第5話:天羽鈴音は黙ってられない(前編)
朝。俺は机に突っ伏したまま、半分白目になりながら唸った。
「……これで……終わり……!」
机の上に広がる100枚のプリント。
その全部に俺の手で詠唱式が書かれている――はずだった。
だが現実は、まともな構文なんて一割もない。
気づけば「世界が滅びればいいのに」とか「俺が最強で無敵になりますように」とか、
詠唱というより完全に願望の羅列だ。
「お疲れ様です。これでは書いた意味は9割ありませんが」
背後から聞こえた冷淡な声に、思わずビクッと肩を揺らした。
相変わらず容赦なく人の心抉ってくる。
振り返ると、ニャルがアカデミーの制服を着て立っていた。
相変わらず、感情があるのかすら怪しい、無機質な表情。
トレードマークの銀髪は片側にまとめられ、すっきりと整えられている。
悔しいけど、その漆黒の制服が、妙に似合っていた。
……ん? 漆黒?
「アカデミーの制服は赤では?」
「特注の制服です」
「特注って……。アカデミー行くこと決まったの昨日だろ」
腹黒後輩のゴリ押しで。
「楓が一晩でやってくれました」
「マジで?」
本当によく働く子だな。
「ところでせっかく頑張ったのに無意味ってなんでさ」
俺の言葉に、ニャルはほんのりと俺を嘲笑うかのように口の端を吊り上げた。
「自分の書いた内容をもう一度見ればわかることです。
“世界が滅びればいいのに”などという世迷い言はマシな方、
終盤のメイドさんにしてほしいこと10選は目も当てられませんでしたよ」
「えっ! 俺そんなこと書いてたの!?」
確かに終わりの方は眠すぎて何を書いていたのか記憶がない。
「俺……徹夜で……性癖を書き連ねてたの?」
「そのとおりです。あなたが机に突っ伏して眠ったおり、内容をすべて見聞しました。
そしてメイドさんにしてほしいこと10選に関しては私のメモリー機能で完全に記憶し、
先ほど楓に伝えておきました」
「な、なんてことを……」
言葉にならない虚無感が、静かに心を蝕んでいく。
「どんな顔して楓と顔を合わせればいいんだ……」
絶望に打ちひしがれたまま朝の支度を済ませ――気づけば登校の時間が迫っていた。
半ば放心状態で玄関を出る。
「行きましょうか」
ニャルは、当然のように俺の隣に来て歩き始めた。
その一歩後ろを、無言の楓がついてくる。
彼女は朝食の時に一度だけ挨拶を交わした後、必要最低限の言葉すら削るかのように、
黙して語らなかった。
やっぱ、プリントの中身、全部見られてるやつだよな……。
耐えきれなくなった俺は、後ろを振り返って口を開いた。
「け、今朝のことなんだけどさ――」
「何も聞いておりません」
即答。
「あっ、はい……」
終了。
校門をくぐる頃には、早くも俺の精神HPはほぼ0だった。
「――おはよう、先輩!」
聞き覚えのある元気な声が背後から飛び込んできた。
「希望? おはよう」
振り返ると、そこには制服姿の希望がスキップ気味に近づいてくる。
「今日から本格的に登校だね、ニャルもよろしくー!」
そう言い残して、希望は軽く手を振って走っていった。
その先には、同学年らしい女子たちの輪があって、希望はそっちへ合流した。
「……あれ?」
希望とニャルって話したことあったっけ?
俺の横にいるニャルは、何も言わず前を歩いている。
……いや、元々わりとフランクなやつだからあんなもんか?
「……奇妙ですね。彼女との挨拶ログ、初出にしては妙に“馴染んで”います。……まあ、誤差です」
そう言いながら、ニャルは前を向いたまま歩き続けた。
教室に入ると、生徒たちはすでに大半が着席しており、俺も自分の席に向かう――と、思ったら。
「私の席は、あなたの隣に指定されています」
「え、もう席まで用意されてるの!? 昨日の夕方に決まったばっかでしょ!?」
「希望の鶴の一声が本日朝イチで反映されました。迅速かつ効率的な行政処理です」
「絶対王政やん……」
ニャルは、まるで元からそこにいたかのような自然な動作で、俺の隣に着席した。
「実技科目は危険性のため免除されております。私は座学における高みの見物枠です。あなたは地獄枠」
「もうちょっと優しい言い方してくれよぉ……」
――2限目、ニャルの言う地獄枠、体育の時間が始まった。
俺は中庭横の訓練場に立っていた。
ニャルは本人が言っていた通り見学のようだ。
体操服を来て少し離れたところに座っていた。
別に着替えなくてもいいような……。
この世界で初めての体育の授業。
しかし俺は今回は他の授業ほど不安はなかった。
なぜなら俺は運動神経抜群とまでは言わないが、
それなりにはやれるほうであるからだ。
その証拠に体力測定だってクラスで上から5番目くらいだ。
他の授業ほど置いていかれないはず。
5番目って悪くないよな?
