誰よりも美しい裏切り者
悠・A・ロッサ @GN契約作家
第1話 このキスは利き手より危うい
訓練場の空気が張り詰め、ただ風だけが静かに吹いていた。
金髪の若者と剣を交えている。
軽い。
笑みも、身のこなしも、構えも。
だが、目の奥だけが笑っていない。
ふっと力を抜くような素振り。
そこから伸びる剣筋は、しなやかで、読みづらい。
およそ騎士団の教本からかけ離れた型外れ。
──なのに、速い。
こちらの剣をさらりと受け流しながら、獣のような勘で反応してくる。
軽くあしらうつもりだった。それで十分だったはずなのに。
気づいたときには、左手が柄を握っていた。
ざわ、と周囲がどよめく気配。
誰かが「団長が利き手を」と呟いた声が聞こえた。
その瞬間だった。
若者の剣筋が、わずかに変わった。
こちらの動きに合わせ、退いた。
軽くいなすだけの剣。
本気を引き出したとわかった途端、急に手加減しはじめた。
負けてやる気だったのか。
あくまで戯れ。そう言わんばかりの態度。
胸の奥が屈辱で、じり、と灼けるように熱を持った。
だからこそ、こちらは容赦なく薙ぎ払った。
一閃。
風が止まる。
高い音が響き、彼の剣が宙を舞い、砂に突き刺さる。
「参りました」
あっけらかんとした声。
「さすがはヴァルシュタイン王国随一の剣士と名高い騎士団長殿」
にやついた軽薄な笑い。
属国イゼルノアからの派遣騎士。
出自は曖昧。国王の庶子とも言われている。
名はナイジェル=セイン。
俺は、その顔を見た。
華やかな金髪。
よく整った輪郭。
挑発的な目元。
誰かに似た美しさ。
それが、誰よりも敬愛する女王だと思い至って、小さく動揺した。
ナイジェルはそれに気が付いたように、目を細めた。
「後は任せた」
副団長のレオニスにだけそう告げて、その場を離れた。
***
夜、回廊で人の気配を感じて足を止めた。
そこにいたのはナイジェルだった。
「……何をしている」
「迷子になってました、って言ったら信じます?」
「信じると思うか」
歩み寄る。規律違反だ。
そう言いかけた瞬間、ナイジェルが口を開く。
「団長。俺を見張ってたんですね」
「イゼルノアからこの時期に派遣されて、疑わない方がどうかしている」
ヴァルシュタイン王国の属領であるイゼルノアは、
しかし、以前から独立の動きを見せていた。
最近では、新興の軍事大国ラグドナと水面下で接触しているという噂もある。
隣国との緊張が高まる今、諜報以外の目的など考えられなかった。
「信じてもらえないかもしれませんが、俺はイゼルノアにはたいして興味がないので」
その軽薄な様子に苛立ちを覚えて、顔をしかめる。
「騎士のくせに。愛国心も誇りもないのか?」
「ありません。むしろ、あなたの方が気になります。お仲間でしょ?」
「……仲間?」
その動きは突然だった。
まるで、昼間の立ち合いのように。
ふと踏み込んだナイジェルが、不意に顔を寄せた。
普段であれば、反応できないはずがない。
それが遅れたのは、女王に似たナイジェルの顔に一瞬目を奪われたからだった。
その目が、俺の奥を見透かしてくる。
口を開くより早く、唇が重なった。
熱く、柔らかく。
理性では押し返せなかった。
舌が触れる。思わず「……ん」と息が漏れた。
形をなぞるように、ゆっくりと深く──。
その舌先が、歯列を撫で、粘膜を探り、じわじわと口内を蹂躙してくる。
ねっとりと絡まり、逃げ場がない。
ひく、と喉が鳴った。
「なっ……にを」
唇が離れる。
「……意外。処女なんですね」
「……っ、な──」
言い返そうとして、うまく言葉にならなかった。
羞恥と、別の熱がぐらぐらと胸を焦がす。
「でも、俺の顔……好きなんでしょ。
視線でわかる」
なぜか、ナイジェルはひどく底意地の悪い顔をした。
「……誤解だ」
怒ろうとして、うまくいかなかった。
再び顔が近づいてくる。
拒もうとして、間に合わなかった。
二度目のキスは、最初よりもずっと濃密だった。
唇が形をなぞるように押し当てられ、擦れ合うたびに熱を帯びる。
次第に舌が滑り込み、まるで内側の全てを味わうように這いまわった。
頬の裏、上顎、喉の奥。
「……っ、ん……」と喉が甘く震え、熱がこもる。
そのとき、ナイジェルの腕が腰に回される。
ぐ、と引き寄せられた身体が、否応なく密着する。
思わず、舌を絡め返しそうになってしまい、「……あっ」と喉奥で声が漏れる。
その一瞬、我に返る。
胸を押す。
けれど、力が入らない。
俺は……どうした?
視界が霞む。頭が熱い。
ナイジェルが目を細めて笑った。
「自覚しました?」
それには答えず、逃げるように踵を返して自室に戻る。
***
「自覚しました?」
その言葉が、頭から離れない。
何を自覚したっていうんだ。
面食いだと?
男相手に欲情したと?
……それとも、あのキスを拒めなかったことか?
俺は──
自室の扉に背を預け、目を閉じる。
火照りは収まらず、呼吸だけが浅くなる。
まるで、戦場で急所を突かれたみたいだ。
それでも、どこか、俺の内側に冷たい熱が残ったままだった。
***
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