第8話 『狩り』の支度
アルター内に存在する国家の一つ【エムル王国】の王都【グランエムル】。
その街角に存在する、とある喫茶店。
周囲にはプレイヤーが使うような店も無く、街の奥まった場所に存在することから、普段はAI制御されるNPC市民くらいしか来ないのだが、そこに今日は二人のプレイヤーが居た。
「ほらよ。お前の『処刑リスト』、できてるぜ」
屋内だというのにフードを深く被り、顔を【和・キツネ・オメン】で隠した男が、机に紙束を叩き付けた。
この男こそ、シュレディが頼りにした『探偵』。
フレンドになるほど仲が良いわけでもないが、日本サーバーのオープン日にアルターを始めた同志。
古株プレイヤー同士、互いの存在を認識し、活躍と実力を知り合う相手だ。
アテナの配信のチャットログを渡したところ、彼は三日で報告書をまとめてきた。該当者のプレイヤー名をリストにしてきたのだ。
「ちゃんとローカルにテキスト保存しとけよ。……リストのここからここまでは、ほぼ確定。この辺は未確定だが、深入りするうちに裏取れるだろう。追加料金が出るなら俺が調べ続けてもいいが、すぐに調べ付けるのは多分無理だな」
「流石は『探偵』」
「そう言って貰えるなら冥利に尽きるね。なにしろ三徹で一気に終わらせたんだ」
ざっとデータを流し見て、シュレディは舌を巻く思いだった。
調べた内容に関して、シュレディが真偽を判断できるよう、推理の根拠までわかりやすくまとめてある。
おそらく『探偵』は、リアルでも何かこの手の仕事を生業にしているのだろう。しかも、かなりの腕利きと見た。
「しかし、また随分くだらねえ事になったな」
VRコーヒーを飲みながら、『探偵』は嘆く調子で言った。
「……あり得るのか? こんなことが」
「そりゃ、AIプログラムだって所詮は人間が作って学習情報を与えたに過ぎないからな。人間のやることだから間違いもある」
「そうか……」
「そんなもんに独断できる権限を与えた、運営の体制も含めてな」
『探偵』が、お面の下でそんな表情をしているかは窺い知れぬが、彼は、少なくとも、笑ってはいなかった。
「この世は、『正しければ上手くいく』んじゃなく、『上手くいった奴が正しいと思われる』だけさ。このままなら、お前を通報した奴らが正義ってことになる」
『探偵』に言われるまでもない。
世界は簡単にバグる。そして、悪の汚名を受けた被害者が、マイナスをゼロに精算するための戦いを強いられるのだ。
コーヒーを飲もうとして、それが空であることに『探偵』は気づく。
「上手くやれよ、ジャガー麺。少なくとも、俺に金を返すまでは」
「ああ」
発端は、自分に負けたプレイヤーたちの逆恨みだろう。
そこから生まれた『ジャガー麺はチーターだ』という根も葉もない噂が、誰も訂正や制止をしないまま、多くのアルタープレイヤーに広まっていた。
あまりにも他のプレイヤーと交流しなさ過ぎたせいで、今の今までヒューマはこの惨状に気づかなかったのだ。
状況をひっくり返すには、大きな仕掛けが必要だ。
その仕掛けをヒューマは三日で考えてきた。
そして、それは今日から始まるのだ。
* * *
『処刑リスト』を受け取ったその足で、シュレディはアテナとの待ち合わせ場所へ向かった。
エムル王国はライトファンタジーの舞台としてありがちな、中世~近世のヨーロッパをごった煮にしたようなデザインの国家だ。
グランエムルの街の中心には立派なお城がそびえ立ち、周囲には漆喰やレンガの建物が並ぶ。
外縁部は壁で囲まれていて、街の入り口には「ここはグランエムルの街です」と誰にでも挨拶をするプレイヤーが常時三十人前後ひしめいている。
シュレディがアテナと待ち合わせをしたのは、街を守る街壁の、防塔(城壁などの一部が塔状になっている格好の防衛拠点)の一つの、半地下空間だ。特に面白い場所でもない、ただの小部屋なので、道に迷った者以外はそうそう来ない。
「おはよーっす」
「おはよ…………」
部屋に入ったシュレディに挨拶してきたのは、明らかに闇堕ちしている赤ずきんだった。
先日配信でリスキルされまくっていた時は、なんとなく赤ずきんっぽいコーディネートの初期服を着ていた彼女だが、今は赤ずきんをモチーフにしたSレア装備【レッドフード】一式で全身を固めていた。
ただし、純白のはずのエプロンには返り血ペイントがされていて、下に着ているワンピースも激しい戦いを経たようにダメージ加工されていた。【仕立て直し】という、性能を変えずに装備の見た目を少しだけアレンジできるシステムによる加工だ。
背中には、悪い狼どころかフェンリルの腹くらいなら掻っ捌けそうな、彼女自身より大きなハサミ型の双剣【レッドフード・シザー】を担いでいた。
キャラ自体の外見も少し違う。
甘いハニーブロンドの髪は、部分的に黒く染められてメッシュが入り、左頬には流血を思わせるトライバル紋様の刺青が入っていた。
そして何より、目が黒い。青く澄んでいた目は、白目だった部分が黒く染まっていた。日本コミュニティでは『魔族目』と呼ばれているものだ。
「……どちら様?」
「I'm アテナ! エステ(※キャラの外見変更)したんですっ!」
「だ、だいぶイメージ変えたな……」
「グレてみた。あの
アテナは、呵々と笑う。
笑って歯を見せるのは、自然界では外敵への威嚇に当たる行動だという話を、なんだか急にシュレディは思い出した。
