第5話 魔女は弄ばれる
「く、
リュックを片手に部室へと入って来た星楽ちゃんはニコニコしてる。教室での怯えた顔は不思議なくらい跡形もない。
「落ち着いてルナっち。好きなのはぬい? それとも魔女? 魔女になりたい願望の代償じゃないの? ぬいはアクセにもペットにもならないんだよ? ぬいが魔女じゃなくても好きでいられる? 他の魔女に言い寄られても
「
明るい顔のままでまくし立てられて、瑠那ちゃんのとろけた顔がみるみる戻っていく。
「……紅祭さんのお陰で目が覚めましたわ。感謝いたしますのよ」
「よかった! これからも友達としてぬいをよろしくねっ」
「友達? 違いますわ」
瑠那ちゃんは立ち上がり、星楽ちゃんに向き合う。
「私は
「ルナっちはお利口さんだねぇ」
「いいえ。紅祭さんが仰るように、私にも魔女への憧れの代償や独占欲もありますわ。ですが、清濁が入り交じるからこそ恋心は強くなるのだと私は思いますの。ましてや私とぬいさんはともに女性。清き想いだけで終生を添い遂げられるほどの甘い人生でないことは覚悟していますわ」
まっすぐな眼差しの強さに鳥肌が立つ。瑠那ちゃんに好きでいてもらえて、わたしはほんとにしあわせものだ。
「カッコよすぎでしょ」
星楽ちゃんの笑顔が今度はわたしに向けられた。いつもはかわいいのに、今は底が見えなくてちょっと怖い。
「じゃあさ、ぬいはどう? ゴーレムで濡れ衣を着せられて自暴自棄で告白してない? ぬいがどんなつもりで言ったとしても、もうルナっちは本気なんだよ? もし別れても元の関係には戻れないんだよ? その覚悟が本当にあるの?」
「告白はゴーレムのことがあったからなのは間違いないよ。でも自暴自棄じゃない。いつも一緒にいてくれて、たったひとりでわたしを守ってくれた瑠那ちゃんの心に惹かれたからなんだ」
好きなひとのことを話しているのに胸が苦しい。それでも言葉は絞り出さなきゃいけない。
「……瑠那ちゃんは優しくて勇気があって、わたしを大切にしてくれて。わたしのヒーローで、ヒロインなんだよ」
「そっか。じゃあふたりは両想いでめでたしめでたし、だねっ!」
満面の笑みを浮かべた星楽ちゃんは机に置いていたリュックサックに手を入れる。すぐに出てきた手に握られているのは、見覚えのある小瓶。
「星楽ちゃん、それって……!」
簡単に引き抜かれたガラスの栓に背筋がぞくりとした。封印が機能していない。
紛れもなく、あの手紙の差出人は星楽ちゃんなんだ。
「なんで!? どうして星楽ちゃんが使わなきゃいけないの!?」
「ふふ、なんでだろうね? 分からないなら教えてあげないよっ」
コロリと硬い音がして栓が床に投げ落とされる。止めようと伸ばした腕が、踊るようにひらりとかわされる。
「一体、何の薬ですの?」
「すぐに分かるよ、ルナっち」
険しい顔の瑠那ちゃんをくすくすと笑ってから、星楽ちゃんは。
息を吸い、
明るい顔のままで、
「ふたりとも、大っ嫌い」
吐き捨てて瓶に口をつけた。
「星楽ちゃんやめて!」
こんな時に使える魔法なんてなくて、叫ぶことしかできない。
こくりと動く喉に、目の前が真っ暗になった。
「ぬいさん、お気をたしかに!」
よろけたところで瑠那ちゃんの声がして、両肩をやさしく支えられる。
「私に何かできることは?」
「……何もできないよ。瑠那ちゃんにも、わたしにも」
長い瞬きを終えた星楽ちゃんの笑顔はさっきまでと何も変わらない。
もしかして効かなかったのかな? こわばった心が緩みかけた時、綺麗な弧を描く口が開いた。
「ぬいのことなんか大っ嫌い。今時流行らない魔法にしがみついてさ。自分から他人に関わろうとしないし、地味だし昔から変わらないし。人の心を勝手に覗こうとするのもマジで迷惑なんだけど」
「……ごめんなさい」
星楽ちゃんから言われるだけで何倍も重くて痛い言葉になる。
誰かのために作ったはずの薬でわたし自身が苦しむなんて。
「紅祭さん! 貴女は自分が何をおっしゃっているのか分かっていますの!?」
「ルナっちも嫌い。正義を武器にできるとかチートじゃん。正しいから言い返せないの、すっごくムカつく。しかも魔女になれないのに楽しそうだし。いいよねなんか、満たされてて」
「私のことは構いませんわ。ですがぬいさんを
「ぬいさんぬいさんってウザいよ、ルナっち。もう彼女気取りしてるのもイライラする」
笑顔から吐き出される言葉の冷たさに心臓がキュッて縮む。恐る恐る見た瑠那ちゃんの眉毛がぴくりと動いた。
「……先ほどの小瓶は、もしや人を嫌いになる薬ですの?」
わたしの頷きに、瑠那ちゃんは落ち着き払った声音で「そうでしたのね」と呟く。
「先ほど『何もできない』とおっしゃいましたが、解除する魔法もありますわよね」
