旅先での出会いから始まる君との恋〜温泉街で二人きり、女心は湯けむりのように〜

穂村大樹(ほむら だいじゅ)

第1話 湯けむりと想い人

 夜も深まり始めた二十一時過ぎ、僕、高崎たかさき宗司そうじは欄干にもたれかかり、辺り一体を見渡していた。


 僕は今日、家族旅行でとある温泉街へとやってきており、温泉街を散策したり旅館の温泉に入浴したり、晩ごはんをいただいたりと一通り温泉街での一日を堪能した。


 そして二十一時頃、旅館の部屋にて両親がお酒を飲み始めたところで、偶には夫婦水入らずの時間を過ごさせてあげようと部屋を出て一人で温泉街の散策を始めた。


 しばらく温泉街の散策を続け、部屋を出てから三十分程温泉街を散策をした僕は、そろそろ部屋に帰ろうかと考え進行方向を宿泊先の旅館へと向けた。


 しかし––。


「……まだ帰りたくねぇなぁ」


 どうにも部屋に戻る気分になれなかった僕は、再び進行方向を宿泊先から逸らし、温泉街中央を流れる川にかかる橋へと向かった。


 そして橋に到着すると、欄干へともたれかかりながら温泉街を見渡し始めた。


 川の流れる音が心地よく、温泉街の至る所に設置された街灯が辺り一体を埋め尽くす湯けむりを照らし幻想的な風景を作り出している。


 本来であればこの幻想的な風景に没頭し、感動しているところなのだろうが、僕は完全に上の空といった状態で天を見上げていた。


 僕が部屋に戻りたくないと思ったり、この幻想的な風景がどうでもいいと思ってしまうほど上の空になってしまっている理由--。


 それは、先週僕が失恋をしてしまったからだ。


 失恋とは言っても、好きな人に告白をして振られたというわけではなく、僕の好きな人に好きな人がいるのを確信してしまっただけなんだけど。


 僕は先週、僕の好きな人、月城つきしろこのみと、その友達、片瀬かたせ有紗ありさのこんな会話を耳にしてしまった。


『ねぇ、このみってみなみ先輩のこと絶対に好きでしょ』

『えー、好きじゃないよぉ。南先輩には私みたいなちんちくりんは似合わないだろうし』

『いやいや、隣に立ってるの想像してるじゃん! それもう好きなやつじゃん!』

『だから違うってー! まあかっこいいとは思うけどさー』


 月城は友達からの質問を否定しているようだったが、月城の反応を見た僕は確信した。


 やはり月城は南先輩が好きなのだと。


 そもそも月城は学校一と謳われるほどの美少女で、以前から男子の間では『月城の好きな人は誰なのか』という議論が繰り返されてきた。


 そして、繰り返されてきた議論の結果、『月城の好きな人は南先輩』という結論に至っていた。


 月城と南先輩は幼馴染らしく、その関係性が月城の好きな人が南先輩だと決定づける大きな要因となったらしい。


 そんな結論があった上での月城のあの反応。


『かっこいいとは思うけどさ』とまで言ってしまっているので、月城の好きな人は南先輩で間違いないのだろう。


「はぁ……。結構いいところまで行ってると思ってたんだけどな……」


 というのも、月城と僕の関係は、月城が僕に毎日のようにイタズラをしかけてくるという関係だった。


 月城とのそんな関係が始まったのは、僕がルーティーンにしている登校後の自席での朝寝中のこと。


 僕は朝寝をするために毎朝誰よりも早く登校して自席で机に突っ伏して朝寝をしている。

 その朝寝中、僕の次に早く登校してくる月城が、僕の顔に落書きをしたという出来事から僕らのイタズラをする、されるという関係が始まった。


 そして、僕が知る限り、月城が何の遠慮もなくそんなことをしている男子は僕だけだったのだ。


 だから、勝手にワンチャンあるかもしれないと思ってしまっており、月城の好きな人が南先輩だと確信したときはショックが大きかった。


「……はぁ。ため息が止まらないわ。失恋ってこんなにきついのか--ムグゥ!?」


 僕が欄干にもたれかかり天を仰ぎながら物思いにふけっていたそのとき、僕の口に突然柔らかい何かが押し当てられ、そして僕の口に押しつけられたそれは無理やり口の中に押し込まれた。

 

 無理やり押し込まれた物の味と食感で、それがなんなのかはすぐにわかった。


 僕の口に押し込まれたのは温泉まんじゅうだった。


 一体誰に温泉まんじゅうを口の中へと押し込まれたのかと天を仰いでいた状態から視線を正面へと戻すと、そこにいたのは–−。


「はっ、へっ、フヒヒホ《月城》!?」

「やーっぱり高崎だ。まさかーとは思ったんだけど、高崎がいるならイタズラするしかなくない? と思って。こんなとこで何してるの?」


 いや、それはこっちのセリフなんだが……。


 僕の口に温泉まんじゅうを押し当ててきたのは、この場にいるはずのない月城だった。


 この場にいるはずのない月城が僕の目の前にいるという予想外の展開に、僕は思わず言葉を失ってしまった。


 いや、まあ温泉まんじゅうを口にぶち込まれたから話せなかっただけってのもあるんだけど。

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