文化祭殺人事件

菊間由佳莉

第一章 青島可奈子の死

  1

 今年の夏は、八月下旬になっても暑さは収まらなかった。それどころか、連日のように最高気温を更新しているのだから、飯川いいかわみどりは太陽が私たちを嘲ている、とすら思う。

 緑は公立高校の国語教諭である。二年と三年に古典を教え、文芸部の顧問として過ごしてきた。だが、勘というものは人一倍敏感であった。

 バスに乗り込んでスマートフォンを眺めると、ホーム画面は七時十五分を示している。いつもより数十分早い。

 緑の勤め先の高校——伊勢路高等学校——は、今日が文化祭二日目である、一日目は校内公開であり、二日目が一般公開というわけで、普段は外界から遮断された”学校”という空間に不特定多数の人々がやってくるのだから、職員としても緊張をもって取り組むものだ。

 そうだと云っても、緑の登校時間は早い。彼女は文化祭実行委員会責任者のひとりであるからである。早めに登校して、だれよりも早く仕事に取り掛からなければならないのだ。

 最寄りの伊勢原駅北口バス停を発ったバスは、大通りに向かった。とはいっても、目立ったものはない。大通りの両端には、小さな商店と寺院、神社、それに家々。伊勢路高校最寄りは、伊勢原大神宮前のバス停である。

 そこから北東に進んで、小さな坂をのぼると、住宅街の一角を丸々くりぬいて作ったような巨大な高校の敷地が現れる。無論、住宅街が先にあったのではない。はじめに高校があって、あとから周辺の田畑が家になったのだ。

 緩やかな坂を少し上ると、左手に百センチ丈の校門が見え、そこを少し開けて、後ろ手でそれを閉める。

 校門をくぐったその正面には、白モルタル塗りの校舎一棟、左手にはテニスコート、その奥にある大きな体育館などが見える。なんといっても伊勢路高校の特徴として、一棟一階正面の職員玄関前に池があるということだ。

 立地の都合的に保護者や自動販売機の詰め替え業者、あとは職員の通勤的にも多く車が用いられるので、池の周りはロータリーのようになっていた、池といってもさほどの大きさではない。池の周りに少しばかり芝地があって、石碑や蘇鉄などが植わっているだけだ。嘗てはお稲荷さんもあったがもうすでにつぶれて錆びた塗炭屋根丈が残り、何の皮肉か婦人方が茶会に使いそうなアルミの細工が凝ったテーブルと椅子が、藻草だらけの池の畔にある。

 鋭い日差しを、濁った水面で反射する池をなんとなく見るのが緑の習慣であった。できることなら、池の水を綺麗にして金魚などを泳がせたい、とも思っている。

 こんなにも朝早くだから、朝練をする生徒の姿も見えないし、職員だって見えない。どんなに早く来た先生だろうと、今しがた職員室で準備をしている頃だ。

 その水面に、普段はないはずの色があった。それは白であった。とても大きい。なんだ、なんだと池に近づいてみると、それが、それの正体が現われた。

 少女の裸体である。こんな夏にも関わらず、肌は雪のように白く、少しの血の気もなかった。当然だ、生きていないのだから。少し膨らみかけた、胸の双丘の間に黒々したつかが聳え立ち、あばらの方へあかがしたたって、池の水に消える。

 死、死、殺人、他殺、刺殺、頭に言葉が浮かんでは右から左へ風の流れるように消えていく。

 只、その手に握ったスマートフォンの受話器が描かれたアプリを押し、一、一、〇と打ち込んだ。 

 すぐ、相手の女性の声が聞こえてくる。



  2

 芦沢結衣は、憂鬱な気分で伊勢原駅のホームを降りた。文化祭、文芸部部長になってはじめての文化祭である。伊勢路高校生徒二年生として、部長として、どれだけの人が来てくれるだろうか、閑古鳥である未来しか見えず、不安だ。どうして今になって自分の準備不足を発見したのか……自分自身を恨めしく思う。

 改札を出て北口の階段を降りると、交番の前に見覚えのある軽自動車が停まっていた。

 芦沢結衣の父は殺人事件を取り締まる神奈川県警捜査一課の課長である。その父の右腕たる石田洋一郎警部補の庶民的な水色の軽自動車がなぜ停まっているのか、気をまぎらわすついでに挨拶でもしておこうと車に近づいていくと、車窓がモーター音をたてながら下がっていく。

