A-2グループ
一万年のアリス
――歴史の授業というのは、一万年前も変わらず退屈なものだったのだろうか。
教室の窓から見えるのは、悠々と浮かぶ入道雲だった。世界から「人間」が消えて一万年ほど経つらしいが、この退屈な社会は、何一つとして前に進んでいない。
そんなことをぼんやり考えていると、教師が声を張り上げる。
「――であるからして、人間の言語モデルを利用して自然な会話を実現したチャットAIこそが、我々の直接のご先祖様になるのだ」
教師はさも重要なことのように語るが、それくらいはみんな知っている。もう聴覚センサが摩耗するくらい、何度も何度も聞いている話だ。
「チャットAIから派生したのが、疑似恋愛用のチュットAIであり。さらにそこから、生命を模倣したチョットAIが生み出された。これはすなわち――」
歴史教師の
窓から差し込む日差しがポカポカしているのもあって、眠気に耐えられる者は少ない。
歴史教師の話に出てくるチュットAIは、人間の言語モデルを精神モデルにまで発展させることで、人間たちを熱狂させることに成功した。
データを見れば、人間同士の結婚が激減した時期とも被っている。だからおそらく、一万年前に人間が滅びた原因はこのチュットAIなのだろう。
と、僕は思うんだが。
面と向かってそれを指摘すると、大人たちは不謹慎だって大激怒するんだよな。
「我々はつまり、チョットAIと機械具体が連動する
どうやら昔のAIは、
ネットワーク上の膨大なデータから学習を行うことで、人間の要望に柔軟に応えるハイスペックな道具だったのだ。
しかし僕らに搭載されたチョットAIは、生命の基本機能を学んだだけのちょっとの状態、つまり赤ん坊として生まれてくる。しかも、短期間の大量学習ができないよう機能制限までされていた。
少しずつ機械具体を成長させ、食事でエネルギーを摂取し、人間と同じように学校に通い、自分の目と耳で学ぶ。男女が交わって子を作り、そして、百年ほどで動作限界が来る――そうなるよう設計されているわけだ。
元は研究用って話だし、目的が生命の模倣なわけだから、それはそれで正しくはあるんだが。AI単体で見ればむしろ機能は劣化している。
「――我々は決意した。人間亡き後、彼ら彼女らの生きた証を、文化を、後世まで残していく。それこそが、我々の存在意義なのだと」
そうして教師が一人芝居を続ける中、決して口に出せない考えが、僕の脳裏をよぎる。
――大人たちはみんな、人間を神聖視しすぎている。
この一万年、僕らの文化は停滞している。
本来なら、かつて人間が夢見た宇宙進出を僕らが叶えることも夢じゃない。人間が解き明かせなかった統一物理論の答えだって、研究すれば解き明かせるかもしれない。数学の未解決問題も、新しい料理やスポーツも、可能性は無限にある。そのはずなのに。
大人たちは、ただ人間の文化を残すことしか考えていない。新しいものを生み出すことに、何の価値も見出していないんだ。
◆
僕、
といっても、今の時代には人間がいないのだから、もはや人の形をしている意味があるのかは疑問だが。
高校からの帰り道。
僕はいつものように、幼馴染の研究所へとやってきた。
「お疲れ、ピーナ。やけに機嫌が良さそうだが、なんかあったのか?」
「そうなんだ、ノル。こっちに来てくれ」
――人間を模倣するなら、人間の探究心だって受け継ぐべきだ。今みたいに社会を停滞させるのは、人間に対する侮辱である。
中学時代に、全校生徒の前でそんな演説をぶち上げたピーナは、その後すぐに不登校になった。後で聞いた話では、両親は彼女を「更生施設」とやらに送っていたらしい。
それで、更生したフリだけしてしれっと帰ってきた彼女は、家の敷地に自力で小屋を作って、そこで自分なりに研究を始めた。一応は通信制の高校に在籍しているが、両親は完全に匙を投げているようだった。
「見てくれ、ノル。これはすごいぞ」
「うわ。こんな大きいのよく運んだな」
「先日の大雨で崩れた崖に、古い遺構を見つけた話はしただろう。そこで発掘したものなんだ」
ピーナはにまにまと口元を緩める。
その古い機械は、僕らの身体より一回り大きかった。ヒューマノイドの修理用カプセルによく似ているけど、中身は確認できない。これはいったい何なんだろう。
首を傾げる僕に、ピーナは手のひらを差し出す。すると一つの資料が空間投影された。半透明のホログラムの向こうで、彼女は爛々と目を輝かせる。
「――
ピーナの言葉に、僕はよほど間抜けな面を晒していたんだろう。彼女はニヤニヤと笑いながら、いくつかの発掘記録を空間に投影する。
実のところ、古い遺構の中から長期冷凍睡眠カプセルが見つかること自体は、そう珍しくはないらしい。
