第6話 わたくしの影さん

「…美味しい。」


 ほう、と言う息と共に声が漏れた。


 紅茶に目を落とすセレスティアの表情から、これが本音なのだと伝わってきて、ディータは安堵して、少しばかりの緊張から固まっていた姿勢を少し崩した。



「良かったです。

 非常用の買い置きですので、あまり良い茶葉ではないんですよ。

 なので貴女の口に合うだろうかと心配でしたが…。」



 ディータの安心したように微笑む顔を、真正面から目にしたセレスティアは、突然大きくドキンと高鳴る自分の心臓に、信じられない気持ちになった。


(自分の意思とは関係ないところで、こうも勝手に反応するだなんて。)


 自分の身体だと言うのに、なぜこんなに制御が効かないのか。

 今まで他の誰とお茶をした時にも、こんな未知の反応をしたことはないと言うのに。



 セレスティアはその反応を誤魔化すように、もう一口と紅茶を含んだ。

 改めて、この紅茶のことを考えることにして、なんとか心の平穏を図ったセレスティアである。


 男の言うように、茶葉自体は少しばかり雑味が残っていて香りも薄め。

 高級品とは到底言えない代物だった。

 王城で出される紅茶には、こうした茶葉は無いだろうし、寧ろこれを出したとしたらその侍女は罰せられそうである。


 しかし、初めてのディータとのお茶であり、しかもそれを男が手ずから淹れてくれたのがこのお茶だ。


 ディータをこっそり慕っていたセレスティアからすれば、これ以上の紅茶は今までの人生で一度も飲んだことがないと言い切れた。



「これまで何度も最高級品だと言われる王室御用達の茶葉でお茶をしてきましたけれど、わたくしにとっては、このお茶の方がとても美味しく感じます。

 お茶を淹れるのがお上手ね。

 わたくし、これがすごく好きだわ…。」


「…恐悦至極。

 それはとても光栄です。」


 照れたように大袈裟に畏まったディータがはにかむ。

 ソファーに座ったままで胸に手を当て礼をする姿が、セレスティアの目には可愛らしく映った。

 どこか軽口めいた言い方なのは、恐らく本気で照れているからなのだと思えば、それを理解したセレスティアも、ディータに同調するように頬を染める。


 セレスティアも初めてで落ち着かないようだったが、ディータ自身もこうして正面から顔を合わせて会話するどころか、お茶までするのは落ち着かなかった。


 王家の影とは基本的に、人目に付かないように行動するものである。

 初めからセレスティア付きとして任務に当たったディータでは、尚更。

 家族や国王陛下以外で直接に顔を合わせた相手は居なかったし、ましてやその心の内を表情に出すような機会は一切なかったから。



「わたくしはきっと、こうやって一緒にお茶をして欲しかったのね。

 良いお茶っ葉も、高級なお茶請けも、どれも味気なくて美味しいなんて思わなかったわ。

 セシル殿下にはずっとずっと放っておかれて、お茶会もパーティーも独りぼっち。

 いっそ参加せずに済むなら本当はそうしたかったけれど、参加は婚約者としての義務でもあったし、サボるわけには行かなかった。

 …例えセシル殿下は何時だってサボっていらっしゃったとしても。

 途中からはあなたがお話に付き合ってくれるようになったけれど、それまではこんなに虚しく情けなくて辛いことなんてないわって、ずっと考えていた。

 だから、わたくし、あなたが居てくれて本当に嬉しかったのよ。

 あの時も、今回も、わたくしを助けてくれたこと、改めてありがとう。」



 セレスティアの瞳が潤む。

 辛かった気持ちを思い出してしまったのだろう。

 その現場を見ていた影としても、その心は良く理解できた。



「いいえ、俺…俺が好きでやったことですから。

 お礼を言われるようなことではないんですよ。

 むしろ俺が居ることに気付いて下さったことに感謝しているんです。

 影は気付かれないよう行動するものなので、本来ならどんなに頑張っていても誰かに認めて貰うことなんてないものなんですよ。

 それが当たり前だと教えられて来たのに、俺だけその存在を認められたみたいで…貴女の担当になれた幸運に感謝していましたし、絶対貴女に着いて行こうと決めていましたので。」


「感謝、だなんて。

 感謝しているのはわたくしの方だわ。」


「いいや、俺の方ですよ。

 何時だって貴女は俺を見分けたでしょう。

 姿を変えてお側についても、何時も“わたくしの影さん”と仰って。」



 その度にディータは思ったのだ。

 俺はただの有象無象の『影』ではなくなったのだ。

 何時だって換えの利く、ただの駒として育てられた男が、自分自身を認められたのだ。


 陛下ですら一括りに『影よ』としか呼ばない存在だと言うのに。

 別々の個体として、識別してくれたのは、家族以外ではセレスティアだけだ。


 ならば俺はもう『個』として認められた、セレスティアの為だけに存在する『セレスティアの影』なのだ、と。



 セレスティアの為ならこの命などいくらでも捧げるし、セレスティアの命令ならば、王家など何時でも裏切って構わない、と。

 王家の影としては、持ってはいけない考えを持って仕えていた。

 陛下がセレスティアを無碍に扱う事がなければ、そんな事態は来ないだろうから問題無いだろう…などと考えている。

 正直言って、病んでいる。


 ディータは、重すぎるだろうこの気持ちを、口に出すことは決してないと決めている。



「…ねぇ、“わたくしの影さん”。

 今なら、あなたのお名前を聞いても良いかしら。

 ずっと知りたかったけれど、あの時のわたくしはセシル殿下の婚約者だったから。

 けれどもう、わたくしは殿下の婚約者ではないから。

 だからこそわたくしは、普通のわたくしと、普通のあなたとして…改めて知り合いたいのです。」



 心からの言葉だとよく分かる、王子の前では決してする事がなかったセレスティアの柔らかな微笑みを向けられて、男は一瞬息を詰めた。

 そして一拍の逡巡の後、眉を下げつつ頷いた。



「——セレスティア様。

 では、改めまして、自己紹介させて下さい。

 俺はディータ・コムストック。

 コムストック伯爵家の四男で、貴女の7つ上となる、24歳の…表社会では“5歳の誕生日に貰った馬にはしゃいで落馬した際、骨折した足の後遺症で走れなくなったため社交界に出られない”事になっている、独身男です。」

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