その33

 渡り廊下に入ったところで〝ひゅん〟を先にある南校舎に向けて押し出した凌順が足をもつれさせて転倒する。

「猫の方はあとでゆっくり追い詰めてやろう。まずはおっさん、オマエからだ」

 起き上がることができない凌順は這って逃げようとするが、ぐるりと回り込んだ〝ひまり〟がその退路を遮って見下ろす。

「呼吸が苦しいだろ? 内臓も消失に向かっているからな」

 凌順があえぎながら〝ひまり〟を見上げる。

「確かに……最強と言われるだけの……ことは……あるな」

 〝ひまり〟がメイクの下でにっこりと微笑む。

「だろ?」

「能力は無視シカト――正確にはシカトの誘導か。落書き屋の〝まひろ〟と同じ……」

 〝まひろ〟は着弾することで対象にダメージを与える落書きを放つだけでなく、周囲のロクデナシに同様の攻撃を促す誘導能力も持っていた。

 そうやって特定の標的を設定して攻撃を誘導、集中させることでさらなるダメージを与えていたのだ。

 〝まひろ〟と〝ひまり〟――〝落書き〟と〝無視〟という違いこそあれ、攻撃プロセスは同じタイプだった。

 〝ひまり〟が指定した標的をその場にいるすべてのロクデナシが無視することで、標的の存在を消去する――これが〝ひまり〟の能力だったのだ。

 しかし、凌順の言葉を聞いた〝ひまり〟は一瞬で笑顔を消して不機嫌な表情で吐き捨てる。

「あんな陰キャといっしょにするか」

「いや、一緒だろ。……無視も落書きも単体じゃ……蚊に刺されたほどのダメージを与えることも……できない。恐ろしいのは……集団が……個々の攻撃をひとりに向ける時。……そういう点は……オマエと〝まひろ〟は……同じだ」

「ざけんなよ、てめえ」

 凌順の解釈がよほど面白くないのか〝ひまり〟が前傾姿勢で顔を寄せる。

「〝孤立〟という最も恐ろしい環境に追い込むあーしを舐めるな」

 凌順がふらふらと立ち上がりながら返す。

「確かに孤立は……恐ろしい。でも……単体なら落書きの方が……ダメージがある。オマエの力は……〝まひろ〟未満だよ。……周囲を先導することでしか……発揮できない。オマエ単体では……なんのダメージも与えられない」

 そう言って一旦は立ち上がった凌順だが、しかし、すぐにヒザから崩れ落ちる。

「じゃあ、あーし個人の力でとどめを刺してやるよ」

 両手を床について土下座するような姿勢の凌順に〝ひまり〟はその頭を蹴り上げようと足を振り抜く。

 凌順が狙っていたようにその蹴り足を取りながら身体を起こす。

 さらに〝ひまり〟がバランスを崩した瞬間にあわせて、取った足を抱えて自分ごと身体をひねるように回転させる。

 それがドラゴンスクリューというプロレス技であることを知る由もない〝ひまり〟の身体は凌順の意のまま、回転しながら転倒する。

「〝ひゅん〟局長っ」

 凌順が声を上げて壁の一画を指さす。

 そこにあるのは防火扉の開閉装置。

 渡り廊下の柱の陰に潜んでいた〝ひゅん〟が飛び出して開閉装置のパネルを叩き割る。

 同時にきしんだ音を立てながら鉄の防火扉が閉じて、凌順と〝ひゅん〟と〝ひまり〟だけの渡り廊下を多くのロクデナシがいる北校舎から隔離する。

 凌順がゆっくりと立ち上がる。力が戻ってきているのを感じながら。

「なるほど。……周囲に人がいるのに認識されてないことが……そのままダメージになっている、か。ならば……逆に誰もいない所じゃ認識されなくて当たり前――当然、……ダメージは存在しない、と」

