第1部18章 「疑惑」

シャータは一睡もできずに朝を迎えた。

硬直した身体があちこち悲鳴をあげる。それでも一時呼吸困難を起こすほどだったカーラが、自分の腕の中で次第に落ち着きを取り戻し、明け方には浅い眠りにつくのを目にすると、身体の痛みは大した問題ではないように思えた。

「カーラ、僕なら大丈夫だから、先に進んだ方が良くないか?」

敵の正体と目的がわからないにしろ、居場所が判明しているからには、これ以上歩みを止めるのは危険だと思われた。

「先に進めと言うなら進むが、⋯置いては行かないぞ。耐えられるか、その怪我で。」

「何とかするよ。」

そう答えはしたものの、馬の背にまたがり姿勢を保つだけでも一苦労だった。鞍が揺れるたび、着衣が傷に触れてヒリヒリと痛み、火傷を負った背中を真っすぐに伸ばすのは不可能だった。

「背中を貸してやる。」

カーラはシャータの馬に同乗し、その背にシャータの体重を預けさせた。うなだれて、肩に額をつけるシャータに振り向きもせずカーラば言う。

「痛むか」

「いや⋯情けなくて」

「気にするな。昨日の借りだ。」

カーラはシャータの手を取って自分の腰の前で結ばせた。

「しっかりつかまっていろ。」

目を閉じて馬に揺られていると、様々な音がいつもより明瞭に耳に入ってくる。

駱駝が砂を踏む音、風の音、隊列の後ろで村人が話す声。その中に小さな鳥の羽音が聞こえた気がした。

シャータは顔を上げる。

「どうした?」

「カーラ、こんな所に⋯鳩だ」

「鳩だと?」

見れば澄み切った空の中ほどを雲のように真っ白な1羽の鳩が止まるところを探しているようだった。

カーラはシャータの弓を掴むと一瞬のうちに射殺した。

「何を⋯。」

藍生丹が咎めたが、すでに遅く、鳩は真っ白な羽根を真っ赤にばらまいて死んだ。

「あなたは生きているものに対しての尊厳がないのですか?」

カーラの表情は厳しい。カーラは打ち抜かれた鳩に

近づくと、足を逆さに持ち上げた。

「見ろ。」

その足には、飛ぶのに邪魔にならないほど小さな、木で作った筒がくくりつけられていた。

筒の中には何事か書かれた細い紙がはいっていた。

「文だ。」

紙を広げると、見慣れない文字で二、三行何かが、書かれている。

「なんて書いてあるんだ」

ジャーラが首をかしげる。

「『此地より三日経る処に在り。』そこから3日進んだところで待っている、という意味だ。」

「どういうことだ。」

「何故、私たちは襲われたと思う?いや、敵は何故この場所に我々がいると分かったのか。誰かがそれを伝えたからだ。」

「誰が?」

「さあな。いずれにせよ、進路を変えなくてはならない。」

「ですが、予定では次の駅に入るはずでは?」

「みすみす、罠に入るようなものだ。さらに南に進路を取って迂回する」

ウッパーラは身体が再び震えてくるのを感じた。

馬の駆け抜ける音、いななき、喧騒、矢が幕舎を覆う布を切り裂く音。王城にいた頃、戦に備えるなどと言って侍女達に武装をさせたことがあった。

何かあった時は自分達も王城を守るのだと本気で思っていた。けれど実際の戦闘は自分の想像より遥かに恐ろしく、何も考える間がなかった。

ただ、目をつむり、耳を塞いでうずくまるしかできなかった。それらがすべて偶然ではなく、何者かによって居場所が伝えられ、意図して仕組まれたものだと言う。自分に恨みを持つものの仕業だろうか、それとも、鄯善の国の滅亡を企てる者だろうか。

そうだとしたら、国は、父やそこに住む人達はどうなる。

「顔が真っ青じゃねえか。」

となりで馬を歩かせるジャーラが話しかけてくる。「無理もねえな。こう、次々にいろんなことが起こるんじゃ。」

「あなたはどう思う?あんなふうに自分の村や国が襲撃されたら。」

「俺の村ならひとたまりもねえな」

「クロライナにも、耐えうる力があるのかどうか。だから、思ったの。この間の話。⋯もしカーラが私の兄なら、国を守るべきだと。私1人ではなく。」

「だけどあんたは⋯」

「命が惜しくないわけじゃないわ。だけど、私にも大切なものがある。クロライナに置いてきたお父様、私を育てて愛してくれた人たち。あの人たちに、あんな目にあってほしくない。それに、この国に住む人にも。だから、確かめたい。」

