第3話 父さんの弓
「あら、ずいぶん早く目が覚めたのね。」
薪割のコーンコーンという音で目が覚めたらしい、ユウミが首をかしげる。
「こんな大事な日に寝坊はできないよ。」
斧を片手に僕は問いかける、
僕は14歳のときはまだ細い体つきをしていたけれど、15歳になるときは、身長の伸びが止まり、次第に体が太くなっていた。それを見ていた村の衆が薪割の仕事をするように勧めていたのだ。
「なんかうまく寝付けなくてね。体を動かしたい気分だから。」
「あらそう。それはお元気で。」
と言ってユウミは身を翻し、台所の奥へ潜っていった。
ユウミは僕の姉で、歳は17歳、両側に束ねた黒髪がトレードマークの村の娘だ。病弱な母親の代わりに、今まで僕の面倒を見てくれていたのがユウミだ。台所の奥から声が響く。
「準備はできているの?今日は覇猪を狩る日でしょう?」
「言われなくとも万全だよ。弓も確認してあるし。」
いつものユウミのおせっかいである。やれやれと思いながらも、ユウミの存在の大きさを感じる。
母は僕を産んでから、体調が芳しくなかった。かなりの難産だったらしく、僕が覚えている母との景色は元気な様子とは言えなかった。車輪付きの椅子を使って外出するのと、寝床に入っているところばかり見ていた。そんな母を支え続けたのは姉のユウミだ。
「縄と網を持った?あれを持たなきゃせっかくの仕留めた覇猪も台無しよ。」
「うるさいな。ちゃんと持っているよ。」
ユウミのチェックは目ざとい。
「保存食は何を持っていくの?」
「干し肉と鬼灯果、あと桑藍実と水。」
ユウミが怪訝そうな顔をしかめ、
「栃餅ももっていきなさいな。それだけじゃ覇猪に勝てないわよ。」
と言って、また台所の奥に消えた。恐らく今から栃餅を焼くのであろう。窯に火をくべる音が響く、湯も沸かしているな。こういうところがあるから、ユウミには頭が上がらない。
普通の17歳でもあれば、東の街で働きたいと駄々をこねるものだろうけど、ユウミは一切口に出さない。ユウミは幼いころから、病弱の母の面倒を看るのが日常となってしまった。
何ひとつ文句も言わずに、この森に残って母の面倒を看続けている。
「お母さん、今日はお粥がいい?それとも糊にする?」
ユウミが声をかけると、家の奥から人影がのっそりと動いた。杖をつき、おぼつかない足取りで食卓に座った。
「お粥がいいわ。」
「じゃああと十五分待って。」
寝室の奥から杖をついて出てきたのは僕の母だ。
「悪いわねユウミ、こんな日まで、私ったら。」
「それは言わない約束でしょ。いいから座って。」
そういうとユウミはパタパタと朝食の準備をし始めた。僕も薪割をやめて、汗をぬぐった。
「お母さん、覇猪の肉松があるから、それと玉子をお粥にしましょう。昨日のドミニクの激励会で出されたいい肉を肉松にしてあるの。きっとおいしいわよ。」
「それは御馳走だわね。ドミニクはどうしたの?」
「今呼んだわ、すぐに来るわ」
そう言われてしまっては、すぐに向かわざるを得ない。あわてて食卓へ向かう。
「おはよう。母さん。」
「おはよう、ドミニク。」
そう言って、三人で食卓につく、父はいない。僕が小さい頃に亡くなってしまった。
「あら、今日もおいしそうなご飯なこと。」
「いつも通りよ、嫌だわ。母さんったら。」
そう言って、朝食が始まった。
「あぁこのお粥いつもよりおいしいわぁ。」
「棗を入れてあるの、甘みが出たかしら。」
そう言って小さな食卓を囲む。覇猪の肉松は萵苣に包んで食べる。
「味付けがいいわね。」
「食感もいいわ。」
僕も食べるが、やはり緊張からどこかぎこちないのか、二人にからかわれる。
「いつもより大人しいのね。」
「いつもは肉松ばっかり食べるのに、不思議ね。」
僕の緊張は見透かされてしまっているようだ。それでも母が笑う。
「今日は大事な日だからねえ。」
成人の儀式は僕にとっても大事な儀式だが、母さんや姉のユウミにとっても同じなのだろう。最近では、豊かさを求め東の街に移住することも多く、村に子供が減っている。そのため、僕の成人の儀式はいっそう注目されているのだと思う。東の街では他国との貿易が盛んになり、人々は豊かさを求め、家族ごと移住をする場合も少なくない。あそこは、すぐ北に、屈強な兵士を集めた城もある。それに南に白馬の岳があるから、魔族は攻めてこないし、魔族が攻めてきても戦う兵力はいるだろう。そんな背景からか、続々と人が集まり活気づいている。
「ちょっと醋と葱をかけたら、もっとおいしくなるじゃない?」
「そうかしら。今取ってくるわ。」
そう言うと、ユウミはまたパタパタと台所へ走っていった。
「すっかりたくましくなったわね、ドミニク。」
いきなりの母さんからの言葉に詰まってしまった。
「そ、そうかな?薪割ばっかりやっているから。」
「いいじゃないの、父さんも喜ぶわ。」
そういって母さんが振り返った先に、父さんの弓があった。父さんは弓の名手で村でも有名だった。僕たちの村では覇猪の牙を削った弓を使う。短くて太い覇猪の牙を、二枚張り合わせて作る弓を、左手の籠手に装着して使う。そうなると必然に、片手で弓を引くことになるのだが、これが重い。子供のころに挑戦したことがあるが、びくともしなかった。覇猪の分厚い皮を貫通させるためにはそれくらいの強度がなければ通用しないのだ。この弓を引けるかどうかも成人の儀式に挑戦できるかの指標になるのだ。
「父さんの弓を持っていきなさいな。」
母さんの言葉にびっくりした。
「あれは父さんの形見で…。」
遮るように母さんが言う。
「飾っていても仕方ないじゃないの。父さんも喜ぶわ。」
そういって杖をつきながら、父さんの弓を取ってきた。
「あら、腕の長さも丁度いいじゃない。やっぱり親子ねえ。」
母さんは僕の腕に父さんの形見を着けながら、瞳は遠くを見ているようだった。
「これで父さんも護ってくれるわ。あとは全力を尽くしなさい。」
その瞳は病人とは思えないくらい、澄んでいて、力強かった。
「はい。無事に帰ってきます。」
そう言うと母さんは微笑んで、僕の肩をポンポンと叩いた。
「母さん、醋と葱…。あれドミニク、それ父さんの。」
ユウミが台所から帰ってきた。母さんは、
「似合っているでしょう?」
とユウミに微笑んだ。ユウミはしばらくポカンとした顔をしていたが、にっこりと笑い、
「せっかくの門出に、父さんから何も無しってわけにはいかないか。」
と微笑むと、
「そうそう。」
と母さんも微笑んだ。
僕は左手の籠手に装着された弓を見ると、亡くなった父さんの思い出が朧げに浮かんできた。父さんとの記憶はわずかしかないけれど、厳しい人だった。
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