その44

 次の瞬間〝ひゅん〟は白い部屋にいた。

 逃げ切った?

 いや、ここは違う、設定した〝出口〟じゃない。

 書き換えた魔法陣の〝出口〟は猫街の管理局があった座標のはず。

 改めて周囲を見渡して、この場所に見覚えがあることに気付く。

 確か王宮から元の世界へ帰りそびれた凌順を迎えに来た場所じゃなかったか――そんなことを考えている〝ひゅん〟に白うさぎが背後から声を掛ける。

「おひさしぶりです。ここは世界の境界です。世界間の移動において説明や確認が必要な方をここにお止めすることになってます」

「説明?」

 振り向いて見下ろす〝ひゅん〟に、白うさぎは屈託ない笑顔で続ける。

「はい。たとえば、食べ物を持っている方とか、なんらかの事情で魔法陣に設定した世界へ移動できない方への」

 その言葉に反応する。

 今の自分が食べ物を持っていない以上、ここに止められた理由は〝魔法陣に設定した世界へ行くことができないから〟ということになる。

「つまり、私は元の世界へ帰れないということか?」

「はい。あなたが到達する世界は塚口聖依さんの作った世界ではありません」

「なぜ」

 白うさぎが空中に人差し指で長方形を描くとその長方形がスクリーンに変わって、体育館で〝ひゅん〟が魔法陣へ入った瞬間を映し出す。

「ここです」

 スクリーンの映像がスロー再生に変わって画面が静止する。

 〝ひゅん〟はその瞬間になにが起こったのかを瞬時に察する。

 体育館の床をスライディングした〝ひゅん〟自身が魔法陣の一部を削り取っていた。

 白うさぎが続ける。

「これにより二相型魔法陣は一相型となりました。移動できるのは〝世界〟か〝時間〟かのどちらか一方になります。〝ひゅん〟さんが書き換えた魔法陣の入口は〝塚口聖依さんが生まれた人間世界の百万年前〟であり出口は〝百万年後の塚口聖依さんが創った猫人世界〟でした。なので〝時間〟移動を諦めて〝世界〟移動を選択すれば出口は〝塚口聖依さんが作った猫人世界の百万年前〟。〝世界〟移動を諦めて〝時間〟移動を選択すれば〝百万年後の塚口聖依さんが生まれた人間世界〟となります。しかし、〝塚口聖依さんの作った猫人世界〟には百万年前という時代は存在しません。ということで〝ひゅん〟さんの選択肢は〝百万年後の塚口聖依さんが生まれた人間世界〟のみとなります」

 〝ひゅん〟は静止した自分と魔法陣を映したままのスクリーンにため息をつく。

「ロクデナシたちはこれから……いや、あのあとどうなった?」

 自分がこれから向かうのがさっきまでいた世界の百万年後となると、ロクデナシがどうなったかは最も重要な問題だった。

 発光結晶体制御装置を暴走させたことで〝れま〟の現生人類絶滅計画は阻止できたのか、できなかったのか。

「あなたが暴走させた制御装置から放たれた光によって環境に適応した生物へと変容していきました。すなわちあの時代の世界環境で生きるのに適した姿へと」

 スクリーンが切り替わる。

 映し出されたのは熱帯の洞窟で生きる文明を持たないヒト以前の原人たちだった。

 体型が変わり体毛に覆われた裸身で洞窟を出て密林を徘徊する姿のどこにも女子高生ロクデナシだった頃の面影はなかった。

 おそらく当人たちも自分たちがいかなる存在だったかを憶えていないのだろう。それは当人たちにとっては幸いではあるのだろうけど。

 白うさぎが続ける。

「それまで不確定だった歴史は確定したんです。ロクデナシによる侵攻が行われなかった歴史へと。あなたが発光結晶体制御装置を暴走させたことによって生まれたあの原人たちは、いずれホモ・サピエンスとの生存競争に敗れ地上から消え去ることでしょう」

 スクリーンの中にいる原人の姿に〝ひゅん〟はつぶやく。

「暴走させた目論見は成功したわけか」

 そして、白うさぎに目を落とすと〝この子なら知っているのかもしれない〟と〝もうひとつ気になっていたこと〟を問い掛ける。

「魔法陣が発動したあと、王女様と芽衣様、凌順の姿がなかったが……どこへ?」

「塚口芽衣さんと三川凌順さんはあなたが制御装置を暴走させた世界の百万年後の時代へ、そして、塚口聖依さんもご自身が創った世界へとそれぞれ戻られました」

 〝ひゅん〟の脳裏に、瓦礫の山と化した猫街でひとり佇む王女様の姿がよぎった。

「ご自身が創った世界……か」

 白うさぎが続ける。

「はい。そこで元気に過ごされているはずです」

 元気?

