第4話

くさくさした気持ちのまま、彼は大学時代からの友人に連絡を取った。

「直哉から電話かけてくるなんて珍しいじゃん」

俊二の変わらない声を聞くと少し気分が落ち着いた。

「ああ、いやちょっと……。今日遊べたりする?」

「いや、夜空いてないんだよね」

夜、外に出るのは不安だった直哉はちょうどいいと思う。

「むしろ今からとかどうよ」

「今から? 俺は良いけどさ、奥さんいいわけ?」

「いいよ別に」

投げやりに答え、俊二は軽く笑った。夫婦仲に何かあったと察したのだろう。

「じゃあ一時間後にいつものとこで」


一時間後に、と言ったが俊二が行きつけの韓国料理屋に来たのは更に30分後のことだった。

遅い、と文句を言うことはない。そもそもコイツはそういう奴だ。

直哉は彼にメニューを渡した。

「俺飲んじゃおうかなー」

「今日夜用事あるんだろ?」

「彼女と会うだけだから」

「ああ、なんだっけ。むくみちゃん?」

夜は美人なのに朝起きると顔が浮腫んでいるから、俊二がそう呼んでいたはずだ。

「いやアイツとは別れた。フツーにさ、朝も夜も美人が良いわ。

今は26の子と付き合ってる。可愛いし料理上手だしいいよ」

ふうん、とつまらなさそうに直哉は返事した。コイツは格好良いわけじゃないのにどうしてか昔から女を捕まえるのがうまい。

「で? なんで今日呼ばれたの?」

「ああ、実は……」

直哉はこの2日間起こった心霊体験を話して聞かせた。俊二はお通しのナムルを食べながら相槌を打っている。

「マジでそういうことあるんだね。

呪い? 幽霊? 違いがよく分かんないけど」

「俊二テレビの制作会社にいたことあっただろ? そういう関係の人知らないか?」

「あー。なるほどね」

彼は目を瞑って腕を組む。

それから、二人が頼んだタッカルビが来る頃にやっと口を開いた。

「そういえば……。結局お蔵入りになったんだけど、一回霊媒師の人に会ったな」

「さすが! なんて人?」

「高川法男……だったかな? 芸能人に取り憑いた霊を祓うって企画だったんだけど、ヤバイもんが映ってるとかで結局ナシになって……」

「ヤバイもん?」

「そうそう、芸能人って目立つ職だから見に覚えのない恨みも多くて、良くないものを引き寄せやすい、らしい。

で、その中に、テレビで流したら惹かれる人が出てくるような強い悪霊? がいたとかで取り止めにしたんだよ」

「その人に連絡取れる?」

「取れるけど、ネットでも予約できるんじゃない?」

彼は鼻をすすりながらスマホを操作する。

「え、そんな簡単なもんなの?」

「やっぱり人伝に紹介される人のが多いとは言ってたよ」

俊二が無造作にスマホの画面を見せてきた。古臭いホームページには予約の文字が書いてある。

「相談料無料だってよ」

「リンク送って」

ホームページのカレンダーによると、今日の夜空いているようだ。

ここから少し離れた場所にあるが、今すぐにでもこの状況をなんとかしたい。直哉は躊躇うことなく予約を入れた。


注意書きを熱心に読んでいると「お前も大変だなあ」と俊二が呟いた。

「さっきの芸能人じゃないけど、直哉はそこそこ生活もうまくいってるし、逆恨みされたんだろうな」

「そこそこってなんだよ」

「給料低いから。

でも職場は都心だし、いいよな。嫁さん美人で娘もいるし。

人生上がりじゃん」

まだまだ人生上がりなどではないが、それでも俊二にそう言われると優越感を覚えた。

大学時代からモテていて、ミスコンなんかとも付き合っていたし、フリーになる期間は殆ど無かったような男だ。

他の友人たちからも一目置かれている。

「俺もそろそろ身を固めるかなあ」

「その26の子?」

「そうそう。もうちょっと遊びたいけどさ……」

俊二は頼んでいた酒に口をつけ深く息を吐く。

「昔みたいに気楽に遊んでたいよなー」

「ああ、結婚前までは旅行とかもよく行ったよな。楽しかった……」

二人はかつて行った旅行の話にしばらく花を咲かせた。

やはり思い出深いのは海外旅行だ。旅費だけではなくスーツケースやパスポートの更新代が高く、バイトに心血を注いだ。頑張った分だけ旅行は楽しく、予定に無いところまであちこち回ったものだ。

