第一章
第1話 恋ときっかけ
好きなものを好きと言えたらいい。
そうできたのなら、きっと今よりも幸せになれると思うから。
◯
「
それは体育の授業中だった。今日の体育はバレーボール。
わたし、
周りには同じように待っている友達がいて、わたしは彼女たちと喋っていた。
そんな時、友達の一人――鈴木結衣がそう言った。
「……そうかな?」
わたしは内心で「めんどくさいな」と思いながらも結衣に答えた。
こういう指摘は今まで何度もされてきていて、正直もう聞き飽きているんだよね……。
結衣はクラスの中で一番イケてる女子という立ち位置にいる。
彼女はいつも派手で、でも嫌な感じじゃない。ぴったりハマっているというか。
結衣は自分にどんなものが似合うのかちゃんとわかっている。
そしてそれをちゃんと活かしている。おしゃれなんだ。
そういう結衣にはわたしのセンスがすごく気になっちゃうだろうなと前から思っていた。
だからいつか言われることはわかっていた。
わかってはいたんだけど、やっぱり嫌だなと思ってしまう。
もちろんそんなことは言えないし、表情にも出せないんだけど。
「たとえば通学で使ってるリュック。パステルブルーに白の水玉模様でしょ? 子供っぽいよ」
「えー、そうかなー」
「そうなの。……それが似合う人もいるけどさ。でも涼子は違うでしょ?」
「違うのかな」
わたしが言うと結衣が呆れたようにため息をついた。
自覚がないのかと言わんばかりの表情を浮かべている。
……そういうふうに見えるようにしたから、なんだけどね。
「涼子は身長も高いし、スタイルもすごくいい。しかも目尻がシャープで、顔つきもクール系の美人なわけ。世間のイメージ的には大人っぽい。そういう人にはやっぱり大人っぽい、シックなものが似合うの」
「へえー、そうなんだ」
「へえーって……。まあいいや。とにかく涼子はもっと大人っぽいもの身につけた方がいいの」
「……」
わたしは自身の身体を見下ろしてみる。
結衣が言うように身体つきも身長も子供には見えない。
それどころか同級生の中で一際高い背丈。
子供っぽいものが似合わないなんてことは、言われなくてもわかっている。
でも好きなものは捨てられない。
だから好きなものを身に着けていられるように、わたしはわかっていないフリをする。
「えへへ……。そういうのよくわかんないな。おしゃれに興味ないから」
「それじゃあもったいないって。……今度おしゃれの勉強しに買い物に行こ。安心してよ。彼氏だってすぐできるようになるよ」
彼氏なんて興味ないんだけどな……。わたしの恋愛対象は女の子だし。
もちろん、そんなことは言えないけど。
子供っぽい物が好きだということも、わたしには言えない。
時々、好きなものを好きだって言えたらいいのになって思う。
素直に言うことができたらどれだけいいかって。
でもそうしたら嫌われるかもしれない。拒絶されちゃうのは嫌だ。
だから言えない。
それに今回のことに関して言えば、結衣に悪気があるわけじゃない。
あくまでもわたしを思って言ってくれている。
それを否定してしまうということは相手を拒絶してしまうことになりそうで。
わたしには言えない。
似合っていないことは事実だし、なおさら否定できない。
だから自分の気持ちを誤魔化すように、わたしは笑顔を浮かべるんだ。
「うん、ありがとう」
でもそうしながらも心はざわざわとして、嫌な気分が消えていってくれない。
いつもそうだ。
否定しようのない事実だからと自分の気持ちを内に押し込めて。
物分かりのいいフリをして誤魔化して。嘘をついて。
そうすると罪悪感が生まれる。結衣たちを騙しているから。
言われるのも嘘をつくのも辛いから、嫌な気分がずっと続いてしまう。
でも拒絶されたくないから本当のことは言えない。
そういう自分が嫌いだった。
その時、ホイッスルの音がした。コートのメンバーを交代する合図だ。
わたしは立ち上がって結衣たちとコートへ向かう。
「はぁー、だる」
結衣がめんどくさそうに言う。
結衣は運動をすることが苦手ではないけど嫌い。
だから体育のときはいつもこんな感じだった。
疲れるのが嫌なのかもしれない。
「ちょっとだけだしさ、がんばろうよ」
「涼子はいいよ、疲れ知らずだから」
「まあ、疲れはしないかも」
「……この体力おばけ」
「あはは、おばけって」
そうやって喋りながら、よそ見して歩いていたのが悪かった。
どん、となにかにぶつかった。
視線を正面に戻すと、床に倒れている女の子がいた。
その子はむくりと起き上がって、体育館の床にぺたりと座り込む。
そしてわたしを見上げてきた。
可愛いといった印象の幼い顔立ち。
子供のようなまるっとした目元に薄茶色の瞳。だけどその眼光は鋭く感じる。
目つきが悪いんだ。いつも周りを睨みつけているかのようで……。
誰も寄せ付けないという想いがこめられているような瞳だった。
茶色の髪は肩に届くか届かないほどのミディアムヘア。
長めの前髪を後ろへ流し、毛先が外へとハネている髪型。
身長も高校生としては低い。
手足も細くて、体型もスッキリしている。
全体的に子供っぽい女の子だった。
彼女の名前は
わたしのクラスメイトで、ついでに同じ漫研に所属している。
どうやらわたしはそんな愛川さんにぶつかってしまったみたい。
「ごめん! 愛川さん! 大丈夫?」
慌てて愛川さんのそばに寄って、助け起こそうとすると。
「触らないで。……触られたくない」
そんなふうに拒絶された。
わたしは戸惑ってしまう。
すると、つっと。愛川さんの鼻から赤い液体が流れ出た。
……って、これ!
