のシャルロッテさん」
「あっ、えっと、シャルロッテと申します!」
呆気にとられ我を忘れていたシャルは、アンに片手を取られたまま慌ててお辞儀をした。
「シャルさん、娘から聞いていました。優しくしていただけたみたいで、ありがとうございます」
「い、いえ!」
大人びた立ち振る舞いに背筋を伸ばすシャル。ステラに微笑み返されると、僅かに頬を赤らめた。
「……ステラさん、ギルドマスターのアイゼンと申します。ご無事でなによりです」
「はい。ハルトさんのおかげで、九死に一生を得ました。ありがとうございます」
翼を丁寧に重ね軽く会釈する。直後、羽の先で長い髪をそっと耳にかけ直した。
三人の顔合わせが済んだところで、ハルトは瞳に力を込めた。一度固くつぐんだ口をゆっくりと開き、マスターのと視線を交わす。
「……では、現状を報告します。クレア副会長は長期間身を隠せる場所にいます。現在は無事です。ステラとアンは今山に戻ることが難しいという判断で連れてきました」
「わかった。今起きている問題はなんだ?」
「三つ。ノーランド伯爵のクレアさん暗殺計画、暗殺ギルドの暗躍、そしてディートリッヒ商会内の裏切りです」
ハルトは重く言葉を置き、執務室にさらなる緊張を落とした。
マスターは椅子に深く腰掛け、腕を組んで目を閉じた。執務室を照らすランプの炎が、静寂の中でわずかに揺らめく。時計の針が刻む音だけが響き、沈黙は長く続いた。
その空気を察したアンは、シャルから離れると、母の翼に自分の翼をそっと寄せた。母を励ますように――そして、自分を勇気づけるように。
やがてマスターはゆっくりと身体を起こし、机に両手をつく。眉間に皺を寄せたまま瞼を持ち上げ、口を開いた。
「ノーランド伯爵については、こっちでも調査を進めていた」
「え?」
伯爵のことは話していないはず……。
どうしてマスターが知っているのか、理由がわからず、頭が混乱する。
「……お前が出発前に遭遇した黒服の男、覚えてるか?」
思わぬ話に一瞬目を見開き、ぎこちなく頷く。
忘れるはずがない。今でも鮮明に思い出す笑い声、光景――頭の隅から引っ張り出された記憶に、吐き気に似た不快感を覚える。
「あの件だが、貧民街に麻薬工場が隠されていた。お前が見た人間は中毒者。黒服の男は噂が流れないように証拠を隠滅して回ってることがわかった。」
「……それで何故ノーランド伯爵に?」
怪訝な顔で伺うハルトを、マスターは表情を変えず見つめる。それが意味するのはつまり――
「まさか、麻薬工場の元締が……」
「――ノーランド商会だ」
その名を聞いた瞬間、思考が加速し、周囲の音が遠くなっていく。背筋を凍らす寒気が脳まで届き、僅かに身体を震わせた。開いた口が塞がらず、強ばる顔に冷や汗が垂れる。
「……ノーランド伯爵、一体いくつの罪を重ねて――」
「気持ちは分かるが先走るなよ。まずは話を聞け」
マスターと視線を重ね、無意識に唇を噛み締める。強く握りこんだ拳をゆっくりと開き、深呼吸で滾る感情を抑え込む。
「はい、すみません」
「……それから知り合いに頼んで細かい調査を進めてもらったら、お前が直面してる問題にもたどり着いた。……ディートリッヒ商会内の話は初耳だがな」
「知り合い?」
ハルトは視線をマスターに向けたまま、眉をわずかに上げた。拳の力を緩め、口元に軽い疑問の色を浮かべる。
マスターは表情を変えず、静かに頷いた。
「そいつにはハルトにも会ってもらう。だが、今は話を聞かせて欲しい。疲れてるところ悪いが、もう少し詳細を教えてくれ」
「わかりました。グラ、アン、ステラ、先に戻ってて」
「ん、シャルまたネ」
「ワン!」
「またいつでも呼んでください」
ハルトが再び闇の渦を開くと、仲間たちはゆっくりと沈んでいった。まだうまく状況に馴染めないでいたシャルは、わけも分からぬまま苦笑いを浮かべ、帰っていくアンに手を振った。
それから、旅の出来事をマスターに語った。楽しかった思い出も混ざっていたが、マスターはその度に頬を緩め、優しい目で見守ってくれた。
机に置かれた照明の火が、ハルトの感情を透かすように影を揺らす。
やがて全てを語り終え、ギルドを後にしたのは深夜のことだった。
――翌日、王都サフィーア西側『商業区』
昼下がりの王都だが、この日は空に薄い雲がかかり、陽の光は僅かに隙間を抜けるのみだった。湿気が空気を重くし、冷気を纏って頬を刺す。
表通りでフードを深く被り、道行く人々を避けながら歩く。相変わらず人目は鋭く向けられる。だが、フードを被っている今は、何故か心を強くいられた。
「マスターが言ってたの……ここかな?」
ハルトの目に飛び込んできたのは、オシャレな店構えの喫茶店だった。降り注ぐ陽光は大きな窓から店内を照らし、真っ白な壁に暗い色調の木柱が、落ち着いた重みを添えていた。
店の前に置かれた立て看板には『白兎』と書かれている。
ドアノブに手をかける。その時、ディートリッヒ商会での出来事を思い出し、一瞬身体は硬直し、無意識に手が震えた。
恐怖をぐっと押し込んで扉を開ける。
「いらっしゃいませー!おひとり様ですね!カウンター席でよろしいでしょうか?」
声をかけてきた女性店員の声は、賑わう店内に響き渡った。緑がふんだんに置かれた落ち着く空間。それでもハルトは慣れない環境に、早まる鼓動を感じながら答えた。
「え、えっと……一番奥の席で、ブレンドコーヒー、砂糖ミルク無しで」
その瞬間、店員は口角を上げたまま、僅かに視線を鋭くする。この空間に似合わぬ冷や汗を流し、静かに反応を待った。
「……他にご注文はございますか?」
「……では、シュガートーストをお願いします」
「…………」
店員は口角を下げ、じっとハルトを見つめた。数秒の沈黙がとても長く感じられ、マントの下で手にかいた汗を強く握りこんだ。
その直後、彼女は一度瞬きをし、表情を変えずに口を開いた。
「……承知いたしました。ご案内します」
先程の態度とは異なり、落ち着いた様子で背を向る、ハルトは彼女の揺れるポニーテールを追って歩いた。そして、指定した一番奥のカウンター席を通り過ぎ、店員はひとつの扉を開いて先を示す。
「こちらへ」
「……はい」
扉を潜る瞬間、緊張に足が重くなり、視界が微かに狭まった。扉を閉めて再び前を歩く彼女が遠くにいるように錯覚する。
ある一室の前に立ち止まり、ドアを三回ノックした。
「失礼します。お客様をお連れしました」
「入ってもらって」
お淑やかな女性の言葉で、彼女は扉の前から離れる。目を瞑って扉を示すと、会釈をしたまま固まった。
「……し、失礼します」
がちゃり、とドアノブを回し、重厚な木の扉が開かれる。
あまり広いとは言えない室内。壁の一面を覆う本棚と、シックなソファとローテーブル。窓は一切なく、代わりに空気口と思われる穴が天井に空いていた。
そして、奥で壁にもたれた赤髪の女性が、じっとこちらを見ていた。深紅のドレスは灯りに映え、横顔に垂れた長い三つ編みが静かに揺れている。
「こんにちは、……モンスターテイマーくん」
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