「お待たせしました、チーズボールです」

若い女性店員が片言の、それでいて大きな声でチーズボールを寄越してくる。

「シェーシェー!」

俊二がノリ良く挨拶したので直哉は思わず笑う。

「それ中国語な」

「そうだっけ? じゃあ韓国語でなんて言うの?」

「サランヘヨしか知らない」

なんだよそれ、と俊二も笑った。

店員は困った顔をしながら仕事に戻って行く。

ふと、彼女が誰かに似ていると感じた。

「あれ、あの子さ」

俊二も彼女を見つめ首を傾げた。

「誰かに……。ああそうだ。

覚えてる? 旅行で行ったじゃん」

例の通り、と言って彼はニヤリとした。

「その時、お前の相手してた子に似てない?」

「そうだ、あの子か」

海外で羽目を外した直哉たちは売春婦達が多い通りに遊びに行った。

そこに立っていた、成人しているかも分からない少女と直哉は一夜を共にしたのだ。

髪はぱさついていたし顔色も悪かったが、肌は柔らかく、何より顔が好みで興奮した。お互いたどたどしい英語でやり取りをしながら行われる行為は、不器用で、初めてのセックスを思い出させた。

何より、不慣れさ故か途中で泣いてしまったところも良く、本番無しと言われていたにも関わらず彼は追加料金を出すと言って続けたのだ。

お金を出すと言っても日本円にしたら大した額ではない。

日本よりも安いのにレベルが高いと、その後友人たちと喜んだものだ。

「また行きたいなー」

「お前、嫁いんだろ」

「風俗は浮気じゃないから」

都合良いな、と俊二に笑われる。

その後も二人は楽しかったあの頃の話を続けた。


高川法男は黒々とした眉をしかめ、「あなた」と唸るような声を出した。

「悪霊に取り憑かれてますね」

「は、はい。だから来たんですけど……」

霊媒師とどんな所で会うのかと戦々恐々していたが、意外にもそこは普通の一軒家だった。

いくつものお守りや御札、大きな水晶などいかにもな物体が飾ってはあるが、真っ白な蛍光灯と、フローリングの床、赤茶色の木製の家具たちは日本ならどこでも見られる光景だろう。

部屋の隅にダンボールが山積みに置かれているのが気になったが、霊媒師の仕事で必要になる備品が入っているのだろう。どんな備品かは、想像がつかないが。

「お茶をどうぞ」と差し出したのは奥さんではなく、凹凸の少ない顔をした痩せ型の男だった。手伝いの人間だろうか?

