第3話 朝焼けの中で響く音
月が昇りはじめたころ、屋敷の屋根の上で、ヒナは制服のまま体育すわりをしていた。
片手には缶ジュース。もう片方で、何度も手のひらを開いたり閉じたりしている。
「……言い過ぎたよね、あれ」
「ほっほっ。やっと少しは反省したかの?」
静かに近づいてきた篠原が、湯呑みをもって隣に座った。
湯気とともに、ほうじ茶の香ばしい匂いがあたりに広がった。
「じい、あの子、弱そうだったでしょ? なのにあんな偉そうに……“火乃宮の忌み子”ってさ」
ヒナは唇を噛みながら、缶を軽く振った。
「……心の中では本気で覚悟決めて来てる子だって、分かってるんだよ。ああいう目の子、見たことある」
篠原は静かに頷き、屋根に腰を下ろす。
「ほう。じゃあなぜ、ああまで強く言ったんじゃ?」
「……あの子が中途半端だったら、一緒に行く私たちが危ないじゃん。命かかってんの。遊びで来られたら困るの」
「ふむ。では、お主は――あの子に期待しているんじゃな?」
ヒナは一瞬、きょとんとした顔をして、すぐに視線をそらした。
「……わかんない。わからないけど……ううー!なんか、うまく言えない!」
缶を一気に飲み干して、ヒナは立ち上がる。
「あたし、明日朝練するから!あの子がちゃんとやるって事見せてもらうから!じい、相手して!」
強く決意をにじませた表情をしながらヒナは屋根を飛び降り、闇の中へ消えていった。
「はいはい、分かったわい。まったく、まだまだ青いのう」
ヒナの背中を見送りながら、篠原は小さく笑った。
「――でもまあ、よい兆しじゃ」
2人の歩む道を照らすように月が柔らかく辺りを照らしていた。
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「こっちよ、水守さん」
玲に起こされ、まだ眠気が残る頭を引きずりながら澪は訓練場に向かった。朝露が残る道を抜けると、すでにそこには二人の隊員の姿があった。
(こんなに早くから……)
訓練場には、ツインテールの少女――ヒナと、彼女と向かい合うように立つ篠原がいた。
「ふんっ!」
「ぬぅっ、さすがじゃな。今のは危なかったのう!」
軽快な足さばきで攻めるヒナ。
それをひらりひらりといなす篠原。
ふたりの気配が交錯し、空気が張り詰めているのがわかる。
「なんだかんだ、あの二人の訓練は名物なんだよな」
いつの間にか隣にいた神谷が、腕を組みながら言った。
「え……毎朝、やってるんですか?」
「ん?いや、たまにだけどな。基本は自主練が主だが、篠原さんが『気が乗った』って言ってた日にはこうして始まる。ま、ヒナも負けず嫌いだから、全力だよ。……ああ見えて、あの子、本気の時は手加減しないから」
(本気……)
ヒナは機敏に動きながらも、どこか楽しそうな表情をしていた。
だが、目の奥は真剣そのもの。
一瞬の隙をついて懐に飛び込み、腕を振り抜く。
「そこじゃ!」
――バァン!
