第9話「ワーク・ライフ・バランス、異世界に有給休暇を!」

俺、山崎健二が導入した目標管理制度(MBO)は、王宮に劇的な、しかし、あまり好ましくない変化をもたらしていた。

「成果を上げれば報われる」。その単純な事実は、これまで日陰の身だった者たちの目に、ギラギラとした野心の炎を灯した。それは良い。問題は、その炎が燃え盛りすぎて、城全体が巨大なブラック企業の様相を呈し始めたことだった。

夜になっても煌々と灯りがともる各部署の執務室。机に突っ伏して仮眠をとる官吏。栄養ドリンク(錬金術師が薬草を煮詰めて作ったもの)を呷りながら、虚ろな目で羊皮紙に向かう者たち。

かつての自分を見ているようで、俺の胃はキリキリと痛んだ。

特にひどいのは、試験導入部署に選ばれたマーカス侯爵の「宮廷儀典部」だった。無能の烙印を押されることを恐れた彼は、部下たちに「目標必達」の号令をかけ、連日連夜、無意味な儀典の改善案を練らせるという、典型的な精神論パワハラに走っていた。

「これじゃない…俺が目指したのは、こんな世界じゃない…!」

俺は、健全な競争が組織を活性化させると思っていた。だが、行き過ぎた成果主義は、社員(官吏)を疲弊させ、長期的に見れば、確実に生産性を低下させる。

このままでは、過労で倒れる者や、心を病む者が続出するだろう。それは、俺が前世で最も憎んだ光景だ。

「もう一度、根本から働き方を見直す必要がある」

決意を固めた俺は、再び国王と各部署の長を集め、新たなプロジェクトのキックオフを宣言した。

「皆さん、本日は『王宮職員の心身の健康と、持続可能な王国運営のための労働環境改善プロジェクト』についてご説明します!」

壁に貼り出された羊皮紙には、異世界人には到底理解不能な、二つの見出しが躍っていた。

【山崎からのWLB(ワーク・ライフ・バランス)提案】

* 「定時」概念の導入と、時間外労働の原則禁止

* 始業と終業の時間を鐘で明確に区切り、特別な理由なく夜遅くまで働くことを禁ずる!

* 仕事は時間内に終えるのがプロフェッショナル! ダラダラ残業は評価を下げる要因とする!

* 「有給休暇」制度の創設

* 全職員に対し、年間10日間の「給料が保証された休暇」を付与する!

* 休暇の取得は国民、もとい職員の権利である! 理由を問わず、自由に休み、心身をリフレッシュすべし!

案の定、会議室は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。

意外なことに、反対の声を上げたのは、マーカス侯爵のような保守派だけではなかった。成果を出すことに燃えている、若手の官吏たちからも、強い反発の声が上がったのだ。

「休んでいる間に、他の者に差をつけられてしまうではないか!」

「働けば働くほど評価されるのが、公平というものでしょう!」

彼らは、すっかり「社畜」の思考に染まっていた。

マーカス侯爵に至っては「民に仕える我らが、私用で休むなど言語道断! 怠惰を助長させる気か!」と、鬼の首を取ったように叫んでいる。

俺は、そんな彼らを冷ややかに見つめ、一枚のグラフを提示した。エリアーナが騎士団の訓練記録と、城内の書類処理速度を分析してくれた、極秘データだ。

「こちらのグラフをご覧ください。これは、『労働時間』と『生産性』の相関関係を示したものです」

グラフは、労働時間が一定のラインを超えると、作業効率(矢の命中率や、書類の処理枚数)が急激に低下することを示していた。

「長時間労働は、集中力を奪い、ミスを誘発します。結果として、生産性はむしろ低下する。つまり、皆さんがやっている深夜までの頑張りは、ロウソクと薬草ドリンクを無駄に消費しているだけの、全くの自己満足なのです!」

ぐうの音も出ない、という顔で黙り込む官吏たち。

俺は、最後のダメ押しとばかりに、国王に向かって語りかけた。

「陛下。兵士は、休息なくして戦い続けることはできません。それは、我々文官も同じです。十分に休息し、家族や友人と過ごし、見聞を広める。そうして得た活力や新たな視点こそが、この国をより豊かにするのです。休暇は、コストではありません。未来への投資です!」

俺の熱弁に、国王は深く頷いた。

「…うむ。理屈は分かった。それに、皆が休んでくれれば、夜間の魔力灯の消費が抑えられて、財政的にも助かるのう」

こうして、国王の鶴の一声(と、経費削減への期待)により、異世界初の「労働基準法」の制定が決定した。

鐘の音と共に仕事を終え、夕暮れの街に消えていく職員たち。その光景を見ながら、俺は一人、執務室で新たな書類の山と格闘していた。「有給休暇申請フロー及び管理台帳の作成について」「時間外労働の事前申請及び承認プロセスについて」…。

働き方改革を進めれば進めるほど、俺自身の仕事は増えていく。

俺が本当の意味で有給休暇を取得できる日は、果たして来るのだろうか。

次回予告

第10話「BCP(事業継続計画)、もしも王都に魔物が現れたら!?」

平和が訪れたかのように見えた王都。しかし、その地下深くでは、不穏な動きが始まっていた。

ある日、エリアーナが開発した魔力探知システムが、王都直下での巨大な魔力反応を検知する!

「これは訓練ではない!」山崎は、これまで築き上げてきた全てのシステムを総動員し、王国史上初の「事業継続計画(BCP)」を発動させる!

次回、社畜スキルは災害対策にも通用するのか!? お楽しみに!

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