「愛川さん、鼻血が!」
「……」
愛川さんが自分の鼻に手を触れる。
指についたそれを見て、愛川さんは顔をしかめた。
どうしよう、わたしのせいで……。え、えっと、こういうときはどうするんだっけ。
そうだ、止血しなきゃ。ティッシュは……、今持ってない。じゃあ、えっと、えっと……。
どうしよう、動揺して頭がうまく働いてくれない。
気づいたら先生が駆け寄ってきていて、愛川さんに「大丈夫か?」って話しかけていた。
「大丈夫です、自分で立てます」
愛川さんはそう言って立ち上がる。
「保健室行ってきます」
「あ、ああ。……誰か付き添って――」
「一人で大丈夫です」
「しかしだな」
「大丈夫です」
そう言って愛川さんが体育館を出ていく。
わたしのせいで、と思ったら居ても立っても居られなくて。
わたしは先生に声をかけていた。
「先生、わたし付き添います」
「……わかった、なら頼む」
わたしは愛川さんを追いかけて体育館を出た。
愛川さんはまだ体育館と校舎を繋ぐ外廊下を歩いていた。
「愛川さんっ」
追いついて声をかけると、愛川さんは手で鼻を抑えながら振り向く。
その小さな手は血で赤くなっていた。それを見ると罪悪感が強まった。
「さっきはホントにごめんね」
「……別に気にしてない」
そう言った愛川さんがそのまま歩いて行きそうになって、わたしは慌てて呼び止めた。
「待って、付き添うよ」
「……一人で問題ないから放っておいて」
「でもわたしのせいだし」
「そう思うなら言うとおりに放っておいて」
「そんなのできないよ」
「もういいって――」
そう言った愛川さんはそこでふらついた。
でもなんとか愛川さんは踏みとどまれたみたいで安心する。
「ほら、ふらふらしてるじゃん」
「これは疲れてるだけ。……体力ないから体育のときはよくこうなる」
「なおさら放っておけないよ。転んで怪我するかもだし。……肩、支えてあげる」
わたしは愛川さんの肩を支えようとした。でもその直前にぐっと睨まれた。
「触らないで」
「あ、ごめん」
「別に謝らなくていい。……触られるのが苦手なだけだから」
さっき体育館で触らないでって言ったのもそういうことだったんだ。
苦手なら必要以上に触らないように気をつけよう。
……でもなんで苦手なんだろう。潔癖症なのかな。
「……わかった、気をつけるね。でもホントに危ない時は触っちゃうと思うけど、それは許して」
「……まあそれは。というかまだついてくる気あるの?」
「うん」
「いいって、やめて」
「でも先生に任されたし」
「そんなの無視すれば?」
「できないよ。……わたしが勝手についてく。それならいい?」
「……好きにすれば」
「ありがと」
わたしは愛川さんと保健室へと向かった。
◯
保健室に先生はいなかった。
とりあえず愛川さんを丸椅子に座らせて、ティッシュを箱ごと渡した。
「もう気が済んだでしょ。戻って」
「一応、先生来るまでいるよ」
「……責任感ってやつ?」
「そりゃあわたしがぶつかったんだし」
「……そう」
「……」
わたしは愛川さんとクラスも部活も同じ。
でもあんまり話したことはない。こんなふうに会話したの、初めて。
わたし以外とも愛川さんは会話をしてない。
少なくともわたしは見たことない。
それに話しかけるなオーラみたいなのもある。
だから話しかけるのも難しい。
たとえ話しかけても返しがぶっきらぼうというか、愛想がない。
そしてその目つきも相まって近寄りがたい。
苦手な人は多そう。
でも愛川さんはそれをまったく気にしている様子がない。
嫌われてもいい的な感じで……。
正直、すごいなと思う。
わたしだったらそんなふうに思えない。
……誰かに拒絶されるのはもう嫌だから。
でも実のところ、わたしは愛川さんのことがあんまり苦手じゃない。
小さくて可愛い見た目がわたしの好きなタイプってこともある。
でもそれだけじゃない。
最初、わたしも愛川さんのことが苦手だった。
見た目に反してちょっと怖いなとすら思っていた。
わたしと愛川さんは漫研に所属している。
漫研では漫画を描く活動をしていて、部員同士で読み合いをすることがある。
だからわたしは愛川さんの漫画を読んだことが何度かある。
どの作品にも共通しているのはファンタジーなことと、そうしてもう一つ。
愛川さんの作品はどれも繊細で、優しかった。
登場人物に寄り添っているというか、内面を丁寧に描いていて。
静かで暖かくて、冷えた心を温めてくれるような、そんな優しい物語ばかりだった。
初めて読んだとき、こんなにも優しい物語を描ける人が悪い人なはずがないと思った。
それからわたしは愛川さんへの苦手意識が薄れていった。