 スクリーンが切り替わって猫街を映す。

 何事もないいつも通りの猫街とそこで平穏に暮らす猫人たちの姿があった。

「なぜ……どうして」

 自身の願望が投影されているのではないかと目を疑う。

 ロクデナシの巣が世界間移動をしたことで生じた暴風は? 地殻変動は?

 起きなかった?

 そんなバカな。

 呆然とスクリーンを見ている〝ひゅん〟の疑問に白うさぎが答える。

「確かに一画が世界間移動したことで地殻と大気が移動しましたが猫街には影響がありませんでした。上空では暴風が吹き荒れたようですが地表の猫街には人的にも物的にも被害はなかったようです。奇跡的に」

 聞きながら〝ひゅん〟は頭をかき回す。

 〝らる〟様から聞いた世界の成り立ちを、芽衣様から譲ってもらった様々なデーターを、そして、それらから考察、あるいは推測した世界のあらゆる構造を。

 そして、気付く。

「奇跡じゃないっ」

 脳裏によぎったイメージに反応してスクリーンが切り替わる。

 そこに映し出されたのは猫街でもロクデナシの巣――綺薇宮女子高校があった場所でもない。

 映し出されたのは――

「何者であろうといかなる存在であろうと、絶対に通さないっ。どんな因果もここで断ち切る、それが私の使命っ。たとえ霧の奥がこの世界から消え、異世界に転移しようともっ」

 ――誰に言うともなく宣言する霧の中の魔女の姿だった。

 猫街を巻き込むはずだった地殻変動も暴風も〝どんな因果もここで断ち切る〟という霧が遮っていたのだった。

 そして、スクリーンの光景が猫街に戻る。

 映し出されているのは、王宮で公務を再開した王女様の姿、王宮の中庭に建てられた〝ひゅん〟と〝うず〟の名が刻まれた石碑に祈りを捧げる〝らる〟様の姿、そして、管理局で局長として忙しく働く〝なぎー〟と〝ぽの〟の姿――。

 それぞれの様子に思わず笑みがこぼれた時、白うさぎが声を掛ける。

「いかがしますか? これから向かう世界の……出口の場所を設定できますが」

「そうだな――」

 〝ひゅん〟は少し考えて答える。

「――凌順と芽衣様に会いたい。あのふたりにロクデナシの現実世界侵食終了の顛末を伝えたい」

 言いながらヒスイに伝達球を生成させる。

 同時に白うさぎが腰から提げた時計がアラームを鳴らす。

「お時間です、……が、最後に最も重要なことをお伝えしなければなりません」

「……?」

 〝ひゅん〟が目を向けた白うさぎの顔はさっきまでとは別人のように真剣だった。

「猫人は塚口聖依さんが創った世界に転生した固有の生物ですが、そのDNAにはかつて猫だった当時の痕跡が残っています。それにより〝猫として存在していた世界〟の〝猫として存在していた時代〟に戻った際には〝原世界における復元作用〟が働き、猫人ではなくなります。……ご了承頂ますようお願い申し上げます。では」


 我に帰った凌順と芽衣の前に〝ひゅん〟の姿はなかった。

 ふと、凌順は足首に感じた違和感へ目を落とす。

 首からヒスイを提げたキジトラの猫が凌順の足首に頭をこすりつけていた。

 〝本来、存在していた世界〟の〝本来、存在していた時代〟へ戻ったら異世界での変容はキャンセルされる――そんな白うさぎの言葉を凌順は思い出す。

 しゃがみこんで目をうるませた芽衣に頭を撫でられていたキジトラが凌順を見上げてにゃあと鳴く。

 凌順はそのキジトラを抱き上げてささやく。

「うち、来るか?」

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