「フォームにも書きましたけど変な霊に追われて困ってるんです」

「ふうむ。祓うことはできますが、まず準備が必要ですな」

高川は60くらいだろうに、ハリのある声をしていた。坊主頭をひと撫でしたあと彼は茶を啜る。

「準備ですか」

二人が相談している居間と続くキッチンカウンターでは、お茶出しの男がパソコンを操作しながら電卓で何やら計算をしている。

事務の手伝いをしているようだ。

「いかにも。

都会には悪霊がうようよいますからな。この辺りに2日はいてもらわないと、新しい悪霊を連れてくるだけです。

それから、スマートフォンの類はできるだけ使わないように。電波というのは霊と相性が良いですから、力を強めてしまいます」

そんなことはできない。直哉が反論しようとすると高川は手を掲げた。

「あなたのその悪霊は悲痛な思いで亡くなられた方の霊なんですよ。そういう方は通常の亡くなり方をした霊よりも力が強い。

今はまだ脅してるだけでしょう。けれど街にいて電波を浴び続けているうちに力が増して、あなたの体調に悪影響を与えますよ」

「それって、し、死んだり、とか」

「……それもまあ、あり得ますな。

引き込む力が強いですからできるだけすぐに祓ったほうが良いです」

背筋がぞわりと粟立つ。直哉はらしくないか細い声を出した。

「結局、なんでこんな目にあってるんでしょう。呪われてるって言われたんですけど」

「呪い、ですか」

高川は目を細めて直哉を、直哉越しの何かをじっと見つめる。

「大きく捉えればそうかもしれませぬ。

死者の無念といいますか……。あまり細かいところは現段階では分かりませんが」

「俺個人を狙ったわけではない?」

「恐らくはそうでしょう。

霊というのは通り魔的に人に取り憑くことがあります」

霊媒師のこの言葉に直哉は内心強く頷いた。あの弁当屋のおばあさんに自分に原因があると言われたとき、不愉快だった。しかし今はそれだけではないとわかる。不安もあったのだ。

