特級勇者のメンヘラ姉妹〜俺を巡って騎士団が壊滅しそうです〜
四葉奏多
第1話 まだ平和な日常だったあの頃
ヴィブロス家には、三銃士と呼ばれる神聖騎士団の中でも指折りの実力を持つ三姉妹がいた。
長女のヴィーナは、三姉妹の中だけでなく、王国全体で見てもまさしく最強を謳うに相応しい存在だ。騎士団を目指す女性の多くは彼女に憧れ、また異性からの人気も凄まじい。
次女のセレナは、一言で言えばギャルだ。ノリもフットワークも軽いし、騎士道を重んずるヴィブロスの家系から彼女のような奔放人が生まれたのは先祖を辿っても見ないらしい。ちなみ、彼女は俺と同い年だ。
三女のアナスタシアは、言葉通りの文学少女。次女のセレナとは正反対な性格をしており、いつも屋敷の書物殿に入り浸っている。
と、簡単になってしまったが、以上がフィオネ神聖王国の切り札と呼ばれし三銃士————ヴィブロス三姉妹の紹介になる。
彼女たちが一人でも出陣すれば戦況は覆り、それ以上兵士たちの血は流れない。こんな大袈裟な例えを生み出してしまうほどに、三姉妹の実力は他の騎士に比べて別格ということだ。
けれど、俺は知っている。彼女たちが唯一、血を流す現場を生み出してしまう状況が存在することを。
それは俺、ロイゼ・ホーシンが下宿して暮らすヴィブロス家の屋敷である。
「ロイゼ様、そんなところで何をなさっているのですか?」
屋敷にいるメイドを統括しているメイド長のダフネさんが、玄関で靴に履き替えている俺の背中を見つけて話しかけてきた。
「それにまだ朝食は—————————」
「いただきました!」
「あら、可愛い」
口いっぱいに頬張り、半分が口から飛び出しているサンドイッチの存在に気づくと、ダフネさんは目を見開いて大きく驚いた。
「でも、こんな早くから鍛錬に?」
彼女の問いに答えるべく、大きな嚥下音を立てながらサンドイッチを一気に飲み込む。
「は、はい。友達と待ち合わせをしていて」
「なるほどそうでしたか。一応ゴーティン様にはお伝えしておきますね」
ヴィブロス家当主であるゴーティンは、神聖騎士団の団長を務めている。今日は非番だが、普段なら彼のもとで厳しい訓練を受けているため、一応の詳細は連絡してもらった方がいいな。
「お願いします」と、ダフネさんに頭を下げて、屋敷を出ようと扉に手をかけようとしたその時、悪寒が背筋に走った。
振り返っても、そこにいるのはダフネさんだけ。気のせいだと判断し、その場で会釈して再び扉に触れようとすると、
「ねぇ、私に何か言うことないの?」
今度は明らかに、アイツの声が背後から聞こえた。
このまま振り返ることなく扉を開けて屋敷を出ることが最適解だと、これまでの悲惨な経験が信号を送っている。振り返ったらその先に待っているのは、監禁生活だとわかっているから。
「‥‥‥セレナ、いたんだね」
「いたわよずっと。姿を変えても私に気づいてくれると思ったのに。朝から傷つけてくれるじゃない」
「えっと、朝食を摂ってると思ったんだ。だから違うかなって」
まずは、機嫌を直す。屋敷を出るならその後だ。
「えぇ、食べたわ。食べたけど‥‥‥ちっとも美味しくなかった」
「俺が食べたサンドイッチは美味しかったよ?」
「ロイ君が食べていたサンドイッチなら私も食べたかったわ」
何やら含みのある言い方をしているが、これも日常茶飯事のこと。反応すれば彼女のペースに持っていかれることは確実だった。
どう対応すればいいのか戸惑っていたその時だった。彼女が異性との一線を踏み越えてきたのは。
「やっぱり、愛してる人同士が食べるご飯が一番美味しいのよ。わかるよねロイ君?」
白く細い腕を俺の首に回してくると、そんな台詞を耳元で囁いた。
「た、確かにみんなで食べるご飯は美味しいよね」
「‥‥‥焦らしてるわけ?本当は気づいてるくせに」
豊満な胸を背中に押しつけ、さらに密着度を高めてくると、心なしか彼女の鼻息が荒くなってきた。
「ねぇ、今日はこのまま出掛けていいからさ。代わりにいつものやつやってよ」
「え、いつものやつって?」
「今日まだ、好きって聞いてないんだけど?毎日言ってくれるって約束だったじゃん」
そんな約束は断じてしてない。すれば、他の姉妹に殺されるのが目に見えてるからだ。兵士として何よりも命の重みを知っている俺は、そんなハイリスクゼロリターンなことは絶対にしない。
だが、仮にもその言葉を今言わなければ、徐々に彼女の抱擁は強度を上げ、俺の脊椎を粉々にするまで抱き続けるだろう。実際、さっきから締め付ける力がどんどん強くなっている。
今死ぬか、後で死ぬか。二つに一つの選択の中、俺が取った選択肢は前者だった。
「セ、セレナ」
「うん。なぁに、ロイ君」
「俺、セレナのことが、す、好ぎゃぁああああああ!!」
