第3話 魔女は惑わされる
「──えっ!?」
『久しぶりに
薬を作ったことも、キッチンを片付けたことも
知っているはずがないのに。
『真理さんには聞いてみた?』
「聞けてないんだ。ドアに魔法がかけられてて中に入れなくて……」
『もしかしてさ、記憶がおかしいのも魔法をかけられてるんじゃない?』
「まさか……!」
でも、絶対にないだなんて言えない。
ドアベルの音、ハーブの匂い、気だるげな眼差し。
そのどこかに真理さんが魔法を隠していたとしたら、わたしには気づけない。
もしかして、真理さんの言っていた運命に関係があるの?
お店に来ていたのは星楽ちゃんで、わたしには会わせられない理由があった?
だとしても、何のために?
「分からない……何もわからないよ」
『今はテンパってるだろうし、まずは家に帰って落ち着こうよ。ちょっとルナっちに代わってもらっていい?』
隣で真剣な顔をしていた
「星楽ちゃんが話したいんだって」
頷きで返して上品な手つきで耳に寄せる。電話に返す相槌に感じる冷たさが苦しい。
「はい、──ええ、私もそのつもりですわ。
返ってきたスマホはまだ通話中だ。
『ルナっちが途中まで送ってくれるって! 今日はゆっくりお風呂に入って早く寝るんだよ!』
「……うん、そうする」
少し言葉を交わして通話が終わる。
「ぬいさん、帰りますわよ。よろしければ荷物をお預かりいたしますわ」
「だいじょぶだよ。ありがとね」
歩幅の小さなわたしに合わせて隣を歩いてくれる瑠那ちゃんの顔はずっと曇っていて、夕方までとはまるで別人だ。
不安で見つめていると、わたしの視線に気づいたのか目が合う。だけどそれはほんのわずかな時間で、すぐに正面に向き直ってしまった。
「……紅祭さん、今日のことを楽しそうに話していらっしゃいましたわ」
「ごめんね。わたしが何もかも覚えてないせいで悲しくさせちゃって。嘘つきだって……裏切りだって、思っちゃうよね」
「……いえ。無礼な物言いをしてしまい、申し訳ございませんわ」
それからはわたしが別れ際にお礼を言うまでほとんど会話することなく。
六芒堂からの帰り道がこんなに長く感じたのは、星楽ちゃんが飛べなかったあの日以来だ。
***
「……ごめん、瑠那ちゃん。今日は部活しないんだ」
リュックから覗かせた小瓶の頭に瑠那ちゃんは目を細めた。
「存じ上げておりますわ。私も真っ直ぐ帰ろうと思っておりましたのよ」
まだ尾を引く昨日が瑠那ちゃんの綺麗な顔に影を落としていて、漏れそうになる溜め息を飲み込んだ。
そんなわたしたちを嘲笑うみたいに、放課後を迎えたばかりの教室には和やかな空気が流れている。土砂降りのにわか雨が止むのを待てるのは週末の余裕だ。
「ぬいさんを頼られた方が救われることを、私も祈っておりますわ」
こんな時でも気遣う言葉をくれる瑠那ちゃんに、必ず埋め合わせをすると心のなかで誓う。
わたしはリュックの前ポケットに入れていた魔法の錠前をスカートにしまった。これを部室のポストにかければ、合鍵を持っていった依頼者が気づく魔法が起きる。顔を合わせずに薬を渡すことができるけど、壁一枚挟んだ向こうにわたしがいるのは気を使わせちゃいそう。なので今日は部活をしないと決めていた。
もうすぐこの薬が差出人の手に渡る。
早く笑顔にしてあげたい。間違ったことをしていないかな。
真に必要としている答えはこれのはず。失敗したらどうしよう。
逸る気持ちと不安が、落ち込んでいる心をさらに引っ張り合う。
でも、魔女を頼って手紙をくれた勇気を返してあげられるのはわたししかいないんだ。
いざ席を立とうとして、前の方からガタンと大きな音がした。教室の扉が勢いよく開いたことに一瞬遅れて気がつく。
入ってきたのは土で出来た一メートルちょっとのデッサン人形――つまりゴーレム。昨日真理さんが使役していたものより二回りは大きく、その分だけ力もあって制御も難しい。薬液を土に撒いて作るタイプだから誰でも学校には持ち込めるけど、こんなものを使えるのはクラスではわたしくらいのはず。
クラスメイトの驚きの声があちこちから上がった。一瞬の思考のあいだにもゴーレムは机を押しのけて教室に切り込んでくる。硬い足音と机が床をこする音で耳が痛い。
――これ、ちゃんと操れていないのでは?
下手な操り人形みたいな動きの先を目で追うと、そこにいるのは──星楽ちゃん!?
「アルヴェルデ!」叫ぶより早くわたしも飛び出す。誰もその場を動けていない。みんなにとっては意思疎通ができない怪物だ。止めなきゃいけないけど、教室の真ん中で危ない魔法は使えない。こうなったら!
尻餅をついた星楽ちゃんを抱き寄せて背中を向ける。暴れるゴーレムがどれくらい痛いのかなんて分からないから、堪えるために目をつむる。
――大好きだった魔法を諦めちゃった星楽ちゃんが、魔法で傷つくなんて絶対にいや!
わたしの一瞬の祈りは、硬いもの同士がぶつかる音で終わった。星楽ちゃんを放して振り向くと、アルヴェルデが立ちはだかりゴーレムを受け止めている。傷ひとつない姿は誇らしげだ。
わたしはポケットから出した小さなボトルの頭を押して霧を吹きかける。真理さんから貰ったばかりの魔法解除のアトマイザーがこんなところで使えるなんて。土だからよく染み込んで効果てきめん。
スプレーで動きの止まった頭を
「もうだいじょぶだよ、星楽ちゃん」
「う、うん……」振り返った目に飛び込んできたのは青ざめた顔。その泳いだ視線を捕まえられない。
怖かったのかな。それともわたしが庇ったことに罪悪感でも感じてるのかな。気にすることないのに。
壁を隔てた喧騒、窓の向こうのホワイトノイズ。
ただひとつ静まり返った教室に、声が響いた。
「ねえ
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