「で、『探偵』とやらは?」
「バッチリ。できたてで湯気が立ってる処刑リストを受け取ってきたとこさ」
「へえ! 共有しといて。私も頭に叩き込むから」
当たり前のように言われて、当たり前のように応じてしまってから、シュレディはひやりとした。躊躇った。
「……どした?」
「本当にいいのかなって。俺と一緒に来るなら、それこそ天下の大悪人になっちまうだろ。今からならまだ、しばらく潜伏してほとぼり冷ませば元の生活に戻れる……」
「ストップ。それ以上は私への侮辱だわ」
ぴたりと平手を突きつけて、アテナはシュレディの言葉を遮った。
「舐められっぱなしでいられますか、ってーの!」
「分かった。なら……改めてよろしく」
元々、彼女はハウジング勢だ。三日分寝て考えて、やる気が萎えた様子ならここで止めるつもりだったが、ひとまず大丈夫そうだろうか。
「それで? 今日は何人殺しに行くわけ?」
「まだ分からん。今日の予定としては、戦いに必要な買い物をして、【バトルスタジアム】を冷やかして、家を一軒焼く感じだな」
* * *
そして二人の戦支度は、すぐさま障害にぶち当たった。
「……うえええええ!? 【燃焼ポーション】一本がこんな高いの!? 普段の六割増しくらいじゃない!?」
色とりどりの天幕が立ち並び活況を呈する、グランエムルのマーケット。
そこでプレイヤーから商品を預かって代理販売しているNPC商人の店を二人は覗いたのだが、値段を見るなりアテナは素っ頓狂な声を上げた。
「なんでこんな急騰してるのよ」
「俺に言われてもな。みんな困ってるんだ」
AI制御されるNPC商人のおじさんは、困り顔で頭と出腹を搔いていた。
シュレディもアイテムの値段リストを眺めてみたが、確かに一部の商品が妙に高い。ちょうどアテナが買おうとしていた燃焼ポーションは特に高い。
そこに、アテナと商人の会話を聞いて、通りすがりのプレイヤーが寄ってくる。
ピクニックに持っていくようなバスケットを手にぶら下げた、白魔女スタイルの少女だった。
「聞いてくださいよ。私、知ってます。昨日までセーレン地方に居たんですから」
「セーレン……ああ、そっか、燃焼ポーションの材料はあそこで採れるんだわね」
「そう。何故か採取地で襲ってくるPvPerが少ないから、初心者が稼ぐのにも安全な場所だったんですよ。それが急に襲われることが増えて、もうダメです。材料の供給が減りそうだからって買い占めが起こってるんですよ」
それを聞いて、シュレディは息を呑む。
「……もしかして」
「おい。なんか心当たりあんのか、妖怪・人力チーター」
「いや……最近そこを狩り場にしてたんだ。強そうなのはとりあえず襲ってたけど、薬草摘みはみんな
アテナとシュレディの間に、冷たく乾いた沈黙が流れた。
そしてアテナは咳払い一つで、気を取り直した。
「……じゃあ【装備補修キット・革】は? ランクA以上で」
「普段の倍だね」
「なんでよ!?」
「東からの荷物を運んでたキャラバンが襲われたんだ。それで今は品薄だ」
「東? ってことは【ムールドル山】を超えるルートですか?」
シュレディが割り込んで商人のおじさんに聞くと、彼は頷く。
「そう、そこだ」
「……あの山越えルートって交通の要衝だから、山賊やろうとするプレイヤーが集まって、拠点とか作ろうとするんだよなー」
「斬ったの?」
「定期的に」
アテナとシュレディの間に、冷たく乾いた沈黙が流れた。
『ジャガー麺がBANされた』というニュースは、既に日本サーバー中に知られているのだろう。特に、ジャガー麺と直接やり合っていた連中は、皆、このニュースに大注目している。そして、情勢の変化を受けて動き出しているのだ。
「あの、なんかゴメン」
「気にすんなし……お前一人が狂わせてたゲームのバランスが元に戻り始めているだけとも言えるし……」
アテナはリアクションに困ったのか、斜めに傾いていた。
『やらかした』というよりも『やらなくなった』ことによる変化なのだが、それはそれとして引き金を引いてしまった立場として、なんだかよく分からない申し訳なさをシュレディ=ジャガー麺は感じていた。
「これは俺も金が足りなくなるな。3バカから剥ぎ取った装備を売った金だけでは、Bランク装備を何セットか揃えるので精一杯か……」
「私が死蔵してる装備とか使う? ツケで売ってもいいし」
「いいのか? 助かる。ありがとう」
アテナの申し出に、社交辞令ではなく心の底からありがたく思い、シュレディは頭を下げた。
多種多様な装備を用意して、必要に応じて使い分け、死んで装備を失っても次を持ち出す財力こそがプレイヤーの強さ。
PvPがいくら上手くても『作りたて』のキャラ一人には限界があるゲームなのだ。
「そんでさ。足りない分はさ、
「すまんが、それも高いよ」
商人のおじさんが溜息交じりに言う。
アテナは弾かれたようにシュレディの方を向いて睨んだ。
「またお前か」
「流石にそんなはずは……」
「すぐ南でな、クラン
AI制御されるNPCは、ゲーム中の出来事について、いかにも噂話っぽい脚色をして話すものだ。だが、バトルログを検索すれば、
「俺のせいだったわ」
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