第4話 役場へ

<セルドの店>が下町でもちょっと有名なのには、訳がある。港町にたくさん娼館はあるけれど、珍しい商売をしているから。店を始めたのは、亡くなった旦那の両親で、母親は港町の姉さんの一人だったけれど、商人だった父親に身請けされて、この店を始めた。何でも自分が働いていた時に、毎晩何人も違う男の相手をさせられるのが、嫌だったらしい。それで少しでも女に有利な店を作ろうとした。最初、そんな店はすぐにつぶれるって思われていたみたいだけれど、働いていた時の知り合いの姉さん達に声をかけて、中も外も最高の女達を揃えたところ、人気店になっていた。


一晩限りの商売はしない。最低五日間の契約。<セルドの店>に滞在してもいいし、自分の宿や家へ呼んでも構わない。港町には、年に一回、人によっては数回滞在する商人がたくさんいて、部屋を借りたり、宿を取ったりするので、そういう人にとって<セルドの店>の商売の仕方は、ある意味便利だった。うちの店の姉さん達は、家事が出来るし、歌が上手かったり、楽器が出来たり、それぞれ楽しませる特技がある。あたしよりこの店が長い、豊満な赤毛のヴァル姉さん、金髪のほっそり美人のポリーラ姉さん、そして茶色の豊かな髪の知的美女のツェーラ姉さんなんかには、裕福な商人や役人のご指名が入る。コロコロ姉さん達が変わるこの商売で、こんなに長く一つの店に居るのは珍しい。そういう話っていうのは、姉さん達の間を簡単に駆け巡るので、<セルドの店>には美しく才能がある姉さんが集まるようになった。


こういう風に考えると、あたしは店のとまり木にとまる小鳥にはなれないね。顔もとびきり美しい訳でもなく、胸もお尻もごくごく普通の盛り上がり、薄い茶色の髪は珍しい色でもなく、唯一珍しいのは青とも緑とも色を変える瞳だけ・・・。読み書きと家事が出来て、薬草に詳しいのが取り柄って、娼館の女の売りとしては、いまいち。旦那が自分の世話係にしたのもわかるよ。

「セシアさん、どうしたんですか?」

「お嬢様、どこか悪いところでも?」

いつもの朝の時間を過ごしていたのに、あたしが黙り込んで、突然テーブルに突っ伏したので、ツバルさんとコラレスさんが声をかけてきた。

「ああ、大丈夫だよ。具合が悪いわけじゃないから」

笑顔を見せたのに、二人の顔はもっと険しくなった。自分に女の魅力がないことに、落ち込んだなんて、言えない。


五のつく日は、顔役の所に出向いて、店のみんなのお給料を用意したり、お互い連絡することがあればする日なので、混雑する前に早めに行くことにしている。本当は店の主人の仕事なのだけれど、なぜか顔役からあたしが指名されている。病気の旦那に付き添って、何度か行っていたせいだと思うんだけれど。

「ツバルさんの買い出しは、幾らくらいかかる?」

「そうですね、二十ブランくらいかな?」

「分かった、用意してくる」

「よろしく」

五の日は、給料日の所が多くて、午後から半日休みにするところがあるので、市場がいつもより長く開かれていて、珍しい物が入荷するのだけれど、混雑するのでツバルさんと男の子達に行ってもらっている。ツバルさんは、端正な顔立ちを最大限に利用して、市場のおばさん達から、格安でお菓子の材料やお茶などを仕入れている。男の子達も下町で生まれ育っているので、荷物運び以外にも裏通りの店もよく知っている。たまに、市場でツバルさんを見かけて、愛人契約を結びたいなんていう、上流階級の奥様の申し出があったりするけれど、たいていはお断りしているみたい。うちは給仕係として雇っているから、基本的にはツバルさん次第かな。


下町の人間にとって取引所の役割をする顔役の役場は、市場とは逆の方向なので、店を出たら通りを右に向かう。あたしがあんまり人に会うのが好きじゃないとこを知っているコラレスさんは、裏路地を進んでくれるけれど、安全な所ばかりではないから、表通りに出ないといけないところもある。そういう時に限って、会いたくない奴に会う・・・。