「薬を飲む決断をした星楽ちゃんの意思を大切にしたいんだ。たくさんの想いや葛藤があったはずなのに、わたしは何も知らないままここまで来ちゃったから」
それだけじゃない。魔女の立場を忘れて薬を飲むことさえ止めようとしたわたしへの罰でもある。
「その健気さ、愛おしいですわ。ですが私も貴女が傷つけられるのを見ているだけではいられませんのよ」
瑠那ちゃんはわたしの肩を優しく撫でると、星楽ちゃんから隠すように背を向けた。
「紅祭さん。貴女の気持ちは承知いたしましたわ。私もぬいさんには一抹の嫉妬を抱いておりましたの。でもそれを糧にしたからこそ、私はぬいさんと仲を深めることができたのですわ。だから紅祭さんも――」
「あたしは別に仲良くなりたくなんてないよ。嫌いなふたりがいっつも一緒に視界に入るから目障りなだけ」
「随分な言い草ですわね。私のことは兎も角、貴女は何故ぬいさんを嫌いますの?」
「ルナっちには関係ないよ」
「……残念ですわ。でしたら、今後は私とぬいさんには関わらないでくださるかしら。それが互いのためになりますのよ」
星楽ちゃんとは正反対の冷たい声。だけど振り向いた瑠那ちゃんはとても哀しそうな笑顔で。
「ごめんなさい、ぬいさん。貴女を守るにはこれしかありませんのよ」
わたしは何も言えない。自分でつけられない決着を瑠那ちゃんに委ね、さらには謝らせちゃって。
「紅祭さん、今すぐここから出て行きなさい。貴女と私たちはただ今をもって赤の他人ですわ!」
「はいはい。二人もあたしの目につくところでイチャイチャしないでよね?」
星楽ちゃんは言い終える前からリュックを手に歩き出す。
「ぬい。さよならっ」
そっぽを向いたまま部室を横切り、ドアに手をかける。
何もかもが、終わっちゃう。
「……おかしいよ」
けれど、小さな声とともにその足が止まった。
「ぬいのこと嫌いになったはずなのに。こんなに辛いなんて、おかしいよ」
ぱたた、と落ちた雫の音がわたしの心に波を生む。
「星楽ちゃん! 手紙、読んでほしい」
返事はない。だけど足は動き出さない。きっと待ってくれてる。
「そこに答えが書いてあるんだ!」
星楽ちゃんは手紙を取り出したリュックを床に置く。
ポニーテールの背中から紙を開く音だけがした。
『やさしいあなたへ』
この手紙を読んでいるってことは、ひとを嫌いになる薬、効かなかったんだね。
薬は本物だし、作るのもちゃんと成功したよ。
効かなかったのは、嫌いになりたいひとへの気持ちがあなたの心に残っているから。
あなたが無意識のうちに、そのひとを嫌いにならない道を探していたからなんだ。
嫌いにならなくちゃいけない理由をわたしは知らない。
でも、そのひとのことを考え抜いてあなたがたどり着いた答えなのは分かるよ。
あなたはとても優しくて勇気のあるひと。
ひととの別れはただでさえ辛くて悲しいことなのに、自分から嫌な気持ちになる選択肢を選べるんだから。
それって、すごく心の力を使うよね。
わたしはそんなあなたの覚悟を無駄にしたくない。
だからひとつ、提案があってね。
あなたが持ってるその優しさと勇気を使って、嫌いになりたいひとに今まで言えなかった本当の気持ちを話してほしいんだ。
素敵なあなたが心から嫌いになれない相手なら、ちゃんと向き合えば話を聞いてくれるはず。
あなたがどうして嫌いになりたいのかを、なぜ嫌いになれないのかを伝えてみて。
ひとりひとりが別々の道へと進む前に、ふたりで歩く道を探してみようよ。
でも、誰かと心をぶつけ合うのって、一方的に別れるよりもっと勇気が必要だよね。
そこで、わたしはあなたの背中を押すための薬を用意したんだ。
それはね――
「あたしは正解が欲しかったんじゃない。さっさと解答を終わらせたかっただけなのに」
手紙の内容をすべて思い返すより先に、星楽ちゃんの声が耳に届いた。高く掲げた右手には二つ目の小瓶。
あれが落ちれば、バラバラに砕けて、周りを汚して、破片が誰かを傷つける。
そんなの、あんまりだよ。
「わたしは、星楽ちゃんのことも笑顔できる魔女になりたいんだ」
「……っ」
息を飲むのが聞こえた。掲げた手が震えている。
今はもう、他に言えることがない。
瞬きひとつの沈黙が、まるで永遠のよう。
「……いいよ。そんなこと言うなら飲んであげる。絶対に笑顔になんて、ならないけどね」
静かに腕を下ろした星楽ちゃんが栓を引き抜く。
顔は見えないけど、両手で包み込むように口をつけたのが分かった。
手が汗ばむのは暑さのせいじゃない。
ゆっくりと振り向いた顔に、頭が真っ白になった。
「ねえ、どうして? ぬい」
いつも笑顔の星楽ちゃんが、ぐしゃぐしゃに泣いている。
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