残光の箱庭

米田

第1章

プロローグ

 夜明け前の空は暗い。

 ただ遠くで燃えている炎の明かりがここまで届き、辺りを少しだけ明るく照らしていた。

 ほんの数時間前まであの寂れた研究所で仲間たちと暮らしていたのが、夢のように思える。


 遺体も何もかも、あの炎に飲み込まれてしまっただろう。あの子はやることなすことが大胆だったが、まさか爆破させるとは思わなかった。

 弔いとしては、あれで十分なのだろう。派手な炎に見送られ、本人も満足そうに微笑んでいるのが容易に想像できた。


 胸ポケットを漁ったが、精神安定のためにと吸っていたタバコはもう無いようだ。あの建物の中に落として来たのかもしれない。

 どうせ平和な世の中では吸ってなかった。世間が騒ぎ始め、パニックになって何もかも以前と違う様子になってから、同僚に渡された一本をきっかけに吸い始めたものだ。無いなら無いでもう諦めがつく。


 そう、全て諦めてしまえばいい。以前のような人が溢れた平和でくだらなくて騒がしい世界も、全てが自分好みで心地のいい環境も、頼りになる仲間も、それなりに仲がいいと思っていた家族も、全部。

 それでも諦めきれなかったものだけが、執着として私をこの世界に縛り付けている。


 視線を地面に落とすと、彼女は苦しそうな呼吸を繰り返し、汗をかきながら眠っている。致命的な所見があるわけでも無いので、後はもう彼女の回復力に任せるしかない。


 隣に座り込み、彼女の綺麗なオリーブブラウンの髪を撫でる。全体的に色素が薄いので、染めたのではなく地毛なのだろう。こんな世界でいまだに髪を染め続けている人間はいないだろうし。元々肌も真っ白で瞳の色も薄く、いつでもどんな暗いところでも光を拾ってキラキラと瞳が輝いていた。


 もう一度あの光を見たい。そして、私を見て笑ってほしい。彼女にとって、私と一緒にこれから先を生きていくのは幸せなのか、全く分からない。


 それでも、私にはもう彼女しかない。起きた時に、あの時死んでおけば、と言われれば共に幸せに死ねる薬を用意するし、生きたいと願うなら私が守るから、どうかもう一度。あの不思議な揺らぐ、響く声でまた私の名前を呼んでほしい。


『お姉さんみたいな素敵な女性に褒めてもらうの、嬉しいです』


 そう言って私に笑みを浮かべる彼女を思い出す。

 彼女の髪の毛を1束持って、唇を落とす。苦しそうに寝返りをうち、私の手から髪の毛がこぼれ落ちた。


「これから先、どうしようか。私の家にでも向かう?あそこはね、こういう非常事態に備えて設備がすごく整ってるんだよ。占領していたあのバカな弟ももういないし、あの村もどうせもう誰もいないでしょ。とりあえずそこに向かおうか。車もさっき近くに置いてあるの見たし、探してくるね」


 返事は当然返ってこない。

 汗で彼女の額にへばりついた髪を指で払う。


「ホノカちゃん、待っててね」


 そう言って私は立ち上がる。

 離れ難いが、あの村へ向かうのに眠った彼女を抱えて歩くのは現実的ではない。足が必要だ。

 ここへ村人達が来るために乗ってきた車両があるだろう。先ほど逃げる時に一瞬だけ見えた、それを探しに行くことにする。


 彼女の腕に着けているスマートウォッチが壊れずに作動していることを確認する。GPSが付いているので、仮にどこかへ攫われても探せるはずだ。


 私は彼女に背を向けて、歩き始めた。

 持っていた懐中電灯のスイッチを入れた。強烈な光が目の前を照らすが、届く光は数メートル先までだ。見える範囲は狭い。手探りで進んでいくしかない。私1人で。


 大きく息を吸って肺に酸素を回す。ここで挫けてなんていられない。足を一歩踏み出す。

 夜明けはまだ遠い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る