※※※

「もうやめだ。付き合ってらんねえや。」

あたりが寝静まった頃、数人の村人が幕舎を抜け出してぼそぼそと何やら話していた。

「このままじゃ無事に于闐に着けるかどうかもわかんねえぞ。俺はご免だ。こんなところでくたばるなんて。」

「だけどよ、こんな砂漠のど真ん中でどうすりゃいいんだ。」

「もう一度チャルマダナに戻るんだ。」

「そりゃ、無茶だ。俺たちには通行証も、代わりに払う金もねえ。」

「じゃあ、あいつをぶっ殺してやるんだ。」

「あいつ?」

「シャータだよ。今ごろ幕舎の中でくたばってやがんだろ。」

「⋯あいつが何をしたってんだ。」

「お前ら、わかんねえのかよ。俺たちは字が読めねぇ。姫やカーラには居場所を教える意味ねえ。だとすると、俺たちの居場所を教えて襲わせたのはシャータしかいねぇだろ。どこの誰が相手か知らねえがな。あいつさえいなきゃ、次の駅くらいには行けるんだ。」

「⋯おい。あのシャータを疑うのかよ。」

「じゃあ、坊さんが犯人だって言うのかよ。」

「そうは言ってねえけど。」

それに…と、輪の中心にいた男がさらに続ける。

「あいつはどこの馬の骨とも知れねぇ野蛮な騎馬民族の出だ。吐谷渾かもしれねぇ。どっちにしたって生かしといていいことは1つもねえよ。」

中の1人がつぶやく。

「⋯俺の親父も吐谷渾に殺された。」

「そうだ。俺たちの恨みを晴らすんだよ。」

「だけどよ、あの黒髪のはどうすんだ?あの野蛮人といつも一緒にいやがるぜ。」

「今なら大丈夫だ。あいつはさっき、不用心だから見回りに行くって言ってたぜ。」

中心の男はにやりと口の端だけで笑った。


荒々しく幕舎の幕が開けられ、夜の冷気が吹きこんできてた。見回り中のカーラに変わって怪我をしたシャータの世話を買って出たウッパーラは、何事かと振り返る。

「おい、お姫さん。ここはちょっとこれから物騒な事になるんでな。外に出てな。」

見ると数人の村人が手に手に武器を持ち、いきり立った様子で入ってくる。

「何ですか、あなたたち。」

「皇女、退いていてください。僕に用があるようですから。」

シャータは床に座ったまま相手へ目を向ける。

「…武器を持たせた途端、これか。随分強気になったもんだね。」

「おい、お前が俺たちの居場所を敵に教えたんじゃねえのか。俺たちはそのせいで襲われたんだろう」

村人の1人がシャータの胸ぐらをつかむ。

「何とか言えよ、おい。」

「僕じゃない。」

「誤魔化したって無駄だ。お前は罪人だ。人殺しだ。現にサチャで捕まったしな。」

「そうだ。⋯あんたたちは僕が怖いんだろう。僕にいつ切られるかって。怪我人相手に武器を向けるぐらいだからな。」

「うるせぇ。」

「待って、やめて。」

とっさに体が動いた。ウッパーラは気づくと武器を振り上げた村人の一人に体当たりをくらわせていた。後ろに従っていた男たちは、はっとなり一瞬ひるんだような表情を見せるが、体当たりされた当の男はむっとした表情でむっくりと起き上がった。

「邪魔するんじゃねえ。痛い目会いたくなかったら下がってな。」

「だって、こんなのおかしいじゃない。一体シャータが何をしたっていうの?」

「笑わせるね、お嬢ちゃん。こいつらが俺たちに何をしてきたか…」

「騎馬民族なら皆一緒だって言うの?こんなのただの八つ当たりじゃない。」

騒ぎを聞きつけた藍生丹が幕舎に駆け込んでくる。

「あなたたちは何をやっているんですか」

「藍生丹様、この人たちを止めて。」

「この坊主…。止めるんだったらお前を先にやってやろうか。坊主は殺生出来ねえもんな。抵抗出来ねえだろ。」

「馬鹿なまねはやめなさい。シャータをなぶり殺しにして、どうなるのですか?今度はあなたたちが憎しみを受ける側になるのですよ。」

「知ったことか。俺たちに泣き寝入りしろっていうのかよ。結局戦なんてそんなことの繰り返しじゃねえか。10年、100年、俺たちはずっとそんな事を繰り返して生きてるんだ。ずっと前から争うように因縁づけられてるんじゃねえかよ。」

いつの間にか問題がすり替わっている事に気づかずに男はわめき散らす。

「もうたくさんだ。」

藍生丹が大声を出す。辺りは水を打ったように静まった。

「そんなに憎ければ、私を切れば良い。⋯居場所を教えたのは、私だ。」

※※※

一方で騒ぎを知らないジャーラは昼間の会話を思い出し、考えあぐねていた。

「カーラがあんたの兄か、たしかめるって、どうやって?」

「王家の者は、肩に焼印があるの。命令書をみたでしょう?あれに押された花と同じ模様の。それさえ見られれば⋯」

「だとしても、あいつが素直に言うことを聞くとは思えない」

「何とか確認して。その証明さえできれば、あとは私が説得する」


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