志乃さんは見抜くし抜けている~骨董店あんどうの推理日誌~

ハナノネ

 十月の初めだというのに、空気はまだ真夏を引きずっていた。日差しに焼かれるアスファルトからは、秋のはずなのに三十度を超える熱気が立ち上っていた

 そんな街の一角、ビルの谷間に挟まれ、都市開発から取り残されたような古びた二階建ての建物があった。屋根の上で陽炎がゆらめいている。看板には「骨董品のあんどう」と書いてある。開け放たれた扉の向こうからは、埃と古木と鉄の混じるにおいが滲み出ているようだ。

 俺は背中のショルダーバッグの重みを肩で支え、汗をぬぐった。ここでもいいか……

 でかい甕を避けながら中に入ると、冷房の効きは心許なく、積み上がった骨董の隙間に溜まった熱気がじっとりと肌にまとわりつく。店内のそこかしこに木箱や桐箪笥、ちゃぶ台、時代の異なる椅子や机が押し込まれ、棚には皿や茶碗がすし詰めのように並ぶ。壁には鉄錆を帯びたランプや、黄ばんだ巻物がかけられている。時代が折り重なるような、言い方を変えれば雑然とした空間だった。

 カウンターの奥から、軽やかな鼻歌が聞こえる。「う~さぎうさぎ、なにみてはねる♪」の節回しだ。その主は、陶器の花瓶にすすきをさしていた。穂が光を受けて銀色に揺れる。十五夜のために飾ったのだろう。もっとも、窓の外の陽射しは兎も跳ねる気をなくすほど強い。

「ごめんください」

 声をかけると鼻歌の主ははこちらに気づき、顔を上げて微笑んだ。

「いらっしゃいませ」

 きれいな女の人だった。見た目は俺と同じ三十代前半ぐらいだろうか。いや、もっと若いかもしれない。色白の肌は滑らかで、輪郭は柔らかいのに鼻筋はすっと通っている。笑うと目尻にわずかに皺が寄るが、それすら表情を明るくする装飾に見える。肩までの黒髪はきっちりまとめるでもなく、耳にかけたり落ちたりしている。服装は生成りのシャツに藍色のエプロン。古道具に囲まれたこの店で、彼女自身がひとつの「古びない骨董」のようだ。ただ、よく見ればエプロンの端には茶渋のような染みが残っていて、袖口は少し解れていた。

 ただ、俺はこの店に入ったことを後悔しかける。若そうな彼女に、例の品を鑑定できるのかと思ったからだ。もっとも店主は別にいるかもしれない。

「あの……こちら、買取はしていますか?」

「はい、もちろん。あ、申し遅れました。わたくし店主の安東志乃と申します」

俺の期待を裏切って彼女――志乃さんというその女性は答える。こんな年季の入った骨董品店の店主にしては若すぎないだろうか。

「あ、どうも。岡部といいます」

反射的に名乗ってしまう。こういう店でいちいち名乗り合う必要はないのだろうが、これもサラリーマンの悲しい性か。

「こちらにどうぞ」

と、志乃さんは店の奥にある机に手を向ける。俺は言われるままにそこに向かった。


 バッグを下ろすと、肩がじんわりと解放された。壁のアンティーク時計は十四時過ぎを指している。外は十月とは思えない熱気だが、カウンターの横の花瓶にささったすすきが、今は秋だと思い出させてくれる。

 机に座り、志乃さんと正面に向かい合って座る。机は古びた楢の木でできていて、表面には長年の使用でついた無数の傷が走っている。椅子は全く別の時代のものだった。片方は背もたれの高い重厚な洋椅子、もう片方は戦後すぐの学校で使われていたような木製の椅子。俺が座ったのは洋椅子のほうだった。

「これなんですが」

 俺はバッグから品物を出す。メロンほどの丸み。全体にやや黄色が強い肌。それは壺だった。もう何度も見て、見飽きた壺だ。

「壺ですね」

「はい」

「箱などは?」

「ないんです。……すみません、実はこれ骨董品というか、知り合いの作った物でして……」

「それでも構いませんよ。作家さんのお名前はわかりますか?」

「根岸慎一……という奴のはずです。たぶん。信州の方で窯元をやってまして、自分でも制作するらしいので」

「なるほど。でもすみません、存じ上げないお名前で……」

「いえ、たぶん有名じゃないので……」

あくまで低姿勢の志乃さんにいくらか申し訳ない気持ちになる。気まずいのはこんな妙な壺を持ち込んだ自分だというのに。

「値段は付けられそうですか?」

「まずは拝見しますね」

 彼女は白い薄手の手袋をはめ、壺を持ち上げる。その仕草はごく静かで、ゆっくりで、まるで王冠でも扱うような人間の手つきだった。そして壺を回しながら底や壺の中を確かめる。俺は手持ち無沙汰に、ぐらぐらする椅子に腰を落ち着けながら口を開いた。

「どこに持ち込んでも買い取れないと言われてしまいましてね。由緒ある品でも有名作家の作品でもないと難しいと」

「なるほど」

志乃さんは静かに頷きながら、壺を光にかざしている。俺は彼女が聞いているかどうかも気にせず、苦笑しながら言葉を続ける。

「タダなら買い取ってもいい、なんて店もありましたよ。それならいっそ、本当に埋めてやろうかなんてね、まったく」

「まあ、ずいぶんな商売をされるところもあるんですねえ」

「そうでしょう? さすがに頭に来て、壺を奪い取って帰りましたよ」

志乃さんは俺の話に微笑みながら、まだ壺を見ていた。俺はそんな彼女の横顔に少し見とれ、そんな自分に気づいて押し黙った。仕方なく立ち上がり、店内の骨董品を見て時間をつぶすことにする。

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