第12話 恋と自由

 お昼ごはんは館内のレストランで食べることにした。

 レストランに入ると、そこは壁一面が水槽になっていた。

 中には色とりどりの熱帯魚がたくさんいて、水槽の中を優雅に泳いでいる。


 水族館らしい、すごく雰囲気のいいレストランだと思った。

 せっかくだからと水槽の近くの席に座る。

 それからわたしたちはそれぞれに料理を注文した。


 わたしはマグロ丼と魚フライのハンバーガー、愛華はトマトカレーを注文した。

 メニューにはハンバーグやデミグラスソースのオムライスとかもあった。

 どっちもわたしの大好物だったから食べたいと思ったけど……。


 でもせっかくだから魚料理を食べたいと思って、それでわたしはこの料理を頼んだ。

 ……よく考えると水族館でしかも水槽の前で魚料理を食べるってなんか変な感じだ。


 お寿司屋さんにだって生簀はあってその前でお寿司を食べる。

 そこに違和感はないし、そんなに変じゃない気がする。

 お寿司屋さんは食べる場所で、水族館は鑑賞する場所だから、かな。


 うーん、でもこれ以上考えたらなんかよくない気がする。

 食事をしようってときには特に。

 食べられなくなるはちょっと悲しいし考えないようにしよう。


 届けられた料理を前に、わたしと愛華は「いただきます」と手を合わした。

 わたしがマグロ丼を食べていると、スプーンを手にした愛華がジト目で見てきた。


「どうしたの? 愛華」

「……なんていうか、変わった組み合わせだなって思っただけ」

「え、なにが」

「涼子が頼んだ料理の話よ」

「……そうかな」

「なんか、マグロ丼とハンバーガーって合わなそうじゃない?」

「わたしはそうでもないと思うよ。だってお弁当のときもご飯あるけどカツサンドとか食べたりするし」

「マグロ丼とハンバーガーはそれとは違う気がするんだけど。」

「え、そうかな」


 まあ食事に関してはやっぱり人それぞれだから、こういう認識の違いってよくあるよね。

 こういうところにもわたしと愛華の食事に対する考え方の違いが現れてくる。

 それを知れたことがなんとなく嬉しい。


 ……そう思うわたしは変なんだろうか。

 そんなことを思いながら愛華の料理に目を向ける。

 愛華の頼んだトマトカレーは綺麗な濃いめの赤色だった。


 こういう色のカレーを見たことがないから見ていると不思議な気分になる。

 名前と見た目からなんとなくおしゃれっぽい気がした。

 実際におしゃれかどうかはわからないけど。


「なに、どうかした?」

「あ、いや。そのカレー、どんな味するのかなって思って」

「……一口食べる?」


 愛華が上目遣い気味にそう言った。


「……え? いいの?」

「別にいいけど」


 愛華はスプーンで赤いカレーを掬うと、それをわたしの方へと差し出してきた。

 トマトの酸味の匂いが鼻につく。

 その匂いを感じながら愛華の差し出すスプーンを見つめて、わたしは固まってしまった。


 え、なに。ホントにいいの?

 ……夢? え、これ夢なの?

 だってこれ間接キスになるんじゃ……。


 そんなことを愛華が提案をするわけがない。

 いやそんなことは考えてもいないだろうから純粋に友達同士のやりとり的な意味だよね。

 愛華はわたしにそんな特別な感情を抱いてはない。

 だからこれはわたしだけが気にしているだけなんだ。


「どうしたの、涼子。食べないの?」

「や、その……。愛華ってこういうのは、その、平気なの?」

「こういうのって?」

「だ、だからほら、かん……じゃなかった。えっと、同じスプーンで、っていうの……」

「別に涼子相手なら気にならないけど」

「ごほッゴホっ」


 びっくりしてむせちゃった。

 だって、え? それどういう意味?

 わたし相手ならってどういう意味!?


 ……いやいや落ち着けわたし。

 これは友達だからとかそういう意味に決まっている。


「……なに、涼子はそういうの気になるの? そういうタイプには見えないけど」

「違う、違う!」


 むしろ愛華相手ならめちゃくちゃ嬉しい!


「ほ、ほら愛華ってさスキンシップ苦手なわけで……」

「? 触れ合いじゃないでしょ?」

「……たしかに」


 でも、いいんだ!?

 そっか、いいんだ……。


「なんかすごい嬉しそうな顔してない?」

「してないよっ」

「そう? ……というかそんな食い気味に否定しなくてもいいでしょ」

「あ、ごめんね」

「で? 食べるの!? 食べないの?」

「……た、食べます」


 とは言ったものの……。

 どうしよう、すっごいドキドキしている。

 わたしの心臓の音、愛華に聞こえてないよね?


