ブンシン☆アイドル

糸川透

第1話 夏山ミナミの苦悩


 孤高のソロアイドル、夏山ミナミは苦悶していた。

 世はアイドル戦国時代、種々雑多なアイドルが生まれては消え、消えては生まれる。年々求められるクオリティは高くなり、歌とダンス共にレベルは増していくばかり。アイドルの人気も鰻登りの中、今年四月にある一大事件が発生した。


 五人組グループアイドルである「ロンリネス」が生放送の音楽番組に出演した際、曲の途中で機材のトラブルが起こり中止されたのだが、それでも音楽と歌が流れ続けたのだ。つまり、口パクの発覚である。


 これを機に、世間の口パクへの風当たりは激化し、口パク発覚それ即ちアイドルとしての死、つまり事実上の引退を宣告されることと同義となった。これまで口パクを積極的に行ってきた芸能事務所が次々と規制をかけ始め、番組側も出演者に生歌を強制することを余儀なくされた。グループアイドルは歌担当とダンス担当に分かれ、分業することでこれに対処して事なきを得た。つまり、この騒動によって最も窮地に立たされたのは、この夏山ミナミのようなソロアイドルだった。


「はあ、はあ……。ダメだ、やっぱりできない」


 ダンススタジオの鏡の前で、夏山ミナミは膝に手をついて、息を切らしながら呟いた。


 扉が開き、ミナミのマネージャーである市東いちとうが入ってきた。

「ミナミちゃん、おつかれ。どう、『ミナミ・THE・ファイト』の仕上がり具合は」


「市東さん、やっぱり無理です! 何度も練習してるけど、一向にできるようにならない。あのレベルのダンスを歌いながら踊るっていうのは、人のやる所業じゃないですよ。今からでも、事務所にダンスのレベルを落とせないか聞いてもらって……」


「今更レベルを落とすのは許されないでしょうね。だって、もう既にいくつかのライブや収録であのダンスを実際に踊ったわけだし」


「これまでは口パクだったから何とか踊れてましたけど、それが封じられた今、このレベルの歌とダンスを両立させる方法なんてありますか? 私も探してはいるんですけど、一向に見つからない」


「だからといってダンスのレベルを落としたら、前まではやっぱり口パクだったんじゃないかと騒ぎ立てられてしまう。とりあえず今日のライブでは、『ミナミ・THE・FIGHT』はセトリから外すしかないわね。でも、一か月後のミュージックエアポートでは、否が応でも披露しなければならない。それまでに歌とダンスを同時にできるようになって、今までも口パクじゃなかったとはっきり示さないと」


そう冷徹に言う市東に、ミナミは下唇を噛んだ。


「うー。こっちも好きで口パクしたんじゃないのに」 


 ミナミのスタイルは、元々ダンスも歌も両方やるというものだった。ただ、ダンスは歌いながらでもできるようにそこまで難易度の高くないものだった。また、ミナミの所属する事務所はそこまで大きくなく、ミナミも売れっ子という訳ではなかった。

 

 しかし、事務所が本格的にミナミを売り出そうと決めて、いつもより製作費やプロモーション費をかけて新曲を作った。その曲が『ミナミ・THE・ファイト』である。喜ばしいことにこの曲がかなりヒットし、色々な歌番組に呼ばれるようになった。

 ただ、一つ問題があった。それが、ダンスの難しさである。事務所が振り付けにも力を入れようと、世界的に有名な振付師に依頼をした。結果、ミナミが今まで踊ったことのないようなハイレベルな振り付けになったのだ。到底歌いながらできるダンスでは無かったので、事務所はミナミに口パクを指示。ミナミもそれを渋々受け入れ、色々な場所で、口パクで『ミナミ・THE・ファイト』を披露した。そしてつい最近「ロンリネス」口パク発覚事件が起き、口パクへの世間の風当たりが強くなったのだった。


 ミナミは、どうにか歌とダンスを両立できる方法を模索していた。今までの口パクが発覚するのを恐れてのこともある。ただ、ハイレベルなダンスは、曲が売れた一因でもあるため、できるだけ改変せずに踊りたいという純粋な意志も持っていた。何かいい方法はないかと、夏山ミナミは苦悶していた。





 ある日のライブ終わり、帰ろうと外に出ると、暗がりから人影が近づいてきたので警戒した。

 しかし、その人物が誰かを判別すると、ミナミはホッとした。


「なんだ、藤林ふじばやしさんか」

 ミナミが言うと、男は彼女に笑顔を向けた。


「いやあ、ミナミ殿の歌と踊りは今日も最高であった。良いものを見せてもらったでござる」


 この藤林という男は、ミナミがデビューしたての頃から、ミナミが出演するライブにほとんど欠かさず足を運んでいる熱心なファンである。髪はボサボサで長身痩せ身であり、喋り方からも伺えるように、生粋のオタクである。


「そう言ってもらえて嬉しいよ。でも正直、自分では納得できてない。皆、『ミナミ・THE・ファイト』を期待してる。それを歌わせてもらえないのは、やっぱり苦しい」


下を向いて話すミナミに、藤林は優しく声をかける。


「確かに、拙者もあの曲を聴きたいでござる。全く、口パクがなんだのと息苦しい世の中になってしまったでござるな」


「本当だよ。エムポートの出演も決まったけど、正直今のままじゃ見るに堪えない。もっとレベルを上げないと」


「拙者は、ミナミ殿が頑張っている姿を見るだけで十分でござるよ。そんなに気を張らずに」


「ありがとう。でもさ、どうせ口パクを禁止されて、ダンスの難易度も変えられないなら、どうにかして自分で歌とダンスを両立させて、最高のパフォーマンスをしてみたいとも思ってるんだ。藤林さんみたいに私の努力を見てくれる人の存在は本当にありがたい。だけど、そういう人ばかりではない。初めて見てくれる人も、私の歌とダンスで思わず笑っちゃうくらい圧倒したい。それが私の目指すアイドルの理想像だから」


藤林はハッとした。

「そうでござった。ミナミ殿が目指すのは、全員を笑顔にするアイドルであったな。その心意気、天晴れでござる。これからも応援しているでござる」


 藤林はそう言って紙袋を差し出し、ミナミはそれを受け取った。


「わっ、ありがとう! 中身、なんだろう」



 藤林に別れを告げ、ミナミは駅へと向かった。道中、紙袋の中身が気になって見てみた。入っていたのは、ミナミの好きな洋菓子、そして……。

「なんだこれ?」

ミナミが不思議に思って取り出してみると、それは古めかしい巻物だった。


「これは流石に差し入れじゃないな……。きっと藤林さんが間違えて入れちゃったんだ」


これだけ年季が入ったものなのだから、きっと大切なものに違いない。ミナミは来た道を戻った。藤林さんはまだ近くにいるはずだ。



 ライブ会場近くに着いたが、周りを見渡しても見つからない。もう帰ったか、と諦めかけたその時、藤林が近くのコンビニから出てきた。


「藤林さん!」


 ミナミがそう呼びかけるも、藤林は気づかずに歩いて行く。そして、人気のない場所に移動すると、両手を絡ませて、なにやら印のようなものを結んだ。そして、ミナミがもう一度声を掛けようとした瞬間、目の前で一瞬にして姿を消してしまった。


 その場に残されたのは、かすかな煙と、唖然としたミナミだけだった。

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