「ひ」

 さっきまでとは一転して強張った表情の〝ひまり〟が喉の奥で悲鳴を上げる。

「ここにいるのは僕と〝ひゅん〟とオマエ。……つまり、全員が互いの存在を認識している。それぞれの認識率は……百パーセント。力が戻ってきたぜ。……もりもりとな」

 さっきまであえいでいた凌順の呼吸が次第に穏やかになってくるのを見て、その言葉に嘘がないと理解したらしい〝ひまり〟は跳ね起きると背を向けて走り出す。

 そして、防火扉を叩く。

「おい、誰か開けろ」

 扉の向こうからロクデナシの声が返る。

「どうしたの?」

「誰かいるみたい」

「なに? 誰かいるの?」

 その声に〝ひまり〟が答える。

「〝ひまり〟だ。早く開けろ。ここに侵入者が……あ」

 慌てて口をつぐむが遅い。

「僕たちの存在を扉の向こうにまで認めさせてくれてありがとう」

 完全復活した凌順が衝撃波を構える。

 振り向いた〝ひまり〟が引きつった愛想笑いを浮かべてささやく。

「一緒に〝あいり〟を倒さないか」

「は?」

 思わぬ言葉にぽかん状態で呆れる凌順に〝ひまり〟が擦り寄る。

「見てわかっただろ。あーしの能力は最強だ。〝あいり〟は今、校長室にいる。一緒に倒そうぜ」

 凌順の答えは決まっている。

「うるせー、ばーか」

 至近距離で放った衝撃波が〝ひまり〟の頭を潰した。

 同時に――

「凌順っ」

 ――背後から聞こえた〝ひゅん〟の声に振り返る。

 渡り廊下の奥、特別教室棟である南校舎から見覚えのあるロクデナシが凌順を見ていた。

 かつての凌順に色仕掛けを狙って見事に失敗したうえ、芽衣によって人質にされた〝ももな〟だった。

 体育会系の〝はるの〟同様に強化施術を受けた痕跡は、以前より明らかにボリュームを増したバストサイズに現れていた。

 そんな〝ももな〟に対しても、凌順はためらうことも迷うこともない。

 王女と芽衣を奪還するために立ちはだかるロクデナシはすべて排除するだけだと衝撃波を構える。

 そこへ〝ももな〟が叫ぶ。

「てめえに色仕掛けは諦めたっ」

 〝ももな〟の背後からぞろぞろと体長一メートルほどのヘビのような生き物が姿を現す。

 凌順が目を凝らしたそれは精虫の群れだった。

 その異様な光景に身を震わせる凌順だが、それを悟られるのが付け入られる隙になりかねないと、あえて悪態をついて見せる。

「精虫使いかよ、女なのに」

 そんな凌順の言葉に〝ももな〟が笑う。

「ふん。わかってねえな。女だからだ」

 その意味がわからず、なにも言い返せない凌順に続ける。

「この精虫どもはこれまでの人生で男たちから直接間接問わずアタシに向けて放たれて死んでいった精虫の怨念を再生したもの。すなわち男どもからアタシへの貢物なのさ」

 この世界に――霧で隔離されたロクデナシの巣とも言うべき校内に男は存在しない。

 ここで〝ももな〟がいう〝男たち〟とは現実世界における〝ももな〟の交友関係に存在する男たちなのだろう。

 現実世界の〝ももな〟のイメージを実体化させたものがこのロクデナシ〝ももな〟であり、その際に〝ももな〟の人生もコピーしたことで現実世界の〝ももな〟と関係した男たちの痕跡もまたロクデナシ〝ももな〟の一部となっているのだ。

 凌順がそんなことに思いを巡らせている間に〝ももな〟が精虫群を放つ。

 凌順が慌てて衝撃波を放って迎え撃つ。

 向かってくる精虫群は衝撃波の直撃を受けて四散するが、それはごく一部に過ぎず次から次へと圧倒的な数で押し寄せる。

 その独特な臭気に凌順は思わず後ずさりする。

 そこへ左手で鼻を覆った〝ひゅん〟が前に出て、右手に握った棒状の機械を向ける。

 棒の正面から照射される光を浴びた精虫群は次第に速度を落とし、空中で静止する。

 その様子は戸惑っているようにも、なにかを考えているようにも見える。

「なにが……?」

 なにが起きているのかと訝しげに精虫を見る凌順に〝ひゅん〟がささやく。

「少し時間がかかるかもしれない」

 渡り廊下の中ほどでゆらゆらと浮かんでいる精虫たちの形状がじわりと変化しつつあることに凌順が気付く。

 頭部とも言うべき本体の一部が瘤のように膨れ上がり、正面に入った亀裂が上下に開いて瞳孔をのぞかせ、その下には一対の鼻孔らしきスリットが現れる。

 そんな形状変化を終えた精虫群はやがてその場でぐるぐると回りだす。

 まるで葛藤しているように、あるいは、なにかを探しているように。

 一匹の精虫が探し物を見つけたことを窺わせる動きで〝ももな〟のもとへと引き返す。

 他のすべてもその後を追って宙を泳ぐ。

 押し寄せてくる精虫群に〝ももな〟が慌てる。

「なんで戻ってくるんだ、てめえらっ。敵はあっちだ、あのおっさんだ」

 凌順も戸惑っている。

「どうして?」

 〝ひゅん〟が手にした機械を凌順に見せる。

「発光結晶体のポータブル照射装置。精虫を少しだけ進化させて簡単な脳と感覚器を与えた」

「すると……どうなるんだ?」

 理解が追いつかない凌順に補足する。

「精虫は本来目指すべき場所へ戻った」

「ちょ……待って……やめ……」

 抵抗する〝ももな〟を抑え込むように無数の精虫がびちびちと長い尾を振り回しながらその肢体にまとわりつく。

 そして、押し倒した〝ももな〟の身体の中心を目指して、我先にとその体躯に存在するすべての穴にもぐりこもうと頭部をめり込ませる。

 見る間に〝ももな〟に群がった精虫群は団子状の塊になり、渡り廊下の一画を塞ぐ。

「もう、この精虫団子から脱出することはできない」

 〝ひゅん〟の言葉を聞きながら、凌順が〝ももな〟を核に球状となった精虫団子の横をそれでも警戒しながら通り抜ける。

 その気配を察したのか、それとも偶然か、精虫団子の奥から〝ももな〟のか細い声が漏れ聞こえる。

「たす……けて……たす……、出して……、ココカラ……出シテ……クレタラ……私ノ……パンツ……アゲルカラ」

「いらねえ」

 精虫団子を見下ろしぼそりとつぶやく凌順だが、同時に〝ひゅん〟の悲鳴。

 顔を向けると渡り廊下の先を三人のロクデナシに抱えられた〝ひゅん〟の姿が遠ざかっていくのが見えた。

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