篠原の杖が地面を打つと、土煙が巻き起こった。
視界が一瞬、白くかすむ。
その隙にヒナは大きく後退した。
「ずっこーい!煙でごまかすなんて、じーちゃんずるい!」
「ふぉっふぉっ、戦いにゃあ知恵も必要じゃよ。お主にはまだそれが足りん!」
そんなやりとりに、澪は思わず笑ってしまいそうになった。
「……あの子、本当に戦いが好きなんですね」
「そうだな。でも好きってのは、なにより強い理由だ。自分の得意を誇りにできるやつは、ちゃんと前に進める」
神谷がふっと目を細めたそのとき、三人の気配を感じたのか篠原がふいに澪の方を見た。
「おや、澪くん。せっかく来たのじゃ、ちょいと手合わせしていくかの?」
「……えっ、私、ですか!?」
「ほらほら~、昨日あんなに偉そうなこと言ったんだからさ?見せてよ、水守家の力!」
ヒナがニヤリと笑って挑発してくる。
「ま、見学してるだけじゃもったいないしな。軽くでいい。動きの確認程度でいいから、やってみろ」
神谷も背中を押すように言った。
澪はぐっと唇を噛んだ。緊張で手が冷たくなる。けれど、その中にほんの少し、昨日とは違う感覚があった。
(――私だって)
「お願いします、篠原さん。お手柔らかに」
そう言って、一歩前へと進んだ。
「わしじゃないぞ?ヒナとやるんじゃよ?」
「え、あたし?」
ヒナはきょとんとした顔をした。それを見た隊長と柊副隊長は大きく笑った。
「ちょ、ちょっと待ってよ!?うちの朝練って、基本じいの相手でしょ!?聞いてないし!」
「まあまあ、ちょうどいいだろ。お互いの手の内を知っておくのも大事だ」
神谷がにやりと笑い、柊もどこか楽しそうに腕を組んだ。
ヒナは口を尖らせたが、すぐに肩をすくめるようにして笑った。
「しょーがないなあ。じゃ、遠慮しないよ?」
訓練場に立ったふたりの間に、張り詰めた空気が流れる。
ヒナは二本の短剣を抜き、澪は長い槍をしっかりと構える。
「始め!」
合図と同時に、ヒナの姿がふっと消えた。
(速い――!)
澪は反射的に防御に徹しながら周囲を探る。
風を裂く音と共に、背後から一閃。ギリギリで槍を振り返して受け止める。
重さはないが、その一撃の速さと正確さに澪は驚愕する。
「やるじゃん!でも、守ってばかりだと終わっちゃうよ?」
ヒナが翻るように跳び退き、間合いを取る。
その目は真剣だった――けれどどこか楽しんでいるようでもある。
澪は呼吸を整え、槍を低く構え直す。
一瞬の静寂ののち、今度は自分から踏み込んだ。
槍の長さを活かし、ヒナの懐に入らせないよう牽制しながらじりじりと間合いを詰める。
――そのとき、ヒナがふわりと身を沈めた。
(来る!)
一撃を受け流し、すれ違いざまに反転して一撃を――入れるはずだった。
けれどヒナは一歩先を読んでいた。すれ違いざまに軸足をずらし、澪の槍の間合いを潰す。
そのまま身体を捻って背後にまわり、澪の背に軽く短剣の柄を当てた。
「――終了!」
篠原の声が響き、静寂が戻る。
二人の肩で息をしている音だけが聞こえる。
澪は悔しそうに顔をしかめながら、ヒナを振り返った。
「ふふ、さすが水守家の子だね。簡単には崩れなかったよ。」
「……でも、負けました。」
「でも、昨日の言葉、嘘じゃないってわかった。」
ヒナの声は、からかうようでいて、少しだけやわらかくなっていた。
けれどすぐにいつもの調子に戻り、ニッと笑った。
「ま、せいぜい頑張って、落ちこぼれ返上しなよ?」
「っ――!」
強がりとわかっていても、澪の胸にはまた火がついた。
「……もう一回お願いします!」
「えぇ~!もう一回やるの~!?……かかってきなよ!」
ヒナも売られた喧嘩は買う勢いで答えた。
(次は、負けない)
そう心に誓いながら、澪は静かに槍を構えた。
ヒナと澪の手合わせをしている時、訓練場にはやや和やかな空気が流れていた。
神谷と柊が戦っている二人の様子を見守りながら、静かに話し込んでいる。
「……やっぱりな。あの子、素質はある。これからだな」
神谷が腕を組み、目を細めてつぶやく。
「ヒナも少しずつ気を許すと思います。あの子、言葉はきついけど、ちゃんと見てるから」
玲も穏やかに頷く。
そのとき――
「ふあぁ……な~に~、面白そうな事やってんじゃん~」
のんびりした声と共に、朝の光の中に女性が現れた。
乱れた髪を手でかきながら、訓練場に姿を見せたのは浅見だった。
「お前……今頃起きたのか?」
神谷が呆れたように声をかける。
「う~ん…ちょっとね……ドラマ見ながら調べ物しててね~。昨日から気になってた事~」
浅見は欠伸混じりに言いながら、訓練場に鋭い視線を向けた。
「新入りの水守澪ちゃん。確かに力はあるみたいですけど――」
言葉を切ると、浅見の口元がわずかに歪んだ。
「"水守の落ちこぼれ"って噂、あながち間違ってないみたいだよ~?
