その42
桜の花びらを舞わせる夜風を受けて凌順は我に帰った。
そこは六号棟の駐車場だった。
「帰って……きたんですよね」
切れかかった外灯のせいではっきりとは見えない芽衣がすぐとなりでつぶやく。
「うん」
頷いた凌順は全身を悪寒が貫くのを感じる。
周囲の様子は見慣れたものに違いはなかった。
一台も停まってない駐車場、桜、オレンジ色の明滅を繰り返す古い外灯。
背後には誰も住んでいない真っ暗な六号棟、正面にはいくつもの灯りがついた部屋が並ぶ五号棟。
そして、夜空には中途半端に欠けた月と春の大三角。
この世界はどっちだ?
百万年前に向かった〝れま〟とロクデナシたちが現生人類を滅ぼした〝ロクデナシの世界〟なのか。
それともなにひとつ変わっていない〝元の世界〟なのか。
もし前者だとしたら五号棟の灯りの下で暮らしているのはどんな家族なのだろう。
白うさぎの言葉を思い出す。
〝歴史は不確実なものなので。〟
渡されたメモを無意識にぎゅっと握りしめていることに気付く。
このメモには歴史改変が行われた世界か否かを確かめる方法が書かれている。
ただ――それを開くのが怖かった。
「凌順さん」
同じことを考え、同じ感覚に襲われ、同じ恐怖を抱いているのだろう芽衣が促す。
「うん」
覚悟を決めた凌順は頷いてメモを開く。
しかし――
「読めん」
――となりで立つ芽衣の姿すらはっきり見えない中で読めるわけもない。
つぶやいた凌順は外灯の真下へと歩く。
その後を芽衣が続く。
改めて目を落としたメモには丸い小さな文字が並んでいた。
背伸びをしてそのメモを覗き込もうとしている芽衣に「読むよ」と声を掛ける。
そして、けして読みやすいとは言えない切れかかったオレンジ色の外灯が瞬く中で目を凝らしながら読み上げる。
『元の世界の元の時代――すなわち〝本来、存在してた世界〟の〝本来、存在していた時代〟へ帰ったら〝原世界における復元作用〟が働きますので異世界で受けた変容作用はすべてキャンセルされます。
なので、試してください。
三川凌順さんは衝撃波が出るかを。
塚口芽衣さんは尾が生えているかを。
そして、着衣の汚れや破れを。
そして、身体の痣や出血といったダメージを。
それらが変わってなければ――
衝撃波が出る
尾が生えている
着衣や身体のダメージが回復していない
――とすれば、そこは〝原世界における復元作用の働いてない世界〟
すなわち〝元の世界〟ではなく〝歴史改変が行われた世界〟です。
つまり、三川凌順さんと塚口芽衣さんが〝本来、存在してたのとは別の世界〟ということになります。
これらがすべてキャンセルされていれば――
衝撃波が出ない
尾が消えている
着衣や身体のダメージが存在しない
――とすれば、そこは〝原世界における復元作用の働いている世界〟
すなわち、なんらかの事情で〝歴史改変が行われなかった世界〟です。
つまり、三川凌順さんと塚口芽衣さんが〝本来、存在してた世界〟の〝本来、存在してた時代〟ということになります。
以上、世界状態の確認方法についてお伝えします。』
読み終えた凌順は弾かれたように芽衣を見る。
ちかちかと明滅する外灯の光の中に立つ芽衣を見る。
そのセーラー服には一片のホコリもなく、破れてもいない。
顔やスカートから覗く足には、痣や乾いた血に汚れていた痕跡もない。
それはまさしく、凌順が最初にこの駐車場で見た時のままの姿だった。
「しっぽは……」
言いながら芽衣のお尻に目を向ける。
芽衣が飛び退く。
「じ、自分で確かめますっ」
赤いきれいな顔で凌順から距離をとると、両手を自身の背後に回してお尻をまさぐる。
じっと答えを待って見つめる凌順に笑顔を弾けさせる。
「ありませんっ」
そして凌順を促す。
「出ますか?」
「ちょっと待って」
凌順はきょろきょろと周囲を見渡す。
もしも衝撃波が出たら……そんなことを考えて着弾しても大丈夫そうな発射先をさがす。
しかし、そこはただっ広い駐車場である。
少し離れれば外灯が届かず薄暗いことで着弾してもわかりづらい。
ならばと足元に目を落とす。
そして、空手の瓦割りのような姿勢で足元へと衝撃波を撃つ。
静寂。
なんの手応えも感じない。
ばっとしゃがんでアスファルトの表面を撫でて目を凝らす。
どこにも衝撃波が着弾した跡は見当たらない。
固唾を飲んで見下ろしている芽衣を見上げる。
「……出ない」
改めて声を上げる。
「出ないっ」
「ということは」
期待に輝く芽衣の瞳に答える。
「ここは元の世界」
芽衣が続ける。
「あたしたちが最初からいた世界」
さらに凌順も。
「歴史改変の行われなかった世界」
ふたりで声を合わせる。
「帰ってきたああああああああああっ」
「帰ってきたああああああああああっ」
そして、抱きついてきた芽衣を引き剥がす。
「ちょ、それは、だめだろ」
「ご、ごめんなさい。うれしすぎて……」
赤い顔でうつむく芽衣は照れ隠しのつもりなのか、聞かれても答えられるはずもない問い掛けを凌順に投げる。
「でも……どうして、歴史改変は行われなかったんでしょう?」
凌順の答えはもちろん。
「わからない」
芽衣の言葉に凌順が首を傾げたのと同時に――
「あそこっ」
――芽衣が叫んで数メートル先のアスファルトを指さす。
凌順が目を向けたそこには光の点がぽつん。
突如現れたそれを不安と警戒の目で見るふたりの前で、光の点は瞬時に広がって直径一メートルほどの魔法陣になった。
凌順が芽衣をかばって前に出る。
もう衝撃波は出ない。
もう尾は持っていない。
そんな無防備なふたりは逃げることもできず魔法陣を見つめる。
そして、魔法陣が吐き出す。
凌順と芽衣が目を疑う。
魔法陣が吐き出したのは――〝ひゅん〟だった。
険しいようなやつれたような表情で現れた〝ひゅん〟だが、眼の前にいるのが凌順と芽衣であることを理解したのか、ほっとしたような表情に変わる。
そして、口を開くが――
「あ……あ……にゃ……?」
――声が出ないことに気づいて戸惑いの表情を浮かべる。
しかし、すぐに気を取り直してポケットから取り出したピンポン玉ほどの透明な球体を凌順と芽衣に差し出す。
凌順は同じ物を王宮の医務室で見たことを思い出す。
それは〝ひゅん〟が〝なぎー〟に託した伝達球。
その伝達球が弾けて、中に保管していた情報を凌順と芽衣の頭に流し込む。
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