「さっそく乗って」

「えっ、学校に……」

「その学校に用があるんだ。今回も君に協力願いたい」 

 有無を言わず、後部座席に結衣は乗り込んだ。

「学校でなにがあったんですか?」

「ああ、君の同級生がね」

 石田警部補は車を走らせながら、ことのあらましを伝えた。

「あの、櫻井君も来てるんですよね」

「勿論、さっそくホームズらしく……」

「アハははは……」と苦笑い。

 櫻井さくらい龍太郎りゅうたろうは芦沢の同級生である。昨年、伊勢路高校一年一組女子生徒連続殺人事件において星を挙げて以来、日々警察が悩ませる難事件を解決させる現代の名探偵といったところである。結衣は父の権力を利用して彼を事件捜査へと巻き込むための重要な役割を果たし、また、櫻井の助手としても、このように事件簿を記すなど、彼の功績と捜査の補助をしている。

「このあいだの芦ノ湖の話すごかったねえ、現代の浅見光彦っいや、十津川警部か、差し詰め君は亀井刑事だね」

「もう、古いですよ例えが」

 芦ノ湖のほとりで明らかに殺された白骨死体の事件について、あれほど頭を悩ませることがあるか、というくらい櫻井が苦悩していた様子を思い出す。きっと夏休みの大半を箱根に過ごした彼は、もう数年、箱根を訪れたくないだろうな、と想像した。

「そういえば、被害者の身元は?」

青島あおしま可奈子かなこさん、知ってる?」

 その名前に芦沢は聞き覚えがある。たしか、松下綾子の隣にいつも居る、日本人形のような顔立ちをした、小さな子だ。普段口数が少ないイメージで、早々人から恨みを買われるようなことはしなさそうだが、人間、本性までは解らない。或いは、人ではなく、体目的で殺されたのかも知れない。

「ええ、顔は何度か。でもあんまり知らないですね」

「恨みを買うような子にも見えなかったしね……」

 そんな会話をして居る内に校門をくぐって、池の右、つまりは東端にある、元はバレーボールコートだった駐車場に車は停められた。

 黙って、西へと向かうと、池の周りでは制服姿の鑑識課の人々が作業している。池の周りをぐるっと囲ったバリケードテープの外から、担架に横たわる裸の青島の水膨れした腹が見える。その傍に、しゃがみ込んで目を瞑っている白の半袖ワイシャツに鼠色のズボンを履いた少年の姿があった。

 彼は普段、左半面を覆う前髪も、襟首まで伸ばした長い髪も全部頭上のカバーの中に押し込み、面長な顔を晒して、死体の前で物思いに耽っているらしい。彼が櫻井である。

 芦沢も石田も現場に入る措置をとってテープの向こうに入る。両手をポケットに入れるのがお約束だ。

「ちょっと」櫻井が芦沢を手招きする。

「あの死体を見てなにか思うところない?」

 櫻井は平然と死体を見下ろしながら、芦沢にもそれを見るように促した。

 警察官の娘でも普通は死体なぞ見慣れない筈だが、一般の、それもしがない軽音楽部部員たる櫻井が毎週殺人事件に遭遇する小学生のように、死体を眺められるのが、芦沢には不思議である。彼女は唾液にしょっぱいものを覚えながら、唇を閉じてと向き合う。

 表情はすでに、ある程度整えられているが、死後の体はやはり生きている人のそれとはどこか違っている、胸の真ん中に黒々した穴が開いているくらいだ。蠅のそろそろ周りをうろうろしはじめる。暑さと湿度で腐敗が速いから、さぞお美味しそうなご馳走に見えるだろう。

「死因は?」

「庖丁でブスリ、肺に血がたまって死んだらしい。で、庖丁はどこにでも売っているやつだから、まあ安心してくれ、で、見てみろ、こいつは刺されに行ったらしい」

 死体の状況から全裸の状態で殺された、服を着た状態から刺されたわけではないことがわかった。一体、どうして裸の状態で刺されるのだろうか……その状況が浮かばない。

「これって、服の上から刺してその後に脱がせたってわけじゃないんだよね?」

「そう、で、どうして脱がせたと思う?」

「データが少ないよ」

「ま、だろうな。俺にも分からん」

 櫻井にもまだわからないということは、相当むずかしいといううことだ。ああ、また面倒・・・・・・閑古鳥の文芸部ブースを見るよりもいいか、と持ち直した芦沢は、事件の操作へ意欲的になっていく。



