その21

「逃走中のロクデナシについては街のあちこちから目撃情報が寄せられてますが、そのすべてが立体映像とのことで。自走捜査機を撹乱しながら逃走を続けているようです」

 スマホをポケットに収めながら報告する〝ひゅん〟に〝らる〟が問い返す。

「ロクデナシとはいえその容姿はニンゲンと同じもの。混乱はありませんか?」

「報告はありません。そもそもニンゲンがこの世界を訪れること自体がありえないことゆえに、イタズラ好きな、あるいはニンゲンを忘れられない誰かがヒスイで作成した立体映像をあちこちにばらまいたのではないかという見方が圧倒的多数です。ただ。一部の野良だった猫人にとってニンゲンの映像は猫時代のトラウマを想起させるといった悪影響が懸念されますが、今のところ医療機関の窓口にそういった相談はないようです」

 続ける。

「もしあの立体映像が霧の向こうからやってきたロクデナシの仕業だと知られれば混乱もやむなきところではありましたが……。ロクデナシの存在を公職だけの周知にとどめていたことは正解だったようです」

 その後ろでは芽衣がとなりの凌順を見上げて、霧を出てからの経緯を話している。

「ということで、町外れをひとりでうろうろしてるところを散歩に来た猫人の親子に見つけられて、近くにあった〝らる〟様のお屋敷に連れて行かれたんです」

「……うん」

 しかし、凌順は硬い表情で頷くだけだった。

 その明らかに管理局にいた時とは変わった様子を芽衣が問いただす。

「どうしたんですか? なに緊張してるんですか」

 前を歩く〝らる〟と〝ひゅん〟の後ろ姿を見ながら顔を芽衣に寄せて声を潜める。

「そりゃ緊張するだろ。僕はうかつなこと言ったら処刑されるんだぞ」

 〝ひゅん〟が呆れた表情で振り返る。

「そんなわけないだろ。信じてたのか」

 〝らる〟も凌順を見る。

「凌順の身柄の保証は芽衣様の知人というだけで十分です。でも、王宮へ案内するに当たっての扱いは無罪放免ではない、容疑が晴れているわけではないという形にしなければ〝うず〟殿が納得しないでしょう。あくまでも要監視状態にあるということを明言しておく必要があったのです。いわゆる方便というやつです」

「そ、そうだったのか」

 緊張から開放されて脱力する凌順に芽衣が笑う。

「よかったねえ。で、どこまで話したっけ」

「〝らる〟さんのお屋敷に入ったとこ」

「そうそう。でね〝らる〟様に事情を聞いてもらってたら発光結晶体管理局へおつかいに行ってたメイドさんが帰ってきて〝管理局に霧の向こうからやってきたらしい謎生物が運び込まれたらしいです〟って言ってたから連れてきてもらったんです。転送ゲートで」

 ようやく経緯を知った凌順は改めて会議室で芽衣の姿を見た時の驚きと安心を思い出す。

「で、ハチワレの姿でやってきたと」

 凌順の言葉に芽衣がふふっと小さく笑う。

「あれはですね、管理局にいる猫人たちを驚かせないためっていうのと、もうひとつ目的があったんです。わかります?」

 上目遣いで凌順を見る。

「目的? なんだろ」

「それはね……凌順さんをびっくりさせようと思ったんです。びっくりした?」

「なんだよ、それ」

「思いついたのはあたしじゃなくて〝らる〟様ですけどね」

 前を歩く〝らる〟を見る。

 振り向いた〝らる〟が〝にひひ〟と笑っていた。

 その老猫人らしからぬ無邪気な笑みに凌順は考える。小会議室へ入った時、最初に凌順に興味を示しながら〝うず〟に誘導されるようにあとは〝れま〟の話ばかりしていた理由を。

 最初から〝らる〟にとって凌順は事前に芽衣から話を聞いて、王宮へ誘いに来ただけの存在に過ぎなかったのだ。ならば、直接顔を合わせたからといって特に訊くことや話すことがなかったとしてもおかしくはない。

