第六章

未開の森へ①

 部屋に戻ってみると、レオニーは、起きて動いていた。顔色も、普通だ。


 レオニーの説明によると、体調が悪いので試しに回復ポーションを飲み、休んでいたそうだ。全身が緑色になっていたのは、ポーションの副作用である。


「効き具合が見た目で分かるのはいいが、初めて見た人はびっくりするよな」と言ってレオニーが笑う。 


 オーギュストも飲んだことがあるらしく、「あれ、見た目、ホントえぐいっすよね。飲む前に一言、言ってあげないと……」といって、気の毒そうにアナイスを見る。


 アナイスは、悲しくなって俯いた。

 あんなに頑張ったのに……。


 そんなアナイスの右手を、ベルナンド王子がそっと握り、瞳をのぞき込んで諭すように言う。


「其方が、ここで暮らしていくためには、与えられるのを待っているだけではなく自ら動いて学ぶ必要がある。少しずつ、外へ出ることだ。今度、我が、王宮の中を案内しよう。どこまで立ち入っていいか確認しておくから、そのつもりでいるように」


 王宮と聞いて、アナイスの瞳が輝く。王子は、柔らかい笑みを浮かべた。


「では、また来る。今日は、レオニー殿に、甘えると良いぞ。心配させられたのだから、それ位、良いだろう」

「ひゃいっ!」


 王子は身を翻し、近衛騎士を従えて去って行く。

 レオニーはオーギュストと目を合わせ、互いの心の内を探る。

 恐らく、同じことを考えている。アナイスと同い年なのに、随分と違うよなあ、と。

 アナイスが人に慣れ、社会に溶け込むことを願う二人にとっては、王子は希望の光だ。このまま、上手く導いて欲しい。


 奇妙で温かい間が続く。二人の間に会話はないが、心は完全に通じ合っていた。

 王子がアナイスの言いたいことが分かるのも、こんな感じなのだろうか。


「じゃ!」と言って片手を上げ、去って行くオーギュスト。

その後ろ姿が廊下の向こうに消えるまで見送ったレオニーは、静かに入り口のドアを閉めると、両手を広げた。

アナイスは、待ってましたとばかりに飛び込む。


「ごめんね、アナイス。心配かけて」


 レオニーが、とろっとろの笑顔を浮かべ、アナイスを抱きしめ優しく揺らす。

 アナイスの頬を、安堵の涙が伝って落ちた。

 レオニーの胸に、愛しさがこみ上げる。

 腕の中のアナイスは、揺りかごの中の赤子のように大人しくしている。

 こんなに安心してくれるなんて、何て幸せなんだろう。


 ふと気になって、窓の外を見る。

 近衛騎士に荷車を引かせ、荷台で気怠げな様子で空を見上げている王子の姿が、遠目に見えた。


 その数日後、レオニーは、ロレンツィオ王子の腕試しの件で、また王宮に呼び出されていた。

 迎えの馬車に揺られ、案内された部屋には、朝、ベルナンド王子が迎えに来て王宮見学に行ったはずのアナイスがいた。王子も一緒だ。

 やられた感が強く憮然とするレオニー。他にいたのは、国王、学院理事長、軍師……。

 話を切り出したのは、前回と違って、理事長ではなく国王だった。


 明らかに機嫌が悪いレオニーに、国王は低姿勢だった。

 国王曰く、職業体験の一環として、未開の森で行われる軍事演習にロレンツィオ第一王子、ベルナンド第二王子、アナイスの三人が同行し、「ビブラートを効かせたバイオリン演奏が魔物討伐に役立つか」という実験をするという。

 行程は、二泊三日で、野営をしながら賢者の住む家まで進む。道中、ゆらぎに弱い魔物に出くわしたら、ロレンツィオ王子がバイオリン演奏をし、ベルナンド王子が日時や所要時間、魔物の様子などを記録する。アナイスは、王子たちの補佐だ。

 三人には、それぞれ専属の護衛騎士がつくし、危険が差し迫ったら逃げて良い。ただし、ロレンツィオ王子が逃げ出したらリタイアしたことになり、プロのバイオリニストへの道はその時点で閉ざされる。

 無事、賢者のところまで行って演奏を披露し、合格点をもらえたら、楽団なり音楽学校なり、進みたいところへの紹介状を理事長が書く。不合格だった場合は、バイオリンは趣味程度にとどめ、為政者への道を歩むべく勉学に励んでもらう……というもの。


 続いて、軍師が説明する。

 軍事演習を行うのは、魔物討伐隊に属する経験の浅い兵士。もちろん、百戦錬磨のベテラン兵士が同行する。

 彼らは、魔物を討伐しながら、森の中を進む。ゆらぎに弱い魔物が出てきたときは、ロレンツィオ王子に任せる。

 道中、二泊するが、テントなど野営に必要な道具や食事は兵士たちが持参、設営から調理、撤収まで全てしてくれる。

 三人には、一人ずつ護衛騎士がつく。そのうちの一人は魔法が使えるから、怖くなったら、結界を張ったり転移させたりしてもらってよい。

 アナイスには、王子たちの補佐を頼むが、メンタル面だけで、魔物の計測などは王子たちに任せておけば良い……。


 最後に説明に立ったのは、理事長だ。彼は、以前とは比べものにならないくらい腰が低く、声もうわずっていた。自分勝手な計画が軍事演習へと発展し、軍師まで出てきたことに腰が引けてしまったのだろうか?

 理事長の説明は、こうだ。

 討伐隊が先行し、ゆらぎに弱い魔物以外を討伐。

 合図がでてから、ロレンツィオ王子がバイオリン演奏しながら森の中を進み、同行のベルナンド王子が寝込んだ魔物の数を数え、大きさを計測し、日時と共に記録。

 それが終わったら、また討伐隊が先行。

 合図がでたら、バイオリン演奏。そして、記録。

 日没まで、これを繰り返す。三日目は、賢者の家に行き、演奏するだけ。


 そんなに上手くいくものか。


 レオニーは、心の中で悪態をつく。


 そもそも、何故アナイスが同行しなければならないんだ?


 王子と並んで、ちんまりと座っているアナイスに目を移す。

 あの子には、どんな説明がされたのだろう?

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