愛を言葉にしようとした瞬間、屋敷で放たれてはいけない炎の塊が、俺の背中を抉ると共に玄関の扉ごと燃焼した。タチが悪いことに、セレナは瞬時に俺のそばを離れて、魔法を撃ってきた張本人に立ち向かっていた。
「三姉妹協定を破ったわねセレナ。私だって、朝からロイゼとイチャイチャしたいのだけれど?」
突き出している左手を焦がし、額に青筋を浮かべながらセレナを睨みつけているのは、帝国最強と呼び声高いヴィブロス家長女、ヴィーナだった。
「協定?そんなの姉さんとアナが勝手に決めたことでしょ。私は最初から参加してませーん」
「‥‥‥殺されたいのかしら」
「へぇ、できるの?いくら姉さんでも、簡単に殺せるほど私って弱くないんだけど」
既に負傷者が一名出ている中、周囲の住民たちにも被害を及ぼそうとするこのイかれた姉妹たち。ちなみに、父ゴーティンの手前では比較的おとなしく、俺へのスキンシップもほぼ無いと言っていい。皺寄せとして、家に戻ればこうして俺を巡って殺し合いが始まるわけだが‥‥‥。
果たして俺に、平穏は訪れるのだろうか。
その日、非番だった俺の予定は、結局三姉妹たちのおかげで吹き飛んだ。まず最初は病院に向かい、治癒魔法による火傷の治療から始まった。ヴィーナ姉さんが直々に治してあげると言ってくれていたが、前に媚薬の混じった薬を飲まされたことがあったため、大人しく騎士団直属の軍病院に顔を出すことにした。
事の発端を起こしたセレナはと言うと、案の定最強の姉に敵うわけがなく、しっかりと心を折られて今頃は自室にて枕を濡らしている事だろう。どう抗ってもあそこの上下関係が変動することはないため、たまにセレナのことを不憫に思うこともある。
そして、今回の一件に何ら関わりのない三女は。
「よしよし。痛かったよねロイゼ兄様。今度同じことしてきたら、このアナに教えてくださいね?」
夜勤明けで申し訳なかったが、軍病院で勤務していたアナスタシアに回復治療を施してもらっていた。椅子に座る俺の傷跡を左手で触診し、空いた右手で頭を撫でながら治療を受ける俺に対して、その場にいる兵士の殺意が込められた視線が傷よりも痛かった。
「怒るとすぐ炎魔法使ってくるのどうにかできないかな?」
「悪気はないと思いますので許してあげてください。私たちは皆んな心の底からロイゼ兄様を好いていますから」
正面向かって言われると、流石に照れる。
そりゃ、難を抱えている姉妹だと認識していても、これだけ容姿の整っている可愛い女の子に好きと言われて嫌な男はこの世にいないだろう。
兵団内じゃファンクラブまで結成されてるらしいし、こういう発言は兵士の前でしないよう今のうちに頼んでおこう。
「あのさアナ。そういうことを他の人の前で言われると俺——————」
「それとヴィーナ姉様は加減を知りませんからね。あんなゴリラの権化のよりも私を妻に迎えた方が、温かい家庭を築けると思うんですよ」
「‥ ‥‥え?」
聞き間違いだろうか。今、彼女の口からゴリラという単語が聞こえた気がした。それも実の姉のことを指して。
「今、なんて?」
その疑問の言葉は、頭で思い浮かぶよりも先に声に出されていた。
「あ、なんでもありませんよー。ちなみにロイゼ兄様は子供は何人欲しいですか?」
「な、なんでもないって‥‥‥え、てか子供?」
「はい。何人欲しいですか?」
なんだろう。この無理やり彼女の世界観に取り込まれていく感覚は。セレナの時もそうだが、話を自分のペースに持っていくこの強引なスタイルは、強く遺伝を感じさせる。
「えっと、じゃあ‥‥‥二人とか?」
「えへへ。私とロイゼ兄様が結婚したら、それで済みますかねー?」
いや、アナと結婚するの前提なの?
心の中で問いかけた言葉を口に出すことはない。どうせ、返ってくる返事は一つなのだから。
「あ、俺この後、騎士団長に用があったんだった」
あまり使わない方がいい逃げの常套句を反射的に口にする。何故なら、父親の名を出せば彼女たちは自然と手を引いてくれるからだ。
「お父様に?」
「あぁ、えっと、何の話かわからないんだけど呼ばれてて」
「もしかしたら配属移籍の話かもしれません。でしたらその時はアナスタシア軍の名を口にしてくださいね?ロイゼ兄様ならいきなり”私の”副将にしちゃいますから!」
もはや治療はそっちのけ。アナの目はこちらに焦点があっておらず、僅かな微笑みを見せていた。何を想像しているのかわからないが、いつの間にか傷は癒えていたため、俺は静かにその場を跡にした。
「ホーシン二等兵!」
一人の兵士が帰宅しようとする俺の背中を捕まえた。
「どうしました?一応俺、今日は非番なんですけど」
正直、もう家に帰って何も考えずベットで横になりたい。そう思っていた矢先の出来事だったから、少しだけ億劫に思っていた。
俺宛ての伝言、騎士団長からの招集命令を耳にするまでは。
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