拝殿へ

 コツ。コツ。どこからともなく下駄の音が聞こえてくる。外灯の明かりに照らされだいだい色に染まる場内。子供たちは祭囃子のリズムに合わせて軽快にステップを踏んでいた。

 思うように進まない脚。石段をゆっくりと登りつつ、忠が疑心暗鬼に一段と周囲へ気を払う。

 ……先ほどの変わりようは一体何だったのだろう。突如としてハイライトを失った村人たちの目。それに呼応するように背後へと迫ってきた不吉な気配。明らかに、普通のものではなかった。

 服の内側で鳥肌が立つ。ふと、後ろにいる高齢夫婦の会話が忠の耳へと入り込んできた。


「ははっ。それにしても、今年の祭りもにぎやかじゃのう」

「そうですねぇ。お客さんもたくさん集まってくれたようで。本当に嬉しくて、嬉しくて、なんだか可笑しくなってしまいますねぇ」

「ははっ。まったくじゃな」

『あははははは』


 甲高い声が鼓膜にまとわりつく。他愛もない談笑であったのにも関わらず、忠はそこに名状しがたい恐怖感を覚えた。

 ……さっきの店主と同じだ。脳髄にまで響き渡るような、耳心地の悪い笑声。明らかに何かがおかしい。やはり、福笑いの伝承が関係しているのだろうか。

 一抹の不安と恐怖。階段を登り終え、平たい石畳いしだたみの上を歩いてゆく。


「あれが、拝殿か……」


 馴染みのある賽銭箱へと目が行った。

 拝殿の前には古めかしいが垂れ下がっており、その末端には2つの金色の鈴が設けられている。すでに待機していた参拝者たちは巨大な列を成しており、また嬉々として福笑いの開催を待ち望んでいるようにも見えた。

 参拝者たちの列を横から通り抜け、拝殿の近くへと歩いてゆく。鳴りやまぬ笑い声。ふと、一風変わった姿の女性が忠の目に留まった。

 拝殿の横で粛々と佇む女性。赤と白の巫女装束しょうぞくを着こなし、腕の部分は重なった両袖によって隠れている。地面へと一直線に伸びるストレートの黒髪は清廉さを醸し出しており、また白粉おしろいを塗ったかのような色白の肌は彼女の美しさをより際立たせていた。

 他の村人たちとは一線を画すような存在。思いがけず足が止まる。

 あの格好にあの容姿……。神事の関係者か何かだろうか?

 そんな考えが頭に浮かんだ。我に返り女性のそばを横切る。が、その時、忠は横目で見た女性の顔に、ある不自然な点を見つけた。


 目が、開いていない。


 自然と歩く速度が緩まった。静かに黙とうを続ける巫女姿の女性。拝殿の横で立ち止まり、忠が後ろを振り返る。細々とした白い背中が目に映った。

 彼女は一体何をしているのだろう。祭りの最中だというのに、全く動く気配がない。不気味な感じだ。

 不思議と時が止まったような感覚に襲われた。携帯を取り出し、再度時刻を確認する。画面には「17:50」の表示が現れた。

 福笑いがはじまるのは18時。それまで、あと少しといったところだろうか。

 迫りくるその時。抱えていた懸念が忠の脳裏をよぎる。

 走馬市の百足祭。豊下市の往生祭。その両方ともに感じることのなかった不吉な胸騒ぎ。本当に俺は、このまま取材を続けていいのだろうか。

 募る寒気に、忠は勢いよく唾を呑み込んだ。

 百足祭においては、大百足を神としてみなすような習わしが。他方、往生祭りでは江戸時代の参勤交代を想起させるような、山と市を行き来する仕来りが存在していた。これらも世間的に見れば異様な祭りの中に分類されるもの。他の祭祀と比べ、変わった要素を含んでいるのは確かだ。

 次第に震える右腕。石段の向こうから更なる村人たちが顔を出す。

 しかし、今回は何かが違う気がする。何かがおかしい気がする。理由はない。ただ、俺の記者としての勘が「早急にこの場を立ち去れ」と絶え間なく警鐘を鳴らしているのだ。

 いまだ出会ったことのない未曽有の怖気おぞけ。フードパックの中に入った焼きそばはすでに温かさを失っていた。

 拝殿から一度離れ、雑木林の近くへと移動する。

 ……いったん距離を置こう。その方が落ち着いて考えられそうだ。

 周囲に立ち込める異質な空気。その場から逃れようと体が無造作に動き出す。

 そうして人だかりから離れた後。ポケットから愛用のメモ帳を取り出し、忠は再度、福笑いの内容について読み返した。

 


 福庭村にはある奇妙な伝統がある。それは、福笑い。毎年の正月に神主の子供が目隠しをし、正月の娯楽の王道ともいえる福笑いを通じてその年の運勢をはかるというものである。

 福笑いの時に使う顔のパーツは5つ。目、眉、口、鼻、頬。子供はこれらのパーツを父、もしくは母のどちらかからランダムに配られ、手渡されたパーツを正しい箇所へと配置する。無論、視界は閉ざされたまま。



 ここまで目を通し、忠はある事に気が付いた。

 ネットの記事によれば、正月に福笑いを行うのは神主の子供だ。とすれば当然、子供に福笑いのパーツを手渡す父・母というのは「神主」。神事に精通した者ということになるだろう。

 忠が先ほどの女性へと目を向ける。

 あの格好から察するに、彼女が神事に関係する者であることは間違いない。とすれば、彼女が子供の母親なのだろうか? ……いや、断定するにはまだ早いか。 

 突拍子もない推測。しかし忠はそこに、意外にも合理性を感じていた。

 数秒後、境内に耳心地の良い声が響き渡る。 


「みなさま。大変お待たせいたしました」


 開眼する純白の瞳。案の定、口を開いたのは先ほどの女性であった。観衆たちを一瞥し、柔らかな笑みを浮かべる。


「時刻がちょうど18時を回りました。これより、笑歌しょうかの儀を開催いたします。皆さま、盛大な拍手でをお迎えください」


 ウズメ……様?


 聞きなれぬ名に困惑した。

 考える間もなく拍手の嵐が巻き起こる。そこかしこで沸き上がる歓喜の声。喜びの笑声。瞬く間に、境内は騒々しさに包まれた。

 女性が御扉へと手をかける。現れたのは底知れぬ暗闇。拝殿の内部はその輪郭が全く掴めぬほどに、深い漆黒へと染まっていた。


「それでは皆様、拝殿の中へとお入りください」


 そう言い残し、女性はさっそうと闇の中へ消えていった。興奮した村人たちが次々と女性の後へ続いてゆく。


「一体、何なんだよ……」


 吹き付ける不穏な冬風。吸い込まれるように消える村人たち。それは忠にとって、あまりにも異様な光景であった。


「……よし」


 両ひざに拳を突き立て、脚の硬直を解く。かろうじて動く体。高揚する村人たちの集団にまぎれつつ、忠もおそるおそる拝殿の中へと踏み込んだ。

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