 ようやく納得した凌順に芽衣が続ける。

「で、管理局の五階にあるエントランスホールに出たんですけど、同時に〝れま〟が襲いかかってきたんです」

 それは凌順にとって思いもよらない言葉だった。

「僕たちより先に会ってたのかっ」

 思わず声を張り上げる凌順に芽衣は涼しい顔で答える。

「そうですよ。とにかく〝らる〟様を守んなきゃって無我夢中で追い払って……。放送があったじゃないですか。ロクデナシが侵入――みたいなの」

 それは凌順も憶えている。

 発光結晶体からの光によって猫が猫人に変わる瞬間を見学した直後だった。

「あれは〝らる〟様の指示で放送されたんですよ」

「そうだったのか」

 芽衣の話が一段落したところで、いまさらな疑問が無意識に口を衝く。

「〝れま〟はどうやって霧から出てきたんだろうな」

「〝らる〟様がおっしゃるには……あたしたちを霧から出す時に魔女が霧の機能を一時的に停止したらしいです。それであたしたちは霧の外へ出られたんですけど、その時、たまたま〝れま〟も、あたしたちを追って霧の中にいたんじゃないかって」

「結局、僕たちが原因だったのか」

 苦い表情で凌順がつぶやく。

 芽衣もまたそんな凌順に付き合うように苦い表情で「ですよねえ」とつぶやいて、話を変える。

「凌順さんは霧から出たあと、どうして管理局へ?」

「僕は落とし穴に落ちて――」

 そこまで言ったところで芽衣が吹き出す。

「な、なんだよ。そんなにおかしいかよ」

「おかしいですよ。いい年して落とし穴とか」

「ちぇっ」

 大げさにふてくされて見せた凌順は、改めて周囲の町並みを見渡す。

 街の端にある管理局から中央の王宮までは、大きな街ではないことから歩いても三十分ほどの距離でしかなかった。

 立ち並ぶ家々の屋根越しに尖塔を覗かせている王宮を見ながら凌順がつぶやく。

「街の外から見た時は教会とか聖堂みたいなもんだと思ってた。王宮とはな」

 その独り言に応えたのは〝ひゅん〟。

「王女様の趣味らしい」

 見知らぬ異世界であっても身の安全と帰路が確保されていれば警戒心より好奇心が勝つ。

 今の凌順にとって――おそらく芽衣もだろうが――街の様子を見ながらの移動はちょっとした観光気分だった。

 その観光気分を盛り上げているのが西洋風の尖塔を頂く王宮を中心とした街の景色によるものであることは言うまでもない。

 とはいえ、改めて見る町並みは発光結晶体管理局の窓越しから見た時と変わらず、猫街を形成している建造物のほとんどはいずれも広い庭を持つ住宅であり、そこで昼寝したり日向ぼっこしたり自動制御のボールや猫じゃらしで遊ぶ猫人たちの姿はよくいえばのどか、悪く言えば退屈なものだった。

 そののどかさと退屈さを強調しているのが商業主義の象徴である看板とスピード社会の象徴である自動車が存在しないことであり、看板が存在しないのはヒスイによって必要な物が供給される社会であることから商業自体が存在しないから――というのは、発光結晶体管理局で凌順が出した結論だった。

 しかし、一方の自動車については、今でも存在しない理由がわからない。

 確かに転送ゲートという移動手段があるからと言ってしまえばそれまでだが、誰もが移動にあたって必ずしも転送ゲートしか使わないわけではないことは住宅同士をつなぐ道路の存在からも明らかだった。

 凌順自身は運転免許を持ってないけれど、免許をとってはしゃぐ同級生や自家用車を自慢する上司や休憩時間中に中古車カタログに目を輝かせている同僚を見ていれば、自動車の存在理由が移動手段のみでないことはなんとなくではあるが理解できる。