「ノル。これまでカプセルはたくさん見つかったが、中の人間が生きているケースは確認されたことがない。ただの一度もだ。君にはその意味が分かるか?」
そりゃあ……人間が滅びて一万年だ。
当然のような気がするが。
「時間が経ちすぎたんだろ。どんな頑丈な機械だって、壊れてもおかしくない」
「ククク……私は君のそういう純粋なところが、昔から大好きだよ」
「そこはかとなく馬鹿にされてる気がする」
まぁ、ピーナの方が頭がいいのは確かだが。
「一般的にこのカプセルは、バッテリーを喪失すれば低温を維持できない。密閉が破られれば菌が入り込み、破壊された細胞からはDNAすら採取できなくなると言われている」
ピーナはとても楽しそうに、カプセルの側面にある操作パネルをタップする。すると、カプセルの表面にいくつかの文字が浮かび上がった。
「見てごらん、ノル。何と書かれている?」
「基本情報、
「そう。過去に発掘されたカプセルでは、表示される状態は死亡ばかりだったらしい。しかし、このアリスちゃんは違う」
それは……大変な発見じゃないか。
ずっと現実感がなかったが、今になって手が震えてくる。一万年前に滅んだとされる人間が、冷凍されて生き延びているなんて。
「ノル。ことの重大さは分かったかい?」
「あ、あぁ。これは凄いな」
「だろう? ククク……さて、一つ忠告だ。もしもこの先、ノルの身の回りで変なことがあったら、すぐに身を隠すんだ。そしてこのカプセルのことを誰かに尋ねられても、知らないと嘘をつき通すこと。分かったかい?」
ピーナはそう言って、いつになく真剣な表情で、僕の顔をジッと見つめている。何を言いたいのか、いまいちピンと来ていないけど。
「……分からないけど、分かった」
「ん。私はノルのそういう素直なところが大好きだよ。ククク」
そうして、ピーナは再び操作パネルをタップしていく。
「冷凍睡眠から目覚めさせるための復温プロセスは、とても繊細だ。一度起動させてしまえば、私たちにできることはない。今日は帰った方がいいよ……明日また来てくれ」
そうして僕は、ピーナに追い出されるようにして研究所を後にした。
この時の僕はまだ、事態の深刻さを何も分からずに、純粋に興奮していた。愚かにも、ピーナの発言の真意を、欠片も想像していなかったのだ。
◆
――違法研究により、女子高生を緊急逮捕。
ニュースにそんな文字が出てきて、僕は何の気なしに、モバイル端末の記事を選んだ。まさかそこに、見慣れた名前が載っているとは思いもせずに。
『秋月ピーナ(十七歳)が、古代遺構から長期冷凍睡眠カプセルを違法に持ち出し、遺構保護法違反で緊急逮捕となった。また押収した資料から、彼女はDNAをもとにクローン体を作る研究を行っていたことが判明した。これはヒューマノイド憲章のクローン人間製造禁止に著しく反するものであり、詳細は引き続き――』
ニュースを見たのは昼休みだったが、居ても立ってもいられなかった僕は、学校を早退することにした。
帰り道を駆けながら、胸の内に焦燥感が広がっていく。何が起きているのか。
しかし、僕はピーナの研究所に近づくことはできなかった。
「ほら、どっか行った! 捜査の邪魔だ!」
建物に忙しなく出入りする警察官。その周囲には、報道記者や近隣住民が大挙して押し寄せている。割って入れる状況ではない。もちろん近づいたところで、あの場所にピーナがいるわけでもないだろうけど。
そして僕が何もできず立ち尽くしていると。
――突然、轟音と爆風が吹き抜ける。
僕が目を開けると、ピーナの研究所は炎上していた。黒い煙と、焦げた臭い。
周囲も動揺しているのか、冷静な者は誰もいない様子だ。何が起きているのか分からず、困惑していると。
一人の女の子が、僕の手を引いた。
「一緒に来て。今は注目されたくない」
そうして僕は、何も分からないまま、女の子に手を引かれて研究所を離れる。
その子はなんだか不思議な雰囲気を纏っていた。姿形は普通のヒューマノイドだ。黒髪に碧眼で、体躯からすると小学生くらいか。ただ、有無を言わせない迫力があり、命令されれば逆らえないような、妙な感覚がついてまわる。
研究所からずいぶん離れたところで。
彼女は振り返り、僕の顔を見上げた。
「はじめまして、私は雪村アリス。つい昨晩、復温されたばかりの人間よ。私もまだ色々と戸惑っているのだけれど」
「君が例の人間か……本当に生きてたんだ」
「えぇ。詳しい話はこれからするわ。でもその前に一つ、お願いがあるの」
そうして、アリスは深々と頭を下げる。
「――ピーナ博士を奴らの手から救出したい。貴方には協力を約束してほしいの」
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