 ちらりと盗み見ると、愛華は不思議そうにわたしを見ているだけだった。

 わたしは覚悟を決めてゆっくりと愛華の持つスプーンへと口を運んだ。

 そして……、スプーンを中身を食べた。


「どう?」


 愛華が聞いてくる。

 正直に言って味なんてよくわからなかった。

 でもたしかなことは愛華とこういうことができて、わたしはすごく嬉しいということ。


 その嬉しさは心の奥の奥。

 わたしでさえ知らないわたしの中心をぽかぽかと暖めた。

 その熱は全身に伝わって、言いようのない幸せを感じさせる。


 だからもしかするとこれは幸せの味とかいうもの、なのかも。

 誰かに聞かせたらそんな些細なことでって思われるのかもしれない。

 でもこんな日は来ないって思っていたわたしはそれだけで幸せになれるんだ。


 だから、わたしは――。


「……おいしい。すごくおいしい」


 幸せを噛みしめるみたいに、そう答えたんだ。



   ○



 お昼ごはんを終えて、わたしたちは休憩がてらベンチに座っていた。

 ベンチの前にあるガラスの向こう側にはペンギンたちがいた。

 ペンギンたちはよちよち歩いたり、水中を泳ぎ回っていたりしている。


「……囲われているとはいえ自由ね」

「そうだねー。食べるものにも困らないし、天敵もいないし。……好きに生きてるって感じ」


 まあ水族館のペンギン社会にもなにかしら苦労があるかもしれないけど。

 見ている側からしたら好きなことだけして生きてるように見えちゃう。

 その様子が可愛いから好きなんだけど。


「……あたしも好きなことだけしてたい」


 ぽつりと、愛華がこぼした。

 その声には憂いが滲んでいるような気がした。


「漫画だってそう。……ただ好きなものだけ描けたらいいのに」

「……」


 私もそう思う。

 好きなものを、好きな人を、ただ好きでいたい。

 好きだって言えたらいいと思う。


 その気持ちはまだ私の中にある。

 ホントは嘘なんか付きたくない。

 自由にしたい。


 でも何かを手に入れるためには、嫌なことだってしないといけない。

 何もかもを好きなようにして生きるのは難しい。


 愛華は立ち上がって、ガラスへと近寄る。

 わたしも愛華にならって彼女の隣に立った。

 その先にあるのはきっと自由だ。


「……あたし、連載取るためになんでもするって言ったでしょ」

「うん」

「嫌いな恋愛モノだって描いてやるって、今でもそう思ってる。……でも」


 愛華は一度言葉をきると、そっとガラスに片手を当てた。

 そしてゆっくりと吐き出すように言葉を続ける。


「それでいいのかなって、そう思うの。好きなものを押し込めて、嫌いなものを描いていて」

「……ホントに嫌いなんだ、恋愛」

「嫌い。……恋愛なんてわからないしわかりたくもない」

「……そっか」


 愛華に告白をする気はない。恋人になんてなれないって思っている。

 でも……。

 それでも少しショックだった。

 

 まるで本人からもありえないって否定されたみたいで。

 告白して振られたわけじゃないからまだ堪えられる。

 でもやっぱりどうしたって悲しいとは思っちゃうんだ。


 それでも――。


「でもそれを求められてる。だからあたしはそれをわからないといけない。……わかるようにならないといけない」


 愛華が言った。


「……わからないと本気になれない。本気になれないと熱なんて生まれない。読者が楽しめる漫画にならないから」


 愛華の横顔は、どこか迷子になってしまったみたいに見えた。

 ――それでも愛華が悩んでいるのなら、少しでも力になりたい、

 助けてもらってばかりだったから、わたしも愛華のためになにかしたいんだ。


 でも難しいことはやっぱりできないから、結局わたしにできることしかできないけど。

 それが愛華の助けになるかはわからない。

 でも少しでも辛くなくなればいい。


「……別にわかんなくてもいいんだよ」


 ホントはわかってほしい。

 できれば好きになってもらいたい。

 そうしたらわたしの好きな恋愛漫画を一緒に楽しめるかもしれない。


 なにより好きな人と同じものが好きっていうのは嬉しいから。

 でも愛華はわからなくちゃいけないって悩んでいる。

 ここでそれでもわかってほしいなんて言ったら愛華をさらに苦しめてしまう。

 だからここで言うべきなのは愛華の心労を少しでも和らげる言葉だと思う。


「たしかに知ることは必要だと思う。でもわからないままでもいいんじゃない?」

「……それじゃあ読者が楽しめる漫画なんて描けないじゃない」

「そんなことない、と思う。こういう展開が好まれてるって知ることは漫画を描く上で大切だけど、それの良さをわからなくたって漫画は描けるんだよ」

「……そうかな」

「逆にわからないことを利用すればいいんだよ」

「利用?」

「愛華は恋愛なんてわからないしわかりたくもないんだよね? ならそう思う気持ちは誰よりもわかるんじゃないかな」

「……それに意味なんて」

「あるよ。その気持ちを描けばいいんだよ。自分のことなら描きやすいと思う」


 実際、わたしの秘密の漫画はそうやって描いている。

 そのおかげか部活で描く漫画よりもスムーズに描けている。


「そこをメインにすればきっと熱は生まれる」


 愛華は考えるみたいな表情を浮かべて、しばらくの間なにも言わなかった。

 そんな愛華の隣でわたしは一緒に黙って、ただ愛華の言葉を待った。


 小さな子供のはしゃぐ声と、ペンギンが水に飛び込む音。

 そんな中で、どれくらいの時間が経ったんだろう。

 やがて愛華が口を開いた。


「……それを読みたいって思ってくれる読者はいると思う?」

「うん、きっといるよ。……少なくともわたしは読みたい」

「本当?」

「もちろん」

「……じゃああたしはこのままでもいいの?」

「うん。そのままでいいんだよ」

「……そう」


 愛華はガラスからそっと手を離す。その手を胸に当てた。

 愛華が今何を思っているのかはわからない。

 でも少しでも力になったらいいなって思う。


「……なんか、少し楽になれた気がする」

「なら、よかったよ。……でも偉そうに言ってごめん。編集さんでも漫画家でもないのに」

「そんなことない。……ありがとう。」



   ○



 その後わたしたちはイルカショーを見たりして、水族館を楽しんだ。

 その間、二人の手はずっと握られていた。



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