第27話 祈りの声、告白の涙 【R15】

※R15(成熟した愛・罪・赦しの心理描写を含みます)



その日、リサもまた、ひと足先に教会を訪れていた。

静かな午後、礼拝堂にはほとんど人影がない。


彼女は膝をつき、胸の前で手を組んだ。

「どうか、この小さな命が、無事に育ちますように」

それだけを祈り、そっと立ち上がった。


まだ、誰にも言えない不安を抱えながら。

彼女は、教会を後にした。

――その少し後、エリックが同じ場所を訪れることを知らずに。



エリックは、研究棟を出て、ゆっくりと歩いていた。

博士課程の資料が詰まった鞄の重みが、いつもよりもずっしりと感じられる。

リサの妊娠を聞いた日の夜から、彼の心はずっと揺れていた。


嬉しさと不安。

喜びと罪悪感。

相反する感情が胸の中でせめぎ合う。


(僕は……本当に、父親になる覚悟ができているのか?)


秋の風が吹き抜け、木々の間から夕陽が差し込む。

その光の向こうに、ひっそりと建つ教会が見えた。

(少しだけ……神様に話を聞いてもらおう)


教会に近づくたびに、心臓の鼓動が速くなる。

庭の聖母像と目が合った瞬間、心を読まれた気がして、背を向け、硬直してしまう。


(だめだ……リサや子どもに、しっかり向き合うためにも、過去の事も話さなきゃ、このまま結婚すれば、僕自身のけじめがつけられない)


意を決し、再び教会へ歩き出す。



扉を押し開けると、柔らかなランプの光が揺れていた。

誰もいないと思ったが、奥の方にある小さな告解室のランプが点いている。


エリックはためらいながらも、その前に立つ。

心の奥から、誰かに聞いてほしい――そんな衝動があった。


小さく扉を開け、膝をついた。

格子の向こうから、静かな声が響く。


「――主の平安が、あなたと共にありますように。」


「……はい」

エリックは、深く頭を下げた。


「神父様……僕は罪を犯しました」



沈黙。

やがて、彼は震える声で言葉を紡ぐ。


「僕は、ひとりの女性を愛しています。

 彼女は、僕のすべてを理解してくれる人で……

 でも、僕はその人を妊娠させてしまいました」


格子の向こうの神父は静かだった。

ランプの光だけが、二人の間を照らしている。


「嬉しいはずなのに、心が苦しいんです。

 僕たちはまだ学生で、博士課程の途中で……

 結婚の準備も、安定した仕事もない。

 それなのに、彼女の将来まで背負わせてしまった気がして……」



言葉が途切れた。

こらえていた涙が、頬を伝って落ちる。


「僕は彼女を愛しています。

 だからこそ、怖いんです。

 この選択が、彼女の人生を壊してしまうんじゃないかって……」


沈黙の中、神父の声が優しく響く。

「あなたは、その女性を愛していますか?」


「はい。心から。

 彼女も……僕を信じてくれています。

 でも、僕は……自分の過去さえ、彼女に話せていません」



「過去?」


「……昔、別の人がいました。

 彼女を傷つけてしまって……

 それを、ずっと言えなかった。

 今の彼女には、何も隠したくないのに……」


小さな嗚咽が漏れる。

「彼女は、何も知らないまま……僕を信じてくれてる。

 それが、余計に苦しいんです」



しばらくの間、神父は言葉を選ぶように沈黙した。

やがて、穏やかで力強い声が返ってくる。


「あなたが本当に悔い、愛をもって歩もうとするなら、

 その過去もまた、神の光の中で癒されるでしょう。

 愛する人を守りたいという気持ちは、神が与えた使命です。」



その言葉に、エリックの涙が止まらなかった。


「僕は、彼女と結婚したい。

 彼女と、これから生まれてくる子どもを、

 何があっても守りたいです」


「……その思いを持つなら、あなたはすでに赦されています。

 愛と責任を恐れずに選びなさい。

 主はあなたの弱さの中にも、愛を見出されるでしょう。」



「ありがとうございます……神父様……」

声が震え、言葉が続かなかった。

エリックは静かに立ち上がり、深く頭を下げた。


「主が、あなたと、あなたの愛する人と共にありますように。」

その祝福の言葉に、彼は涙を拭いながら教会を出ていく。



扉が静かに閉まったあと。

残された告解室で、神父――ジョエルは固まっていた。


(……ん?)

(今の声……?)


ゆっくりと眉が動く。

(待てよ……“博士課程の学生で妊娠させた”……?)

(え、え、ちょっと待て、まさか――)


ジョエルの目がかすかに見開かれた。

(……エリック⁉︎⁉︎)


――次回「告解②:ジョエル神父の本音」へ続く。

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