第35話 勇者王子は刃を向ける②

「父上。今、何とおっしゃいましたか? 僕には『婚約者を変えた』という幻聴が聞こえましたが……まさか、そんなことを口にしていませんよね?」

「ヒッ!」



 勇者の突然の凶行に、父上を守らんと護衛騎士達が僕に剣を向け、貴族達が皆揃って怯えた顔で僕のことを見ている。


 だが、今はそんなのそんなのはどうでもいい。


 怯えたまま黙っている父上に口を開かせようと切っ先を喉元にあてようとした時、後ろから腕を掴まれる。



「ア、アルベルト様! 落ちついてくださいまし!」



 ゆっくりと振り返ると、そこには聖女然とした表情で僕を見ていたティナの義妹であり、この国の『聖女』であるアリア・エーデルワイスがいた。


 実際は聖女の皮を被った高級娼婦なのだが。


 本人は『僕には本性はバレていない』と思っているだろうけど、僕はこの女の反吐が出るような本性を知っている。


 この女は聖女という立場を利用し、僕だけでなくディルクとルーランに媚びを売り、隙あればご自慢の豊満な胸を押し付けて落とそうとしていたのだ。


 その結果、ディルクとルーランはこの女に落ちてしまったが。


 それだけでは飽き足らず、この尻軽女は魔王討伐の道中で街に泊まる度に、夜な夜な宿から出て現地の男たちと朝まで遊んでいたのだ。


 まぁ、本人は『変身魔法で容姿を偽っているから僕たちにはバレていない』と思っているらしいけど。


 でも、行く先々で派手なドレスを着た女が自分たちの泊っている宿を出て行く姿を何度も見かければ、自然とその女の正体が聖女であることは僕でなくても分かる。


 まぁ、愛するティナがいる僕がこの女に靡くわけがない。


 ……むしろ、この女は僕にとって敵だ。


『聖女のお守り役』という面倒な役を引き受けなければ、会った瞬間に切り殺していたくらいに。


 僕からティナを引き離した挙句、ティナを不幸に陥れた黒幕として。


 僕とティナの婚約破棄が成立したのも、間違いなくこの女が元凶だ。



「離せ」

「っ!」



 地を這うような低い声で軽く脅すと、情欲を帯びた目で頬を赤く染めていた高級娼婦の顔が一気に真っ青になり、慌てて手を離した。


 まぁ、そういう反応になるよね。

 だって、いつもの僕は王子らしく柔和な笑みを浮かべ、心にもない優しい言葉を囁いていたのだから。


 怯えきっている高級娼婦に小さく鼻を鳴らした僕は視線を父上に戻すと、今度は王子らしい柔和な笑みを浮かべる。



「さて、父上? 先程、何とおっしゃったかもう一度言ってもらってもいいですか?」

「ヒィィィィ!」



 こうなると分かっていたから僕は、魔王討伐出立前にちゃんとお願いしたのに。


 本当、残念な父親だ。


 こんな奴が『賢王』と呼ばれているんなんて……本当、聞いて呆れる。


 脅しを兼ねて、先程よりも怯えている父上の喉の薄皮を軽く切る。

 すると、顔面蒼白の父上が僕のささやかなお願いを聞いてくれた。



「ま、魔王を倒したお前の婚約者を『毒婦』ティナ・エーデルワイスから『聖女』アリア・エーデルワイスに変えると言ったのだ!」

「ほう? どうして婚約者を変えたのですか? 僕がいつ、婚約者を変えてほしいなんて言いました?」



 そもそも、この婚約は僕から父上に無理を言ってエーデルワイス公爵家と交わした婚約だ。


 つまり、この婚約を破棄するのは僕の意思次第なのだ。


 それは父上も知っていたはず。



「父上、僕がそこにいる聖女のを引き受けた、ある約束を交わしました。もちろん、覚えていますよね?」



 お守り役を引き受けた際、僕は条件として『僕が聖女のお守りをしている間、ティナを守って欲しい。そして、学園を出たらティナに会いたい』と。



「お守り、役?」



 どうやら、この聖女は何も知らなかったらしい。


 まぁ、その話はティナにも聞かせたいから、この場では敢えてしないでおこう。


 ティナは『僕が聖女のお守り役をする』なんて話は聞いていないだろうから。

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