第1話「ようこそ、魔王軍広報課へ」
「ついてこい」
魔王ルシアにそう一言告げられ、俺はだだっ広い城の廊下を歩いていた。
カツ、カツ、と彼女のヒールの音だけが、やけに大きく響いている。
俺のくたびれた革靴の音は、なんだか情けない。
「それにしても、立派な城ですね。固定資産税とか大変そう」
「こていしさんぜい…? よくわからんが、維持費がかかるのは確かだ。そのために、貴様のような人材を雇った」
俺の軽口を、ルシアは真顔で受け流す。
どうやら冗談の通じる相手ではなさそうだ。
長い廊下をいくつか曲がり、俺たちがたどり着いたのは、ひときわ古びた小さな扉の前だった。
「ここだ」
「ここが? まさか俺の寝室とか…」
「貴様の執務室だ。本日をもって、我が魔王軍に『広報課』を新設する」
ルシアが厳かに言うが、どう見ても物置の扉だ。
ギィィ…と嫌な音を立てて扉が開かれる。
中は案の定、うず高く積まれたガラクタと、分厚い埃の匂いで満ちていた。窓は一つあるが、蜘蛛の巣で覆われていて光がほとんど入ってこない。
「……なるほど。ミニマリズムを追求した、実にモダンなオフィスですね」
「そうか。気に入ったなら何よりだ」
本気で言っているのか、この魔王様は。
俺がどこから手をつけていいものか途方に暮れていると、廊下の向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ま、魔王様! お待ちしておりました!こちらが例の資料で…はわわっ!」
ぱたぱたと駆け込んできたのは、プロローグで会ったドジそうな副官の少女だった。
案の定、抱えていた羊皮紙の束を派手にぶちまける。
床に散らばる書類。ああ、この光景、前世で何度も見たやつだ。
「リリィ。紹介する。彼が本日付で広報課の責任者となった、カミヤ・ユウトだ」
「は、はいっ!存じております!わたし、本日よりカミヤ様の部下となります、副官のリリィです!よろしくお願いしますっ!」
リリィと名乗った彼女は、床に散らばった書類を拾い集めながら、勢いよく頭を下げた。その拍子に、拾ったばかりの書類をまたいくつか落としている。
うん、先が思いやられるな。
「で、俺の部下はこの子一人?予算は?」
「貴様の部下はリリィ一人。予算は、ない」
「……えっと、聞き間違いかな?予算は?」
「ないと言った。まずは成果を出せ。話はそれからだ」
ブラック企業もびっくりの無茶振りだ。
成果主義を履き違えた経営者がよく言うセリフである。
俺とリリィが二人で黙々と書類を拾い集めていると、一枚だけ、明らかに異質な紙が混じっていることに気づいた。
それは、羊皮紙ではなく、もっとツルツルした上質な紙だった。
「なんだこれ…」
手に取ってみると、それは一枚のポスターだった。
おどろおどろしいタッチで、ツノを生やし牙をむく巨大な魔物が、村を焼き払っている。その下には、大きな文字でこう書かれていた。
『魔族は人類の敵! 侵略と破壊をもたらす悪魔!』
「ひぃっ!そ、それは人間たちが作っている『絵物語』です!魔族はこんなに怖くないのに…!」
リリィが顔を青くして震えている。だが、俺の感想は少し違った。
「……ひどいな。だが、上手い」
「え?」
「このポスターを作ったやつ、相当腕がいい。ターゲットは、文字が読めない子供や老人。恐怖を煽るビジュアルで、直感的に『魔族=悪』と刷り込んでいる。実に合理的だ」
ポスターの隅には、この悍ましい魔物と対峙するように、剣を掲げた金髪の少女が描かれていた。気高く、美しい、いかにも「正義」の象徴といった出で立ちだ。
「この子は?」
「人間たちの王女、エレナ様です…。聖なる力で、わたしたち魔族を討ち滅ぼそうとしているって…」
なるほど。敵さんサイドには、ちゃんとした広告塔がいるわけか。
俺が腕を組んで唸っていると、いつの間にか背後にルシアが立っていた。
「どうだ、ユウト。これが我が軍の現状だ。貴様の目から見て」
「どうもこうも、最悪ですよ。イメージ戦略で、向こうに完敗してる。これじゃ、戦う前から負けてます」
俺の率直な言葉に、ルシアは満足そうに口の端を上げた。
「ならば、それを覆せ。貴様に最初の任務を与える」
彼女の紅い瞳が、俺をまっすぐに見据える。
「我が軍が駐屯している『コーダ村』という場所がある。そこの人間たちと、我が軍の兵士たちの関係がどうにもうまくいっていないらしい。まずは、その村のイメージを改善してみせよ」
オフィスは物置。部下はドジっ子一人。予算はゼロ。
そして最初の仕事は、最前線のイメージ改善。
「……はぁ。わかりましたよ。まずは、現地取材ですね」
俺の返事を聞くと、ルシアは静かに頷き、部屋を去っていった。
残されたのは、埃っぽい物置と、やる気満々のドジっ子副官、そして山積みの課題。
俺の異世界広報ライフは、どうやら前途多難らしい。
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