兄、妹と比べられてずっと評価されなかった~とか。夢喰いとの実戦経験も乏しいそうで」
その場の空気が一瞬だけ、ひんやりとした。
柊は眉をひそめたが、言い返そうとはしなかった。
神谷はしばらく無言のまま、澪の方へ視線を向ける。
「……知ってたよ」
「え?」
「親父さんも兄貴も名のある術師だろ。それに親父さんはこの協会の幹部の一人だ。一族の重圧で潰されそうになってたって噂も聞いたことがある。でも、そんなのは関係ない」
神谷は、やや語気を強めた。
「この隊にいるってことは、実力も、意志も認められたってことだ。過去がどうだろうと、俺たちは“今”を見る。――それだけだ」
「ふぅ~さすが隊長。いいこと言いますねぇ~」
浅見は肩をすくめて言うが、その顔にはどこか探るような色が残っていた。
玲は小さく息を吐き、言った。
「なっちゃん、澪ちゃんはまだ来たばかりよ。
必要なのは過去の評価じゃなくて、支えることじゃないかしら」
浅見は「はぁーい」と気の抜けた返事をして、口にたばこをくわえて歩き出していった。
隊長はその背を見送りながら、ぽつりとつぶやく。
「火乃宮に水守……やれやれ、前途多難ってやつだな」
けれど、その目は、どこか楽しそうだった。
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・
「あ~楽しかった~。朝ごはんにしよ!食堂はこっちこっち!」
ヒナは先ほどの手合わせが嘘のようにケロッとした表情で、朝食の盆を手に食堂に入ってきた。
その背後には、澪が少し疲れた様子ながらも、黙って彼女についてきていた。
「澪ちゃん、こっちこっち~。朝は味噌汁から飲むのが通なんだよ!」
ヒナは空いていた席にどんと座り、ちゃっちゃと箸を持った。
「……なんで味噌汁?」
「まず温めておなか動かすのが大事なの!そしたらごはんがもっとおいしく感じるんだってさ!」
「へえ……」
よく分からないけど妙に説得力のある理屈に、澪は小さく笑ってしまった。
「お、笑った。今日の勝負で少しは認めてくれた?」
「……べつに。そっちこそ、昨日のことは忘れてくれていいから」
「ふーん?」
ヒナは意味ありげに澪を見たが、何も言わずに味噌汁をすする。
その表情はどこか柔らかい。
その向こうのテーブルでは、篠原がまだ半分寝ている浅見にごはんに納豆をかけながら、「この納豆はな、茨城からわしが取り寄せたやつじゃ」と自慢げに話していた。
それを浅見がうんざりしたように聞き流している。
「隊長は朝練終わったらプロテイン飲む派だし、副隊長は朝は必ず焼き魚ってこだわるんだよねぇ……変な部隊」
ヒナがぽつりと言うと、澪はくすりと笑った。
「……でも、こういうの、ちょっといいかも」
ふと澪は思った。
ここに来てから、ずっと緊張していた。でもこうやって誰かと食事をするだけで、少しずつ肩の力が抜けていく。
実家でもあまり感じることのなかった暖かい空気を感じた。
まだぎこちないけれど――ここでの時間に、ほんの少し、馴染んできている気がした。
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