第4話:神の理論と狂える子羊たち(中編)

「はい、じゃあ次は二人組で基礎実習だ。単属性で小規模な発動をしてみろ。例えば“風で紙を動かす”程度でいい」


先生の発言に教室がざわついた。

これはまずい。

俺は楓の席に視線を送る。

彼女は俺からもっとも離れた位置に座っている。

急がなければ。

楓も俺の視線に気づいたのか、こちらに顔を向けたその時、前の席の女子が楓に話しかけた。

そのままペアを組む流れになったのだろう。

楓は動きを止めた俺に目を向けて軽く頭を下げたあと、前の席の女子に向き直った。

これは致し方ない……。

こうして友達同士や近くの席の人と自然とペアが作られていく中――気づけば残っているのは、俺と斜め後ろの席の鈴音だけだった。

俺が恐る恐る鈴音の方を見ると、鈴音は俺の方を見てにっこり笑った。


「は~い、ぼっち同士よろしくね☆」

「なんで俺までぼっち扱い!?」

「だって余ってたじゃん? 運命共同体だよ、非才くん」

「言い方ァ!」


学校始まって初日でこんな扱いかよ……。

こうして、俺と鈴音のぼっちペアが成立した。

課題は「風で紙を動かす」だけ――のはずなのに。


「風よ、吹き荒れ――っ! ぶふぉっ!?」


俺の机から黒煙が上がった。

え、なんで? 火? 今の俺、火呼んだ!?


「また机焦がしてるー」

「ぞ、属性が合わないんだよ!」」

「あわなくてもこれくらいはできるよ。ほら」


言われて周囲を見渡すと、みんなできてる

もちろん楓も。


「仕方ないなー。ボクがお手本見せて上げるよ」


そう言って鈴音は片手を右手を俺の前に出した。


「風さん風さん」


まるで語りかけるようにそう言って、指をぱちんと鳴らす。

ふわりと涼風が舞い、課題の紙がさらりとめくれた。


「なんでできるんだよ!」


授業で聞いた構文と違いすぎてまるで参考にならない。


「そりゃレベルの違いっていうか? 生まれの違い?」

「ぐぬぬ……」


不公平すぎる。

異世界に来たのに元の世界と変わらないどころか、さらに立ち位置悪化してるじゃないか!