 服装や住居においてニンゲン文化を模倣している猫人たちが自動車を避ける理由はなんなのだろう。

「ヒスイで作れるだろうにな」

 思考が思わず口から漏れた凌順を芽衣が見上げる。

「なにがです?」

「クルマとか自転車がどうして走ってないんだろうって思ってさ」

「あ、確かに。そうですよねえ」

 芽衣もきょろきょろと町並みに目を向ける。

「街自体が大きくなくて、どこかへ行こうとしても歩いて行ける範囲だから必要ないとかじゃないですか」

「確かにそれが合理的な考えだろうけど……。でも、田舎に住んでる従兄弟は歩いて五分のコンビニだって自動車で行くんだよな。歩いて行ける範囲に街の規模が収まってるから自動車が必要ないってのは、どうなんだろ」

 続ける。

「なくても問題ないことは確かだろうけど、あった方が便利なことも確かなわけでさ。どうして作らないんだろな」

 一瞬、運転技能を習得するのがハードルなのかと思ったがおそらくは自動車の運転より高度な技能を要するであろう発光結晶体を扱っていることを考えれば、自動車の運転だってできそうな気がするし、なんならニンゲン文明を超えた機械を生み出しているヒスイにお願いすれば個人的な能力を要しない完全自動運転車を作り出すことも可能じゃないのか――などと思う。

 考えれば考えるほど自動車が存在しない理由がわからない。

 そんな疑問に〝ひゅん〟が明かした答えは単純なものだった。

「ニンゲンの自動車は猫にとっては〝悪魔の殺戮機械〟でしかないからな。人間世界における猫の死因で圧倒的に多いのが自動車なんだ。恐怖や嫌悪が先に立って作ろうとは思わないさ」

「なるほど」

 ようやく納得した凌順は会議室での〝うず〟の言葉を思い出す。

 同じことを思い出したらしい芽衣が寂しげにつぶやく。

「〝うず〟さんはニンゲンに対してもきっついこと言ってましたね」

「うん。でもしょうがないかなあ」

 そんな凌順と芽衣に〝ひゅん〟が気にするなとばかりに。

「〝うず〟殿は元野良だからな。どうしてもニンゲンにはいい印象がないんだよ」

 そう言われれば納得は行くけれど、それはそれで凌順には違和感があった。

「でもさあ」

「うん?」

「〝うず〟さんって野良っぽくなくない? 喋り方とか」

 なんとなくの印象ではあった。

 〝ひゅん〟が笑う。

「喋り方はたぶん飼い猫に対する、あるいは自分が野良であることに対するコンプレックスだろう」

「コンプレックス……か」

 コンプレックスが強いということはそれだけプライドも高いということだろう。

 それがわかっているから〝らる〟も〝うず〟を納得させるために〝なにかあったら凌順たちをその場で処刑する〟と言わざるを得なかったのかもしれない。

 逆にいえば〝世界最初の猫人〟という、凌順の世界でいうところの〝人間国宝〟や〝生きる文化財〟に相当するような〝らる〟にそこまで気を使わせるくらいめんどくさい性格ということである。

 そこまで考えて、ふと思う。

 そんな〝うず〟を一瞬とはいえ黙らせた〝あれ〟は一体なんだったのか。

 〝らる〟は芽衣から〝いただいた画像〟と言っていた。

 ということは、おそらくそれはタブレットに保存されていて、霧の魔女に見せたのと同じものなのだろう。

 思えばずっと気になってはいるが未だに訊けずにいる。単に訊くタイミングを逃がし続けているだけなのだが。

 積極的に訊きづらい理由は確かにあった。

 タブレットが芽衣の私物だということである。

 凌順自身は他人の――それも異性の持ち物について興味を示すこと自体が〝卑しい行為〟だという感覚を持っていた。

 それはいわゆるモラル云々というだけでなく、興味を持ったところでそれを持ち主に知られようものなら〝きめえ〟と嫌な顔をされるのが当たり前の高校時代を送ってきたこともおおいに関係あるのだろう。