自分の何がいけないのか、自覚していない部分を否定された気がしていた。

けれど、高川が通り魔的にと言ったことでその不快感が晴れた気がしたのだ。

「あなたも大変でしたな……」

高川の何気ない言葉に不意に目頭が熱くなった。

こんな事で泣くなんて情けない。

言葉を詰まらせた彼に高川は「もう大丈夫ですよ」と温かい言葉をかける。

「すみません……。これのせいで仕事に集中できないし、妻も全然信じてくれなくて……」

「普通の人に霊など見えませぬ。

致し方のないことですが、そのせいで一人で抱えこんでいらした。

まあ、何も泣くことはありません。私の言うことさえ守ってもらえればすぐに解決します」

ありがとうございます、と頭を下げる。

目頭から涙がこぼれた。


舞にお祓いをするから帰れないとだけ伝えて、スマホの電源を切る。

高川が民泊を予約してくれたので、今日はそこに泊まることになった。

一人というのは不安だったが、高川から購入した木札を玄関に置くと少しだけ気が休まった。

明後日の早朝、お祓いをしてもらえるという。その後会社に遅刻の連絡をすれば、なんとかなるだろう。

月曜はミーティングが多いが、どれも直哉がいてもいなくても良いようなものばかりだ。

平屋の民泊は狭かった。しかし、最近改装されたのかキレイだ。

玄関扉を開けるとすぐに丸テーブルのある部屋に繋がる。その奥、ガラス戸を開けると畳の部屋があり、布団が畳まれて置いてあった。

水回りは丸テーブルの部屋の右隣にまとまっている。和風な作りなのはインバウンド需要を見越してかもしれない。


彼は布団を広げどさりと寝転ぶ。誰もいない夜は久し振りだった。

高川は都会には悪霊が多くいると言っていた。思い返せば、直哉が霊を見るのは人が多いところだった。通勤中の歩道橋、電車の中、タクシーだって多くの人に使われている。

都会に染まれなかった霊なのかもしれない。

俊二は、かつてテレビ局で働いていたが過労から病気になり、今はフリーターをしている。

地元に戻ったほうがのんびり過ごせるのに、都会にどうしてもいたいという彼の気持ちがここに縛り付けているのだろうか。俊二の羨むような視線を思い出す。

都会は便利で無干渉で好きだが、戻ろうか。その方が静かに暮らせるだろうし、優杏の子育てにも良いだろう。

直哉の地元なら両親もいて、子育ても手伝ってもらえる。

舞はどうしているだろう? 直哉が急に出てしまって、寂しく思ってるかもしれない。

普段、スマホを弄りながら眠っているせいで寝付けず、目を瞑っているとあれこれと色んな考えが浮かんでくる。

外は静かだ。時々、車の通っていくだけで人の声はしない。


カラカラカラ……。

小さな車輪が転がる音がする。

玄関ドアが開けられた、気がした。

直哉はまさかと思ったが、すぐに起き上がる。

大丈夫なはずだ。ここは都会と違って悪霊は少ない。高川の木札だってある。

だが、確かに何かの気配がガラス戸の奥に感じられた。

そして

「あーーーッ!!」

絶叫が聞こえてきた。

心臓は止まったかのように強く強く締め付けられる。血の気が引き、肋が叩かれているように痛みだした。

「あっ! あっ! あ、あーー!!!!」

鼓膜がジリジリと震えた。

脳まで揺さぶられるほどの大絶叫だった。

ガラス戸がドンドンと激しく叩かれ、今にも扉が破られそうになる。

直哉は揺れる戸を見ながら後退する。

力が抜け、足が震えていたが、それでもここから早く逃げなければ。

背後には小さな窓がある。なんとか大人が通れるくらいだ。

逃げなければ。

けたたましい音と共にガラス戸が割れんばかりの勢いで開けられた。

「あっ!!」

人影がこちらを指差している。

それと同時に直哉は後方へ走り出し窓を力いっぱい開けると裸足のまま駆け出した。


どうなってるんだ。

とにかく、早く高川のところへ向かおう。

電車の線路沿いを行けば、高川の家の最寄り駅にたどり着くはずだ。

舗装された道路は走る度に彼の足の裏を傷付ける。振動が骨にまで伝ってきて痛かった。

それでも彼は走るのをやめない。

恐怖で呻き声が勝手に漏れた。

深夜のせいか街には人が見当たらない。都会なら誰かしらいるのに。

頭が痛くなってきて直哉は速度を落とした。足がじんじんと熱くなっている。

洗い息を繰り返していると、その中に自分ではない声が聞こえてきた。

ノイズ混じりの女の声。

「早く」

嘘だろ。直哉は喉を引きつらせた。

がくんと膝が抜け落ち、アスファルトのザラザラとした地面に膝を打ち付けた。もはや痛みは感じない。

「早く早く早く早く」

遠くで絶叫が聞こえる。

走らなくてはと思うのに、恐怖で体が動かない。

「早く死ねよ」

耳に誰かの息遣いを感じた。震えながら彼は振り返る。

白いワンピースが、見えた。頭の片隅で、見てはいけない、と思うのに、誰かに頭を押さえられているように動いてしまう。ゆっくりと上がる視線。


黒い髪の毛先が見えた。

女はこちらを見ている。

長過ぎる首は紫色に変色していた。

掻きむしったような跡がある。

青白い、女の顔。太くぬらぬらとした肉を咥えていた。

いや違う、これは舌だ。長い舌を突き出している。

目は大きく見開かれ、片方は飛び出してきそうだった。

「I find you」

たどたどしい英語だ。

俺を見つけた? 直哉は震えながら女を見やる。

「You make me hurt.

And I die myself.

I never forgive you」

女の手が伸びてくる。醜悪な顔面で分かりにくかったが、この顔は、この女は、あの売春婦だ。

柔らかい肌の感触を首に感じた。力強く喉を締め上げられる。

直哉は必死で抵抗した。女の腕を掴み振りほどこうとする。けれど、女とは思えない力の強さでねじ伏せられる。互いに体は燃えるように熱くなっていた。

額から汗がとめどなく流れる。女からは腐臭がした。

どれだけ抵抗しても、振りほどこうとしても女はしつこく首を絞め上げてくる。

直哉は息苦しさと恐ろしさで涙が溢れた。助けてと叫びたいのに声にならない。

女の爪が食い込む。

俺が何したと言うんだ。何も悪いことなんてしてないのに。

ただ、ただ幸せな生活を送っていたのに。

それの何がいけないんだ。








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M株式会社

デザイン部 R.A

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<休暇のお知らせ>

誠に勝手ながら9月3日~5日は休暇を取らせていただきます。

メールの返信は9月8日以降となります。

ご迷惑おかけしますが何卒ご了承のほどお願い申し上げます。

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2025年8月22日(金) 午後3:02

〈N.T@gmail.com〉


お疲れ様です。

営業部のN.Tです。


この度一身上の都合により退職することとなりました。

Aさんにはたくさん助けて頂けて本当に感謝しています。

最終出社日が9/5なのですが、その前にランチでもどうですか?最後にもう少しお話できたら嬉しいです。

今までのお詫びも兼ねてぜひ(笑)


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