俺は思わず口をついた。


「いいよな、生まれついての天才はさ!」


その一言に、鈴音がふっと笑った。

けど――ほんの一瞬だけ、その笑顔の奥に寂しさが差したように見えた。


「才能があるとね……誰も組んでくれないんだよ」

「……え?」

「……最初から“勝負にならない”って思われるから。みんな避けるんだよ」


次の瞬間には、いつもの調子に戻って肩をすくめる。


「ま、ぼっち同士がお似合いってこと☆」


明るくごまかしてみせるその顔を、俺は黙って見つめていた。

午後の実技が終わり、今日の授業が終わりを告げる。

俺は魂が抜けたように教室を出た。

廊下の先に、見覚えのある影が立っていた。


「……主。お疲れ様でございます」


なぜか楓の目が笑っていない。

そして手には、大きな白い包みがあった。


「本日、昼食をご用意しておりましたが……」

「……マジで?」


じゃああの時の楓の物言いたげな雰囲気は……。


「中庭にて、他のご令嬢と楽しくお過ごしのご様子でしたので、差し入れは遠慮させていただきました」

「――決して他意は!」


俺にも言い分はある。

しかしそれを訴える時間は与えられなかった。

スッ――楓は無表情のまま、包みを俺にノールックで投げた。


「ぬわっ!? お、お重ッ!?」


投げつけられた弁当箱を慌ててキャッチする。

この重み、果たして罪悪感からくるものか、はたまたほんとに重いのか。


「今日の夕食でございます! 塩分は控えめです。


“冷めても風味を保つ調理法”を選びました。ご安心ください」


「はい! ありがたくいただきます!でも無表情で怒るのやめて!? その方が数倍怖いから!」

「……では、失礼いたします」


――そして、楓はそのまま、静かに背を向けた。

……うわぁ……完全に怒ってる。

そりゃそうなんだけどさあ。

言ってくれればさあ…。

楓の弁当をカバンにしまうと下駄箱に向かって一人廊下をあるく。

……やっぱり、何もできなかったな


論理詠唱。初めて魔法の授業は、現実にはポエム大会と羞恥の渦でしかなかった。

これからやって行けるんだろうか……。

俺がため息をついた、その時――


「悠真くん!」


後ろから聞こえた声に、振り返る。

そこには、渚がいた。

制服の上からカーディガンを羽織り、どこか控えめな笑みを浮かべている。


「もしよければ……図書館で続きをしない?」

「……続き?」

「うん。論理変換式。説明、途中だったし。もし、迷惑じゃなければ……」


正直、彼女の話はわからないを通り越して恐怖さえ感じる。

だけど気にかけてくれてるのはありがたいし、帰ってもとくにすることもない。

今の俺では自習なんて不可能だし。

ここは素直に誘いに乗ろう。


「ありがとう、助かるよ」


校舎の奥にある、静かな図書館に案内された。

中庭とは違って、周囲のざわめきも聞こえず、空気が張り詰めている。

他の人の姿はほとんど見られなかった。

木の机に向かい合って座り、渚がノートを広げた。


「さっき話した“魂の揺らぎ”と“定在波”の関係だけど――」

「それ、まだ続くのか……」


渚はくすっと笑うと、ページをめくる。

一瞬の沈黙の後、渚が呟くように言った。


「ねえ、悠真くん……無詠唱で、雷を出せたんでしょ?」

「――えっ。なんでそれ知ってんの?」

「希望様が言ってたよ。 昨日の夜、寮のラウンジで、“あの人、めっちゃびびってたのにいきなり無詠唱でぶっぱして怪物焼いたの、めっちゃ面白くない?”って」


だから鈴音も朝俺の席に来たのか。

ということはあの『ない』って……。

見た目で判断されたってこと!?

それにしても……。


「希望のやつ、絶対“自分が面白い”が判断基準になってるだろ」

「ふふ。“神理の寵児とか爆誕しちゃったらさ、もうこの世界どうなっちゃうの?”って言いながら、ソファから転げ落ちてたよ」

「あいつ、今度会ったら年上への敬意というものを教えてやる!って、ん? 寮? あいつ、王宮から通ってるんじゃないの?」


渚は軽く首をかしげながら、微笑んで説明した。


「希望様は、アカデミー入学時から寮暮らしだよ。


“王族が民と共に学ばずして、何を知れるのか”って。すごく真面目な理由だったよ?」


「うわ……本物の腹黒だと思ってたけど、ちょっとだけ見直したかも……。いややっぱ腹黒いな」


俺の感想に、渚は少しだけ笑って――そして、急に真面目な顔になる。

あれ? と思った矢先、彼女の声が落ち着いたトーンで響いた。


「でも、悠真くんのその話を聞いたとき……すごく、羨ましかったな」

「……え?」

「ごめん、何でもない」


そう言って渚は微笑んだ。

でもその笑顔にはどこか影があるように感じられた。

帰り際、図書館のドアを出たところで、渚がふっと口を開いた。


「ねえ悠真くん……もし良かったら、また一緒に勉強しようね」

「……ああ、うん。たぶん、次もチンプンカンプンだけど」

「大丈夫。私、神様の通訳みたいなものだから」

「こっわ!!!」


図書館を出た瞬間、微かに冷たい風が頬を撫でた。

夕暮れの光が、石畳の通路に長い影を落としている。

しばらくの間、ただ一人で歩く時間が続いた。

足音だけが、やけに大きく響いていた。

……あの渚って子、ほんと何者なんだよ。

魂の揺らぎ。名づけとは祈り。無詠唱は神理――

言葉にすると胡散臭い。

でも、どこかでそれを信じかけている自分がいた。

もし論理が祈りだとしたら、何を願えばいいんだろうな。

校門をくぐり、屋敷へと続く通りを歩きはじめた――そのときだった。


「……主」


ふと顔を上げると、すぐ目の前に楓が立っていた。

制服の上からケープを羽織り、右手には――買い物袋。たぶん今日の夕飯の材料だ。


「え、楓? もう帰ってたのか?」

「ええ。少々買い物に立ち寄っておりました。


……主の帰宅時間も考慮し、先に動くのが妥当と判断しましたので」


「……そっか。ありがと」


俺が笑いかけると、楓の視線が一瞬だけ逸れる。

その仕草に、気まずい沈黙が生まれた。

やっぱ、まだ怒ってんのかな


「……今日は、風が冷たいですね」


不意に楓がぽつりと呟く。なぜか、真顔で。


「それ、今の空気をなんとかしようとしてない?」

「いえ。ただの気象観測です」

「いや明らかに空気読んでただろ今の……」


歩きながら、微妙な距離感が続く。

思い切って、俺は口を開いた。


「まだ怒ってる?」


楓は立ち止まり、ほんの少しだけ――眉を動かした。

そして、静かに答える。


「元々怒ってなどおりません。ただ……心の整理に、少し時間がかかっているだけです」

「……やっぱり怒ってるよね?」

「違います。感情と義務は切り分けております。仕事ですので」

「ええ……」


楓はふいっと視線を逸らし、袋を持ち直す。


「夕食は、改めて温かいもの用意致します。ご安心ください。


私情は、調味には影響しません」


「じゃあさっきの弁当は?」

「家に帰ったら処分致しましょう」

「そんなもったいないことできないよ。家帰ったら食べる」

「ではご夕食は? 食材を買ってしまいましたが」

「両方食べるよ。育ち盛りをなめんなよ」

「主……」


楓の足が一瞬だけ止まった。

その声には、戸惑いと――ほんのわずかな、安堵が混じっていた。

弁当を捨てられるのが嫌だったのは、たぶん俺だけじゃない。

それに気づいてしまった俺は、なんとなく照れくさくなって、わざと軽口を叩いたんだ。


「……それでは、一緒に帰宅しましょう。主」


少しだけ、雰囲気が柔らかくなった気がしたのは気の所為じゃないと信じたい。

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