第1章 女たちは革命を夢見る ①少年だった、あの頃の私-2
1.1.2 私はいつも、向こう側を見ていた
そのころの私は、まだ小学校の低学年だった。
名前の書かれた赤白帽。
体操服のズボン。
クラスで配られる連絡帳には、当然のように「男子」の列に印がついていて、先生は出席をとるとき「氷室修平くん」と呼んだ。
でも、私の目はいつも、女子のほうを見ていた。
教室の隅、窓ぎわの机を囲んで、折り紙を折っている子たち。
ピンクや水色のランドセル。小さな声で笑いあっている姿は、いつだって私を惹きつけてやまなかった。
休み時間、私は彼女たちの輪にそっと近づいていった。
少しでも話を聞きたかった。
いっしょに折り紙を折りたかった。
ただ、それだけだった。
でも──
「え、なに? 修平くん、こっちは女の子で遊んでるんだよ」
「だって、男の子でしょ。変なの」
その言葉を、私ははっきり覚えている。
「変なの」
そう言われた瞬間、胸の奥に何かが沈んだ。
私はただ、そこにいたかっただけなのに。
その子たちが好きだった遊びが、私にとっても自然だったのに。
私は、自分のズボンの裾を見下ろした。
歩きながら、ふとつまんでみた。
硬くて、動きづらくて、どうしても好きになれなかった母が用意してくれるズボン。
その重たい布地が、まるで「お前はそっち側じゃない」と告げる檻のように思えた。
放課後の帰り道は、一人だった。
コンクリートの歩道。
陽の傾いた街角。
誰も気づかないところで、私はうつむいて歩いた。
誰にも言えない気持ちを、誰にも知られたくないまま、ズボンの裾を指先で握りしめていた。
その夜、私は夢を見た。
夢の中の私は、スカートをはいていた。
風が吹くたびに、ふわりと布が揺れた。
太ももに触れる空気がやさしくて、軽くて、どこか懐かしかった。
小さな鏡の前で、私は確かに笑っていた。
何も怖がらず、誰にも隠れず、ただその姿のまま、そこに立っていた。
──あの夢の中の私は、「私」だった。
朝、まぶしい光に目を開けたとき、私はその感覚を全身に残していた。
布団の中で目を閉じたまま、スカートの感触をもう一度思い出そうとした。
頬がほんのり熱かった。
胸の奥が、ひりつくように、やわらかかった。
けれど──
「おい、お前……今日はなんだ、女みたいな顔してるな」
朝食の席で、父が眉をひそめて私を見て言った。
私は、何も言えなかった。
言えるはずがなかった。
母は台所に立ったまま、振り返らなかった。
夢の中では私は、自由だった。
でも、目が覚めたらもう、「女みたいな顔」と笑われる側に戻される。
それが現実だった。
私は、向こう側に行きたかった。
それが、どんなに自然な願いであっても──私には、決して許されないものだった。
だから私は、見ているしかなかった。
ずっと、ずっと向こう側を。
言葉の届かない、あの、柔らかい場所を。
そしていつか、まだ知らないどこかで、きっと、あの夢の中の「私」を連れ戻してやるのだと、私は密かに誓っていた。
誰にも聞かれないように、小さく、小さく。
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