第3話:消えない蝋燭(後編)

 ......それは、妹である美咲の七歳になる誕生日だった。


 部屋のテーブルには、母が作った手作りのホールケーキ。苺が並んだその上に、灯されたロウソクが七本。


「ふーってするよ、美咲。願いごとしてね」


 母が言い、父が優しく笑った。


「願いごとは口に出しちゃダメだぞ?」


 父の言葉に美咲は嬉しそうに目を閉じ、深く息を吸い込んで——「ふぅっ」と一息にロウソクの火を吹き消した。


 拍手が起こる中、凛は黙ってその光景を見ていた。


──僕も、火を消したかった。



───夜更け、家族が寝静まった頃......


 凛はこっそりと布団を抜け出し、キッチンへと向かった。冷蔵庫の中を覗くと、一切れだけ残ったケーキが、白い皿の上にぽつんと乗っている。


 そして、あの——”蝋燭ロウソク”。


「あった......!やっぱり、3本も余ってる。使わないと勿体無いよね......?」


 迷うことなく、無造作にチャッカマンを手に取ったが、うまく火がつかない。子どもの力では引き金が固すぎたようだ。


「なんだこれ......壊れてるのかな?」


 少しふてくされて台所をうろうろしていたとき、あることを思い出した。


──パパ......タバコ吸う時に四角いライターを使ってた気が......


 毎日頻繁に行われる父の一服により、ライターの場所は把握していた。


 凛はキッチンの引き出しを開けた。そこには、手入れが行き届いた父愛用の銀のZippoライターと、「Peace」と書かれた金に輝く逆さ鳩の目立つ缶が並んでいた。


「なんだろうこれ......Peaceペアケ?缶詰かな?」


 一度開けた形跡があり、好奇心で再び缶を開ける。そこには、これでもかという程の紙タバコがぎっしりと詰め込まれており、特有の匂いが鼻を刺した。


「うっ......臭っ!」


 慌てて蓋を閉め、ライターだけを持ってリビングへと向かった。


──そういえば、このライター......ちゃんと見るのは初めてかも。


 ピカピカに磨かれたzippoライター。表面に4本のガーベラを咥えたカラス。裏面にはアザレアを両腕で包み込むウサギが描かれていた。


「綺麗......」


 その美しいデザインに思わず声を出し、しばらく見惚れていた。


──どうして”ウサギ”と”カラス”なんだろう?何か意味があるのかな。


 その後、凛はリビングにあるテーブルに、一本の蝋燭を立てた。


 両手でzippoのキャップを開き、親指でホイールを回す。細かい火花が散るも、うまく付かない。複数回ホイールを回すとやがて赤く小さな炎が現れた。


 それをロウソクの芯に近づけると、炎が静かに灯った。


 揺れる小さな炎が、まるで自分だけの誕生日のようで、嬉しかった。


 火を見つめながら、凛はロウソクをそっと手に取る。


──願いごと......か。


 蝋燭を目の前に近づけ、そっと目を閉じる。そして、祈った......


「家族みんなが、幸せになりますように......」


 凛は一人きりの、偽りの誕生日を満足そうに迎える。その表情は、確かな幸せを感じていた...


 束の間の幸せ......その後に起こる悲劇を、僕は考えもしなかった。


 溶け出す蝋燭。その蝋が自信の手に触れるのは数秒後のことである。


「あつっ!」


 そこからは曖昧だ。


 床に落ちる蝋燭と一家の火災。保護された僕と、妹の泣き叫ぶ声。取り残された父と母。


 ......思い出した記憶の断片。一家崩壊の原因は紛れもなく僕自身であると自覚するのは一瞬だった。


 嫉妬心があんなこと招くなんて考えもしなかった。当時の僕には”リスクヘッジ”なんて言葉も知らない。


 僕は逃げたんだ......自分が起こした現実から目を背けて、何もなかったかのように生きようとした。


(だが、できなかった......だろ?)


 そう......できなかったんだ。何度も忘れようとした。けれど、消せなかった。......僕の中から消えることのない、あの蝋燭の火。


 罪悪感。後悔。自責。不安。恐怖。絶望。疑心暗鬼。無力からくる怒り。


 感情からは決して逃れることができない。


(お前は、何回死にたいと思った? 何回死を実行しようとした?)


「もう......数えきれない」


 死にたいと考えるのは簡単だった。口に出すことも...... けれど、死の一線を越えるのは容易ではない。


 体に蓄積される痛みや苦しみの想像が......そこから来る恐怖が、自殺にブレーキをする。


 ......だがそれよりも──


(妹の存在...か......)


 僕が死んだら、美咲はどうなる。僕の手を握る美咲の手はいつも震えていた。いつも涙を流していた。


 そんな彼女を一人にさせるわけにはいかなかった。


「僕はっ!.これ以上誰かを不幸にしたくないっ......!これ以上、美咲に泣いてほしくない......!」


(......だからって、人との関わりを拒絶するのは違うだろ?お前の行動が、お前自身の首を締めてることにいい加減気づけよ)


「なら、僕はどうしたらいいんだ......!もう何もわからないんだよ......!」


(俺がここにいるだろ!!!)


「......っ!?」


 下を向いていた凛が初めて顔を上げる。


(なぁ知ってるか?人間って1日に3万5000回以上の選択をするんだってよ、死ぬまでに何回選択させるだって話だよな?)


 縮こまる凛に歩み寄る。


(だからさ、半分俺にくれよ。罪も罰も一緒に背負ってやるから)


「なんで......どうして君は......」


(友達だろ?)


 全身の緊張が抜け、目から大量の涙が溢れ出した。この涙は、記憶上初めてのものだ。


 悲しいから泣いているのではない。嬉しいから泣いているのだ。


 その後、凛は日が暮れるまで泣き続けた。まるで、産まれたばかりの赤子のように......


 男は凛が泣き止むまで何も言わず、ただじっと遠くを眺めていた。


「ありがとう...えっと、なんて呼べばいいかな...」


(ん?あぁ、そういや名前なかったな。雨宮凛だから......ジン......雨宮ジン)


「安直だね......」


(うっせ、男らしくていいだろ?)


「そうだね、......あ、もうこんな時間だ。そろそろ帰ろうか。お腹すいちゃったし」


 その場から立ち上がった凛にジンは左拳を突き出した。


(これは挨拶。それから、友情の証だ。これからよろしくな!凛!)


「う、うん!よろしく!」


 凛は嬉しそうに突き出された拳に腕を伸ばした。......が、すり抜けて転がり落ちてしまった。


(おいおい、締まらねぇなぁ......)



 こうして、凛とジン......一人の男達、その物語が始まったのであった。

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