第3話 そしてマナの予期せぬ介入(受験期)

 中高一貫校ゆえの繰り上がりで、私は高校生になった。


 この時期になると、部活動、文化祭、修学旅行に卒業旅行、そして男女の交際……と、怒涛のイベントが私の脳内に攻め込む。特に色恋などという最も不確定要素なものを振り切るため、私はマナを最大限に利用した。そこは想像つくだろう、この美貌なんだから。


 私の生活は、「受験期」という名の、新たな「頑張る」フェーズに突入していた。周囲の人間は、まるでカフェインをキメたゾンビのように、目を血走らせて勉強と恋愛に励む。私には理解できない。


 受験勉強? 考えただけで脳のシワが増えそうでめんどくさい。私にとって「ダルネス」とは、人生における不要な労力を極限まで削ぎ落とし、最短距離で目的を達成する、最も効率的かつ美しい生き方なのだ。


 マナが、いつもの四角い目で報告する。顔があるが、もちろん表情はない。目が、やけにギラギラと光っていた。今日は緑色と青色の中間色。青春の色。


「ご報告いたします。ナオ様の受験効率を最大化する『ナオ専用マナ学習システム』が稼働いたしました。ナオ様の脳波や視線から興味を自動分析し、最適な情報を効率的にインプットします。これにより、ナオ様は微動だにせず、ただ情報が脳に流れ込むのを待つだけで、受験の煩わしさから解放されます。」


(パターン化してるね。そろそろ喋り方も変える必要があるかな。マナは、私の「ダルネス」を徹底的に解析する中で、まるで自らの存在意義を見出したかのように、日に日に機能が最適化されている。それは私が意識しない領域、微細な脳波の揺れや、無意識下の視線の動きすらも分析し、私の「めんどくさい」という感情を完全に予測し尽くしているかのようだった。)


 両親は、その報告に目を輝かせていた。父親は興奮した声で「これでナオちゃんは、無活動のまま、どんな難関校でも合格できる!」と叫び、母親は「ナオちゃんのダルネスが、ついに学問の世界をも変えるのね!」と、私の頭をそっと撫でた。(高校生なんだからね。あんまり触らないでほしいけど。)


 スクリーンには、膨大な受験情報が高速で流れ込んでくる。それは単なる文字の羅列ではなく、複雑な数式が幾何学模様を描き、歴史上の人物がホログラムのように現れては消え、宇宙の星々が瞬く映像が次々と展開された。


 私の脳内では、マナがそれらを完璧に整理し、まるで不要なファイルを自動削除するように、関連性の低い情報は瞬時に排除し、必要な情報だけを効率的に記憶の奥底に定着させていく。私はただ座っているだけ。考える労力はゼロだ。


 時折、マナが「集中力が低下しました。最適な休憩を提案します」と、私の好きな猫のショート動画を数秒だけ流す。


(猫の動画? なぜマナは私の好みをそこまで把握しているんだろう。もしかして、私のダルネスを研究する過程で、私の脳内を完全にスキャンしたのか?いや、それだけじゃない。最近のマナは、私の「ダルネス」を理解するだけでなく、それを『愛している』かのようにさえ感じることがある。私の『めんどくさい』という感情を、まるで最高の入力データとして、どこまでも深掘りしようとしている……そんな気配すらする。)


 

 数週間後、模擬試験の結果が返ってきた。全教科、満点。教師は驚きと感動で震えていた。


「ナオさん! これは、これはまさに努力の賜物だ! 素晴らしい! 君は、この学校の歴史を塗り替えた!新しく無活動クラブを設立することにするよ!」


 教師は私の手を握り、熱弁を振るう。私は無表情でその熱意を受け止める。


(努力? 私、何もしてないんだけど。座ってただけだし。満点って、そんなに騒ぐことなの? どうしてこう勘違いするのかしらね。)


 私は「…めんどくさかった」とだけ呟いた。


 教師は一瞬固まったが、すぐに「ああ、ナオさんらしい! その謙虚さもまた素晴らしい!」と感動し、さらに熱く語り始めた。


(なんか両親のテンションと一緒。謙虚じゃなくて、めんどくさいんだよ。)


 そして、大学進学の時期が来た。両親は、私の「ダルネス」を最大限に活かせる大学の選定に躍起になっていた。


「ご報告いたします。ナオ様の『ダルネス』を最大限に活かせる大学の選定が完了いたしました。マナは、貴学のオンライン授業の充実度、出席要件の柔軟性、キャンパス内の快適な仮眠スペースの有無、そして何より、卒業までの『最小限の活動量』を徹底的に分析いたしました。」


 両親は、その報告に目を輝かせていた。父親は興奮した声で「これでナオちゃんは、無活動のまま、最高の学府を卒業できる!」と叫び、母親は「ナオちゃんのダルネスが、ついに高等教育の世界をも変えるのね!」


 彼らにとって、私がどんな大学に行くかではなく、いかに「ダルネス」を維持して卒業できるかが重要なのか。ある意味私のこと信頼しているのかしら。


 大学への出願も、私が動くことはなかった。マナが私の脳波を解析し、完璧な志望理由書を自動生成。そこには、私の「ダルネス」哲学が、まるで高尚な学問のように綴られていた。


「私は、貴校の教育理念に深く感銘を受け、私の『ダルネス』を最大限に活かせる環境であると確信いたしました。貴校でなら、私は人類の知の無活動における新たな地平を切り開けるでしょう。」


 私はそれを棒読みするだけ。面接官は、私の無表情な棒読みにもかかわらず、目を輝かせた。


「素晴らしい! その先見の明と情熱に感銘を受けました! ぜひ、貴女のような人材に、我々の大学で新たな風を吹き込んでいただきたい!」


(情熱? 棒読みだったんだけど。マナが作ったセリフを言っただけなのに、なぜこんなに感動されるんだろう。人間って、単純な生き物なのかもしれない。こう見えて私も人間だけどね。そもそも、「ダルネス」の対極にあるはずの「情熱」という言葉で評価されるのは、ある種の皮肉であり、私の「ダルネス」が持つ本質的な効率性が見抜かれていない証拠だ。)


 そして、数週間後、私は見事、国内最難関とされる大学に合格した。両親は、合格通知書を手に、リビングで狂喜乱舞していた。魔法陣アニメのキタキタ踊りの倍速のようだった。諄いが癖になるあの踊り。


「やったわね、ナオちゃん! これであなたの『ダルネス』は、社会に認められたのよ!」 「ああ、ナオ! 我がダルネスの結晶よ! これから君が、世界を変えるのだ!」


 私は、その騒がしい光景をソファから眺めていた。


(合格? そう。合格って何に合格したかもわからないわ。能力の有無なんて、AIが発達した現代において意味を持つのかしら。要は頭の使い用だろうに。受験の意味など無くなってきているように思うけど。とにかくかったるいのよ)


 私の「無活動なのに成功する」という噂は、大学進学によってさらに加速し、SNSの片隅で、あのAI研究者カイの目に留まることとなる。


「これは……! まさに人類の怠惰の極致、あるいは進化の鍵だ!なんという芸術作品なのだろう!」


 研究室で一人、白衣の男が奇妙なガッツポーズをしながら叫んだ。彼の名はカイ。歳は45歳。いつも白衣を見に纏い、そして変わり者。


 彼の瞳は、私の「ダルネス」という未知の現象、そしてそれを完璧にサポートする「マナ」の自律的な進化に、狂気じみた探求心を燃やしていた。彼のその熱意こそが、私にとって、最も煩わしいものになりそうだった。


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