「おや、<セルドの店>の女将さん、久しぶりだね」

通りを歩く人が振り返えるようなバカデカイ声で声をかけてきたのは、同業者のグラノ・パダーナとその用心棒ルブロ。コラレスさんが腰に下げている短刀にゆっくり手をかけると、相手のルブロはわざとらしく両腕を前で組んで、ニヤリと笑った。こんなところで流血沙汰にするつもりはお互いないので、物騒な挨拶って感じ。

「パダーナの旦那も、相変わらずお元気なようで」

「ああ、食欲もあるし、そこら辺の若造には、負けんぞ、どうだ?」

カチッとコラレスさんが短刀の留め金を外す音がした。このおやじ、あたしのなにが気に入ったのかわからないけれど、会うたびに愛人になれって、言ってくるんだよね。店の女にも手を出しているし、愛人もそこら中にいるらしいのに、元気だねえ・・・。

「あたしのようなつまらない女を相手にしなくても、旦那には十分きれいどころの姉さん達がいらっしゃるじゃあございませんか。お言葉だけありがたく受け取っておきます。先を急ぎますので、失礼します」

すれ違いざま、ルブロが声をかけてきた。

「女将さんも苦労するねぇ。店の主人があんなだと」

コラレスさんが短刀を少し抜く音がした。パダーナのツルツル頭、でっぷりと太った体に付けられた装飾品がじゃらじゃらなる音が聞こえなくなるまで、あたしはただ黙々と通りを歩いた。

「お嬢様、それ以上行くと、大通りに出てしまいます」

コラレスさんに肘をつかまれて立ち止まると、目の前の通りには、たくさんの馬車と馬が行き交い、石畳の広い歩道を小綺麗な服を着た男女がゆったり歩いていた。たった一本の通りなのに、生きている世界が違う。一度こちらに来てしまうと、もうあちらには戻れない・・・。

「悪かったね。心配かけて」

「いえ・・・」

コラレスさんは、軽く頭を下げると先に立って歩き始めた。若旦那が入れ込んでいる姉さんがいるのが、よりによってあのおやじの店で、顔役さんの後押しがなかったり、キャリー様が出入りしていなかったら、旦那が死んだ時あっさり乗っ取られていたかもしれない。春に若旦那と喧嘩した後、さすがに小遣いの中でやりくりしているようだけれど、いつ難題が降りかかってくるか・・・。約束の二年が近づいてくる、どうすればいいのかな・・・。

「お嬢様、それ以上行くとまた大通りに出てしまいます」

「あ、ごめんなさい」

目の前には、きれいな花が咲いた花壇が並んだ河沿いの高級住宅地が広がっていた。

「朝から様子がおかしいです。具合が良くないなら、無理しないで下さい」

「本当に何でもないんだ。ごめんよ」


顔役の住居と役場は、九の一番地。さっきのムカつくおやじの店は、九の三番地。顔役の所と同じ通りに面して建っているから、娼館としての格が上なんて言っているけれど、姉さん達の扱いは、うちの方が上だよ。顔役の住居は、大通りに面しているけれど、役場の方は裏通りに面しているので、ぐるっと回ってしまい、遠回りになってしまった。こういう気が滅入っている時に限って、会いたくない人に会ってしまうもんだ・・・。壁際の石畳の歩道を下りて、道を譲り、軽く頭を下げる。顔役の息子のラスティと娘のフラスカが、フリルとレースをたっぷり使ったピンク色のドレスを着た女の子と通り過ぎた。前にディーの奴が言っていた、婚約者候補だろうね。

「フラスカ様、お知り合い?」

「いいえ、とんでもない!私、下町の者とは話しません。まして、あんな人!」

「やめないか!フラスカ」

「ふん!早く戻って、お茶にしましょう」

ピンク色のドレスの女の子の腕を取ると、お嬢様は住居の方へ足早に去って行った。

「すまない、セシアさん」

「いいえ、フラスカ様のおっしゃる通りです。ラスティ様が私のような者に謝られることはございません。失礼いたします」

あの日から、こんな仕打ちを受けるのは慣れっこだよ。今さら、悲しむことなんてないんだよ・・・。なのに、なんで涙が出てくるんだよ。

「お嬢様・・・」

肘を引っ張られて立ち止まると、また行き過ぎてしまう所だった。ぐるぐる回って、時間をくったせいか、役場は人の出入りがいつもより多くなっていた。

「手続きは、私がやっておきますので、お嬢様は手洗いに行って、落ち着いて来てください」

「ありがとう」

受け付けの人に軽く頭を下げて、通路の奥の手洗いに入り、扉を閉める。大きく深呼吸して、顔を洗い、髪をまとめ直して、鏡の中の自分を見つめた。目はちょっと赤いけれど、大丈夫。外へ出ると、出来れば今日は会いたくなかった人が立っていて、あたしに手招きしていた。手続きを終えたコラレスさんが気づいて、足早に近づいて来た。

