第七話 雑誌に
旅館の改修準備が始まり、館の空気は慌ただしさを増していた。仲居たちは志乃のもとで礼法を磨き直し、板前たちは新しい献立を模索して厨房に籠もる。潔子と母のはるは、設計士や職人との打ち合わせに追われていた。
明もじっとしてはいられなかった。
「改修や料理は任せるとして……僕の役目は、客を呼ぶことだ」
白露館が立ち直るには、新しい客を掴まねばならない。いくら改修を施し、料理を刷新しても、人が来なければ意味がない。
明は机に広げた帳簿を閉じ、名刺入れを手にした。そこには広告会社を経営していた頃に出会った編集者や記者の名が並んでいる。
「……そうだ。雑誌に取り上げてもらえれば、一気に知名度が上がる」
当時の広告仲間のひとり、雑誌社に勤めている北原の顔が浮かんだ。食や旅を扱う新興の雑誌に関わっていると聞いていた。もし彼に頼めれば――。
◇
数日後、明は背広に袖を通し、京都から汽車に揺られて大阪へ向かった。
北原が勤める雑誌社は、市街地の一角にあった。木造三階建ての社屋に入ると、原稿の束を抱えた編集者たちが忙しなく行き交っている。インクと紙の匂いが立ち込める中、応接室で待っていると、懐かしい声がした。
「おお、明じゃないか。久しぶりだな」
現れたのは北原だった。細縁眼鏡を掛けた痩身の男で、大学時代に明と共に広告の仕事を手伝っていた旧友である。
「元気そうだな、北原」
「お前こそ。噂じゃ、実家の商社に戻ったとか聞いたが……」
「いや、縁を切ったよ。いまは京都で、旅館の再建に関わっている」
北原は驚いた顔をした。
「旅館? お前が?」
「そうだ。白露館といって、歴史ある宿だが衰退していてね。改修して立て直す。そのために、雑誌に載せてほしいんだ」
北原は腕を組み、じっと明を見つめた。
「……なるほどな。だが簡単じゃない。載せるからには、読者に“行ってみたい”と思わせなきゃならん。料理はどうする? 建物は?」
「料理も建物も、これから変える。だからこそ、完成した暁には必ず取材に来てほしい」
北原は少し考え、やがてにやりと笑った。
「お前らしいな。まあいい、編集長に掛け合ってみよう。ただし条件がある」
「条件?」
「こちらとしても誌面を割く以上、ただ“古い旅館を改修しました”じゃ弱い。何かしら目玉がいる。名物料理でも、特別な部屋でも、あるいはお前の話でもいい。読者が“京都に行くならここだ”と思えるようなものを用意しろ」
明は真剣に頷いた。
「分かった。必ず用意する」
「よし。じゃあ完成した頃に連絡をくれ。そのときはうちのカメラマンも連れて行こう」
握手を交わすと、北原の手はインクで黒く染まっていた。
◇
帰りの汽車の中、明は窓の外に流れる田畑を眺めながら考え込んでいた。
目玉――雑誌に載せるための確かな売り。
懐石料理か。歴史的な建物か。それとも新しいもてなしの形か。
どれもまだ形になっていない。だが、潔子や従業員たちが日々汗を流して取り組んでいる姿を思い出し、胸が熱くなる。
「……必ず形にしなきゃな」
旅館を宣伝するだけでは足りない。雑誌に載せたとき、読者の目を釘付けにするものを見せなければ。
汽車が京都駅に近づくころ、明の目には決意の光が宿っていた。
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