第十話 取材の日

白露館の改修工事が終わった日、館全体が新しい息吹をまとったように感じられた。

 木の香りが廊下に漂い、障子は張り替えられ、庭には手入れの行き届いた松が端然と立つ。館の者たちは皆、どこか背筋が伸びた様子で、改めて自分たちの居場所を誇りにしているようだった。

 そんな折、明と潔子の前にやってきたのは、週刊誌の編集者とカメラマンであった。

「お忙しいところ失礼いたします。今回の特集、京の老舗旅館の再生という切り口でしてね。ぜひ白露館さんを中心に紹介させていただきたいのです」

 編集者はにこやかに名刺を差し出した。眼鏡の奥の瞳は、好奇心と仕事への熱意に光っている。

「こちらこそ、ようこそお越しくださいました」

 潔子が丁寧に頭を下げ、母も続いて応対した。

 取材は朝から始まった。まずは館内の撮影である。

 畳の新しい香り、磨き込まれた欄間、障子越しの柔らかな光。それらをカメラマンは熱心にレンズへ収めていく。

「うん、いいですね。戦後の新しい息吹と、伝統の落ち着きが同居している」

 編集者が頷きながら手帳に書き込む。

 次は料理の撮影だった。板場の者たちが心を込めて仕立てた懐石が次々と膳に並ぶ。

 彩り鮮やかな八寸、蒸し物、澄んだ椀。季節を映す食材が器に盛られ、料理人の真剣な表情とともに写真に収められていく。

「これだけ美しいと、写真映えも抜群ですね」

 カメラマンがシャッターを切りながらつぶやいた。

 従業員の所作も求められた。仲居が膳を運ぶ姿、客室を整える姿。その一つ一つに、館の空気が映し出される。潔子はその様子を見つめながら、何度も心の中で父に報告していた。「ようやくここまで参りました」と。

 そして、取材の終盤になって、編集者が口を開いた。

「最後に……ご夫婦のお写真を一枚、お願いできますか?」

 明と潔子は同時に目を丸くした。

「わ、わたくしたちの……?」

「ええ。館の顔として、ご夫婦のお姿を読者に伝えるのは大切なことです。ぜひ玄関先で」

 断る理由はなかった。けれど、二人とも内心は少し気恥ずかしかった。

 玄関の前に並ぶと、カメラマンが構図を決める。

「もう少し寄ってください、ご主人。奥様と肩の位置を揃えるように」

 言われるがまま、明は潔子の隣に立った。微かに袖が触れる距離。潔子は姿勢を正し、けれどほんのりと頬を赤らめていた。

 シャッターの音が響く。

「はい、いいですね! とてもお似合いです」

 編集者がにこやかに声をかけると、明と潔子は互いに視線をそらし、ぎこちなく笑った。

 すべての取材が終わったのは夕刻だった。編集者は鞄を手に立ち上がり、深々と頭を下げた。

「これで充分です。来週号には必ず掲載いたします。発売は水曜、ぜひご覧ください」

 取材班が去ったあと、館には静けさが戻った。

 玄関先で並んで見送った二人は、ふっと同時に息をついた。

「無事に終わりましたね」

「ええ……」

 潔子は安堵の笑みを浮かべたが、まだ頬に残る熱を隠せていなかった。

 明は隣を見て、小さく笑った。

「写真に撮られると、夫婦らしく見えるものですね」

「……からかわないでくださいませ」

 潔子は少し恥じらうように言い、けれどその声にはどこか柔らかさがあった。

 二人は館内に戻りながら、自然と同じ歩調になっていた。

 改修を終えた白露館は、新たな船出を待つ港のように静かで、そして力強く息づいている。

「ここからが、本番ですね」

「はい。どうか……お力を貸してくださいませ」

 潔子の言葉に、明は力強く頷いた。

 白露館の未来は、これから試される。だが、二人の間には確かな信頼の芽が育ちつつあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る