「二人とも、中に入りなさい」

顔役は執務室に入ると、あたし達に椅子を勧めて、秘書室の扉を開け、しばらく誰も通さないように命じると振り返った。

「どうして立っているんだ?」

「あ、あの、このままで・・・」

「いいから、二人とも座りなさい」

いつもはこういうところでは腰を下ろさないコラレスさんも、素直に座った。顔役も向かい側に座ると、腕を組んで、大きなため息をついた。「頭に生える分、アゴに生えているんだ」なんて言われるくらい、たっぷりとした黒いアゴひげを撫でながら、またため息をついた。こんな態度は珍しいよ。あたし、何かしたっけ?

「申し訳ありませんでした」

「なぜ、お前が謝る・・・」

「何かやらかした覚えはないのですが、やっているかもしれないので、先に謝っておこうかと・・・」

アゴひげを撫でる手をとめて、呆れたようにあたしを見つめた後、顔役が頭を下げた。

「すまなかった。フラスカが無礼な事を言ったらしいね」

あのお嬢様は会うたびに、嫌みを言ってくるから、いつの事か迷ったけれど、たぶんさっきの事だろうな。本人が話すはずがないから、ラスティ様だよね。

「いいんです、本当の事ですから。立派なお宅のお嬢様から見ればひどい商売ですから」

「いや、あの子は分かっていない。自分が蔑んでいる下町の者達が、汗水流して働いて、稼いでくれているから、あのビラビラした服や指輪やら買えるというのに。最近、どうも目に余る態度を取るらしくて、あの子を小さい頃から知っていて、甘やかしていた古株からも苦言が届いている。注意したんだが、ますます反抗するようになってな」

顔役から父親の顔になって、またため息をついた。まあ、そういうお年頃だね。こっちとしては、甘えられて、反抗出来る父親がいるだけで、羨ましいのに・・・。

「フラスカ様は、この街がお好きではないようなので、良いところのお坊っちゃまでも見つけて、お嫁に出されたらいかがですか?ラスティ様も、ご婚約が調うそうですし」

「ああ、あの話は今日断った。婚約の話は、白紙になった。どうも、あいつには結婚したい女がいるらしくて、今後話は受けるなと怒られたよ」

おやまあ、父親の言いなりのお坊っちゃまかと思ったら、なかなか芯は強いみたいだね。

「適齢期の息子と娘を持つと色々と大変ですね。お二人に早く良い方が見つかる事を願っております。今後こういうことがあっても、顔役様に謝っていただくほどの事ではありません。でも、気にかけていただき、ありがとうございました」

ニヤニヤ笑いながらアゴひげを撫でていた手をとめ、渋い顔になったけれど、これ以上遅くなると、ツバルさん達が買い出しに行けなくなっちまうよ。コラレスさんが素早く立ち上がると扉を開けてくれた。

「それでは、失礼いたします。また、来週参ります」

「ああ・・・、今度また、ゆっくり話そう」

「はい」

執務室を出て、ますます混雑してきた役場を抜けて、通りへ戻った。

「ツバルさん、イライラして待っているね。急いで帰ろう」

「心配していると思いますよ。お嬢様は、店へ戻ったら、ツバルの作った菓子でも食べて、休んで下さい。今日は十分働かれました」

「何、言っているんだい。そんなご身分じゃないよ」

コラレスさんの冗談かと思ったら、本気でお菓子の皿と一緒に部屋へ放り込まれた。でも、確かに色々疲れたみたい。煮込んだシューナがたっぷり入ったケーキを楽しんでいるうちに、眠くなってきた。ありがたくお昼寝させてもらおう。





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