たぶん、愛川さんは誰かと関わることが苦手なんだと思う。
だから言い方が愛想のないものとなってしまうんじゃないかな。
実際のところはわからないけど、わたしはそんな気がしていた。
……でも、そうだとして。独りになっても平気でいられるのは、なんでなんだろう。
「……愛川さんは、なんで一人でも平気そうな顔をしてられるの?」
「……なに、急に」
「あ……、ごめん。忘れて」
「……別に一人でいたいわけじゃない。ただ周りと合わないだけ」
「合わせようとはしないの?」
一人でいたいわけじゃないなら、なんでみんなと仲良くしようとしないんだろう。
自分を引っ込めて周りに合わせれば、一人じゃなくなれるのに……。
「そんなことするくらいなら友達なんていなくてもいい。……なに、アンタは無理に合わせてるわけ?」
「多少の無理はしてるよ。仲良くなりたい相手だったらなおさら」
「ふうん」
「おかしいかな」
「別に。あたしはそう思えないってだけの話だから。アンタはそれで満足してるんでしょ?」
「……うん、満足してるよ」
「ならいいんじゃない?」
満足している、と答えたのはいいけど。
……なんか、やっぱり嫌だな、こういうの。
嘘をつくと、やっぱり自分に嫌気が差す。
満足しているかって?
してないよ、そんなの。
でもわたしは結衣たちと仲良くしていたい。
めんどくさいなって思うことも言われたけど、それでも結衣は友達でいたい相手。
だから受入れられる存在でいなくちゃいけない。
ホントのこと言ってそういう存在でなくなるのが怖い。
そんなことはないかもしれない。
でも一歩踏み出したときもしもその先に道がなかったらって思うと怖いんだ。
崖から真っ逆さまに落ちてしまいそうで……。
それなら嘘をついていたほうがいい。
わたしが自分に対する嫌悪感や、結衣たちに対する罪悪感を我慢すればいい。
ただそれだけでいいんだ。
その関係に満足できなくても、それで友達でいられるのなら、それでいいんだ。
……いいと思っているのに、時々辛くなる。
自分で嘘をつく道を選んだくせに、どうしたらいいのかわからなくなる。
――……。
……なんかもう。
――助けてほしな。
ふと、そんなこと思った。
「……ごめん、嘘ついた」
だからそんな言葉がぽろっとこぼれてしまったのは、無意識のことだったんだ。
でもそれに気がついても、わたしは自分の口を止めることができなくて……。
「もちろん、友達と仲良くできて嬉しいよ。そこに嘘はないんだよ? でもね、……時々罪悪感を感じちゃうんだ」
わたしは、なんで愛川さんにこんなことを話しているんだろう。
もしかしたら、優しい物語を描ける愛川さんなら答えをくれるかもしれない。
そんな期待をしていたのかもしれない。
「みんなに合わせてるなんて言ったけど、ホントは自分のこと、素直に伝えられないだけなんだ。……みんなに嘘をついてるんだよ」
ホントのことを伝えたら受入れてもらえなくて、拒絶されてしまうことが怖かった。
拒絶された時の気持ちをはっきりと憶えているから。
……あんな思いはもうしたくない。
相手が大切であればあるほどに、拒絶が与える絶望は心に突き刺さるんだ。
そうなるくらいなら嘘をついた方がいい。
その方がわたしの心を守れる。
「隠した方が自分のためにいいってわかっているんだけど、でも隠しているのも時々引け目に感じちゃう。でも誰にも言えないから。みんなを騙しているように思えてきて……いつも自分が嫌になるんだ」
「それが罪悪感?」
「……うん」
「それはそこまでしてつかないといけない嘘?」
「……うん」
「そう。……アンタが何を隠しているのかは知らないけど、別に引け目に感じる必要はないでしょ」
「……え?」
「誰だって秘密くらいある。アンタが特別なわけじゃない。だから別にいいんだよ、隠しごとしてても」
それは他の人からしてみれば大した言葉じゃないのかもしれない。
でもわたしには違った。
こんな嘘つきなわたしを、それでもいいと受け入れてくれた気がしたんだ。
……救われた、気がしたんだ。
◯
それが一年前のこと。
相変わらず後ろめたさはある。
隠し事しているくせに普通の人だという顔をしてみんなと付き合っている自分が嫌いだ。
でもそんなわたしをこの子は、愛川愛華は認めてくれた。
それだけでなんだか……。
ありきたりな言葉かもしれないけど、心が軽くなった。
自分のことを少しだけ好きになれるような、そんな気にさせてくれた。
思えばわたしはその時から彼女に惹かれ始めたのかもしれない。
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