 そんなことを思いつつも〝訊くなら今だ〟とばかりに問い掛ける。

「芽衣ちゃんが〝らる〟さんに渡した画像ってさ、あれって霧の中でも見せてたやつだよな」

「そうですよ――」

 凌順が〝どんなの?〟と問うより先にショルダーケースからタブレットを取り出す。

「――これですけど……見せてませんでしたっけ?」

「見てないよ」

 言いながら芽衣がかざすタブレットに目を向ける。

 タブレットの中でセーラー服の芽衣と見覚えのあるブレザーの女子高生が頬をくっつけて笑っていた。

 そのブレザーがロクデナシと同じものであることに気付いた時〝ひゅん〟のポケットでスマホが着信音を鳴らす。

「管理局から」

 〝ひゅん〟が発信者表示をつぶやいて回線をつなぐ。

 そして、すぐに顔色がかわる。

「……わかった。〝らる〟様には私からお伝えする」

 回線を切って〝らる〟を見る。

「逃走中のロクデナシですが、死体が中央広場で見つかりました」

「中央広場?」と〝らる〟。

「死体?」と凌順。

「多くの目撃者がいた中で空から落ちてきたとのことです。石畳へ激突した衝撃で原型をほとんど留めてませんでしたが、形状復元機で戻した結果〝なぎー〟の記憶から再現したロクデナシの形状と一致しました」

「なるほど。では、まちがいないのでしょう」

 頷く〝らる〟に続いて凌順が首を傾げる。

「でも、どうして空から」

 〝ひゅん〟もまた釈然としない口調で答える。

「追われるうちに誤って転送ゲートの開放位置を上空に設定してしまった、か? ただ――」

「ただ?」

「〝なぎー〟から奪ったヒスイが中央広場のどこにもないそうだ。ガラス質の結晶だから落下の衝撃で砕けたのかしれない」

 芽衣がつぶやく。

「誰かが持っていっちゃったとか……」

 〝ひゅん〟が芽衣を見る。

「猫人はみんな持ってるからそんなことをする必要はない」

 凌順がぽつり。

「じゃあ、ロクデナシの仲間がいて、そいつが持っていった……とか」

 その言葉には〝ひゅん〟も納得したらしい。

「遺失物追跡機を出すように指示しよう」

 その名前から〝なくした物を探す機械〟らしいことを察する凌順の前で〝ひゅん〟が改めて管理局へ回線をつなごうとした時、一瞬早くスマホが着信音を鳴らした。

「〝なぎー〟?」

 〝ひゅん〟がディスプレイの表示を一瞥して回線をつなぐ。

 そして、短い会話のあと――

「なるほど。わかった。ご苦労さん。あと、逃走中のロクデナシが死体で見つかったが〝なぎー〟から奪ったヒスイが見つからないらしい。遺失物追跡機の手配を」

 ――それだけ告げると通話を切って〝らる〟に向き直る。

「管理局への侵入を手引きしたのは〝うず〟殿でした」

 凌順がつぶやく。

「思ったより早かったな。あっさり認めげろったか」

 その意外と感じたことを隠さない口調に〝ひゅん〟がため息をつく。

「〝うず〟殿は否認してるが別室の〝ぽの〟殿があっさり認めた」

 凌順はその言葉に終始おどおどしていたぶち模様の猫人を思い出す。

 確かにあの様子から嘘がつけるタイプには見えなかった。

 〝ひゅん〟が続ける。

「〝ぽの〟殿の話では町の西にある誘導塔に置いた罠泡にかかっていたのを〝うず〟殿が転送ゲートで管理局へ跳ばしたと」

「目的はやっぱり?」

 問い掛ける凌順に〝ひゅん〟が頷く。

「〝なぎー〟を人質にとった時に言ってた通りだった」

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