そんなことを考えていると、体育の先生が話し始めた。
「本日は基礎格闘術の確認を行う。諸君も知っての通り、論理魔法戦は接近戦が主体となる」
えっ!? そうなの? 知らなかった……。
なんでなんだろう。魔法といえば遠距離のイメージだけど……。
「実践では武器を使うものも多いだろうが、格闘術の体裁きは他の武器術にも応用できるし、いざというとき最後の自衛手段となる。真剣に取り組むように。それでは――」
「――先生」
先生の言葉を遮ったのはなんと楓だった。
生徒の列から離れて先生の近くに行くと、何やら話始める。
先生は楓の言葉に何度か頷いたあと、俺の方を見た。
「桐原、今日はお前は別行動だ。田中とペアで基本を教えてもらえ」
「は、はい」
とっさに返事をしたところに体操服姿の楓がやってきた。
「では主、あちらに」
楓に促されて、訓練場の端の方へ移動する。
「よ、よろしく」
なんだか緊張してしまう。
俺と違って楓は落ち着き払っているように見えた。
「時間がもったいないので早速始めましょう。まず主には現実を知っていただきたいと思います。手始めに本気でわたしに殴りかかってください」
「えっ!?」
そう言われても……。楓みたいな華奢な女の子に殴りかかるなんてできないよ。
「主、これは訓練です。変な遠慮はご無用です」
楓が訓練場に顔を向ける。
つられてクラスメートたちがいる方をみると、二人一組になって組手をしていた。
同性同士だけでなく、男女のペアもいた。俺の目から見ても、そのペアの男子は本気で攻撃を仕掛けているように見えた。
「ご覧の通りです。さあ、お早く」
楓がいつもの冷静な顔で催促を――あれ?
なんか気持ち口元緩んでないか?
気のせいかな……。
「さあ、主!」
楓はやる気満々だ。
こうなったら腹をくくるしかない。
俺は拳を握りしめると大きく右腕を振りかぶった。
楓、痛かったらごめんよ!
俺の半身くらいの力をこめた右ストレートが楓を襲う。当たる! そう思ったその瞬間。
ドサァッ。
気づいたときには、俺は地面に背中から落ちていた。
「……えっ?」
宙を見上げる俺の視線の先には楓の顔。
「……いま何が起きた?」
「主の腕をとり、重心を制して最低限の力で投げました」
「最低限って……え?」
何これ。俺自分より背の低い同い年の女の子に投げ飛ばされたの?
「ふふっ、納得されていないようですね」
俺を見る楓の表情はいつになく柔らかかった。
楓のやつ、ひょっとして――
「主、もう一度やってみてもよろしいですよ」
やっぱり。楽しんでるな、こいつ!
「わかった。悪いけど、今度は本気で行かせてもらうぞ」
俺は立ち上がると、今度は見様見真似の構えを取る。
気分はテレビでみた格闘選手だ。
「承知致しました。どうぞいつでもかかってきてください」
「行くぞ!」
今度は渾身の力を込めて右ストレートを放つ。
だが結果は同じだった。
気付けばドサリ、と地面に寝ていた。
楓は呆然としている俺の腕を引いて立ち上がらせると、にっこりと笑った。出会って初めて見るとても愛らしい笑顔。
なんでそれがよりによってこの状況で出るんだよ……。
「ここ数日、主と過ごして確信しました。主には少ししつけ――ではなく教育的指導が必要だと」
今この人しつけって言わなかった?
「さあ、次は打撃回避の練習です。最初は寸止めで」
「えっ、いや、もうこの辺で――」
「主、遠慮はご無用ですよ」
「ちょ、待って。ほんとにお願い! か、楓さん!? うわーっ!!!」
実技は地獄枠。ニャルの発言は珍しく正しかった!
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