1話 追放

「……ごめんよ。ラカ……」


アリンガの声は、魂が枯れてしまったようにか細く、今にも消えてしまいそうだった。しかしその声は、不思議と川の轟々と流れる音にかき消されることなく、カルの耳に届いていた。


その数時間前……


家族そろっての最後の夕飯。ラカはスープに入れられた睡眠薬で眠らされた。


祖母シャンテは真紅に染まった前髪をかけぬので覆い、ラカの腰に薬袋を結びつけた。


「つらい運命じゃな、ラカ。じゃが、お前のことを信じとるよ……」


シャンテの瞳は悲しみの中にありながら何かを見据えているようだった。


毛布を敷き詰めたボートにそっとラカを寝かせる。


父親のカルは鍛冶屋見習のハンマーを、母親のアリンガは丈夫な布でできた帽子をラカの側に置いた。


まるで棺のようなボート。真っ白でオールなど漕ぐための設えはなく、ただただ流れに身を任せるような、器のような形をしている。


今、国護りの壁に一番近い船着き場から両親の手で送り出されようとしていた。


 ”白きことを守れ”


この掟には逆らえない。前髪に真紅の色が出てしまった十歳のラカにあまりにも残酷な運命。五つくらいまでは泣き虫で、お出かけの時はいつも母の手を離さなかった。鍛冶屋見習いを始めてからは、明るくやんちゃな男の子になったが素直ないい子だった。ただ、好奇心が強く両親以外にもいろんな質問をして大人たちを困らせていた。


「炭鉱夫ってどんなお仕事?僕もやってみたい!」


「なんで壁から外には出ちゃいけないの?」


「森は怖いとこって言うけど本当?誰が見てきたの?」


思えばあの頃の好奇心は、色が出る前兆だったのかもしれない。気づいていれば防げただろうか?この可愛い息子を守れただろうか?


これまでの思い出と後悔や期待、そして包み込む愛、全ての感情が入り乱れ、家族は身を切られるような悲しみを抱きながら、自らの手で”追放”しなければならない。


別れの夜、執政官が国護り壁のすぐ手前にある跳ね橋を上げる。一隻のボートがやっと通れるほどの隙間から、漆黒のマヴロスの森が垣間見えた。


母は息子が送り出される森の闇を見て、その場に力なく座り込んでしまった。


「アリンガ、掟には逆らえない……

さあ、もうお別れだ。」


両親の手から離れたボートが、流れに乗ってゆっくりと遠ざかっていく。


彼も胸が張り裂けそうだったが、これ以上見ていられず彼女に声をかけた。


「アリンガ、さぁ帰ろう」


「もう少しだけ……せめて、見えなくなるまで、あの子を見送らせて。」


声にならないかすれた泣き声さえも押し殺そうとしながら、瞬きひとつせずに見つめていた。


街と船着き場までの道をつなぐ“別れの桟橋”から先は、悲しみと掟の威厳が張り詰めたような空気を生み、人の姿もまばらだった。今夜も、そこに立つのはカルとアリンガ--ふたりだけだった。


翌朝、カルの住む町に国の政を司る白叡院(はくえいいん)がやってきた。白の厚みのあるローブをまとい、フードを目深に被っていた。手にはお触書が書かれた立て看板を持っている。


街で一番大きな市場の中心にある井戸の側に、立て看板を打ち立てた。


白叡院が来ることは珍しく、市場にいた人たちや噂を聞きつけた人たちが集まってきた。


立て看板を取り囲むように人だかりができたころ、井戸の周囲で一段高くなっているところに白叡院が立ち、御触れを読み上げた。王国では彼らを”叡士(えいし)”と呼び、掟の伝道者として尊ばれていた。


「鍛冶屋のカル、実子に彩が出るも、自ら追放した。


 白き事を守ったカルに誉あれ」


民衆にざわめきが広がる。


「あのカルの息子さんが……なんと可哀そうに」


「アリンガ大丈夫かしら。わが子とをお別れしなければいけないなんて」


そんな声が聞こえてくる中、五つほどの女の子が父親に無邪気に問いかけた。


「追放って何?父さん」


「この国の掟で、体に色が出てしまった人はマヴロスの森にお引越ししなければいけないんだ。」


カルを知るその男は、カルの心情を思うと悲しみが沸き上がり、涙声になってしまった。


「そして、もう二度と帰ってこれない。悲しいが、仕方のないことなんだよ」



「私も追放されるの?」


女の子は怖くなり、父親に大きな声で問いかけた。


その会話を聞いていたのか叡士が御触れに付け加えるように、杖を地面にトントンと打ち鳴らし再び声を発した。


その声は威厳に満ちており、民衆は自然と首を垂れた。


 ――汝、彩りを望むなかれ。

   白がもたらす等しさを重んじよ。


   汝、授けられし生業に背くことなかれ。

   血筋を重んじよ。


   汝、外界を望むなかれ。

   壁に守られし和を重んじよ。


   白を善きとし、白きことを守れ。


   彩りを欲さず、富を欲さず、

   他を羨むなかれ。


   外聞を広めることは、

   大いなる闇を呼び込む事と知り、


   皆で手を取り合い、安らけく、

   平らけく、永き安寧を祈るべし――


「王・ラフコスの時代から守られてきた掟。長い泰安の世を築かんがため、この先も皆でこの掟を守っていこう。白き人々に誉あれ」


女の子は叡士の声に畏怖を感じたが、色が出てしまった人が追放される理由を何となく理解した。そして自分には色が出ていないので追放はされないと安心したようだった。


叡士が帰った後もラカを知る人々はそれぞれに悲しみ、カルとアリンガを悼んだ。


ある者は共に泣き、ある者は励まし、ある者は掟を守ったことを称えた。


この数十年、追放者が出たことはなく、老人でさえも実際に追放の儀式が行われた事を見聞きした者は少なかったが、誰もがカルのとった行動を当たり前のように受け入れた。


皆の優しさのおかげで、少し元気を取り戻す夫婦。


祖母は森の方を向き、何かをつぶやきながら祈ることが日課になった。


――白と影、稜線だけで可視化される、不思議な王国。


ラカの家族に起こった悲しい出来事も”偽りの和”が覆い、再び日常が戻ってきた。


一方、トラビタ川を下るボートは、”赤を宿す子”ラカを乗せて漆黒のマヴロスの森へと飲み込まれていった。


そして、ラカの運命は見知らぬ森の中で目を覚まそうとしていた。

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