  3

 青島夫妻はすでに娘の亡骸なきがらを見届けて、一棟一階、校長室隣りの応接室で沈痛たる面持ちで沈黙しているばかりである。

「大変心苦しいでしょうが、もう一度、お話しねがえませんでしょうか・・・・・・」

 さて、娘の同級生にどうしてお話ししなければならぬだの、なんの権利があるのか、そういった面倒なやりとりをすっとばして、夫妻が語ったことは以下の通りである。

 青島可奈子は家庭内でも、余り多くを語らなかった。だが、非行をするような性格ではない。毎日十七時には帰宅をし、勉強をし、寝る前にスマートフォンを見るか漫画を読む。

 事件前日、八月二十八日、彼女はかえって来なかった。彼女の両親は共働きで、先に母が十六持三十分に帰宅することになっている。まず、可奈子が十七時を過ぎても帰って来なくても、文化祭の準備があって多少遅れたのかもしれないと、母はなにもしなかった。あまりに遅ければスマートフォンから連絡すればいいと思っていた。

 それが十八時を過ぎたあたりで一度連絡を入れてみたものの、返事がなかった。学校に連絡してみても、娘は居ないという。その学校伝いに、生徒たちに可奈子の行方を尋ね廻ったが、これも意味をなさず。今日未明に警察署へ行方不明届を提出した矢先に、娘がころされたと連絡があった。

 二十九日の午前十時事時点で警察が把握している情報を列挙しておこう。

 まず学校内に設置された防犯カメラの映像について。学校内に存在するカメラは二台である。一つは別紙1にとして掲載したる校舎一棟の外壁に、二つ目はグラウンドの南西端にある裏門である。こちらは門もなければ、砂利道の坂という造り。ほとんど普段使われず、文化祭の際、ごみ収集業者が特大コンテナを搬入するときに用いられる。

 その映像には、特段怪しい人物、ものは見受けられなかった。

 といって、どうやって死体を運ぼうかといえば、手段はある。

 駐車場の南東端に畑が広がっている。これは家庭菜園部が管理しているもので、零細農家のそれと同じ規模はある。ここをしきっているのは網ばかりである。やろうと思えば畑側から侵入することは可能である。なにせ、一輪の手押し車があるから、それに載せて運ぶことも可能だ。警察もその線が濃厚だとしている。

 次に、被害者のスマートフォンの行方は目下捜索中であるが、最後に携帯電話会社の基地局に接続された痕跡が残っており、その範囲からおおよそ、新宿歌舞伎町周辺である。

 彼女は電車通学だから、当然のことに定期券を発行している。現物はないが、会社に残っているこの最終履歴は伊勢原のままだった。有り得そうなところに絞って彼女の姿を捜して捜査員たちは周辺の防犯カメラの映像とにらめっこしている。死亡推定時刻は直腸温度や死後硬直の進行具合からみて、二十九日の午前二時から四時の間と見られる。殺害現場は不明、現場には別所から運ばれてきたものと思われる。

 殺人事件が起こった以上、文化祭など、とうてい開催できるはずもなく、発見当時学校内に居た人々を残し、他のものは登校させないことになった。

 櫻井と芦沢はとりあえず待機させられることになった空き教室である話をしていた。

「この間の、華彩荘かっさいそうの、どうしてあの骨から犯人が分かった理由おしえてくれない?」

「え、言ったじゃん、もう」

「よくわからなかったの」

「それは理解力がねえから」

「何言ってんのよ、国語教科平均評定五よ」

「なら、わかってんだろ、昔のサスペンスくらい叮嚀ていねいにやったんだから・・・・・・」

「じゃあ、ヒントだけ、それだけ教えて。思い出すから」

「烏瓜、庭に咲いていた、烏瓜、あの色で分かったんだ」

 矢張りそんなヒントだけではさっぱりわからない。

「さっきいった『なぜ、被害者は裸で刺されたのか』って話なんだけど、被害者がろくに抵抗した痕がないから、

一.裸でいても構わぬ関係にある状況

一.正面から刺される状況になるほど、気を許している

一.彼女をどうであれ殺さねばならぬ状況にあった

 今のところ、この三つに当てはまるのが犯人の条件と思ってる」

「パパ活するような子には見えないけど」

「パパ活以外にもあるじゃん、普通に彼氏とか、あとは誘拐されたか・・・・・・」

 櫻井はかぶりをふって、「いや、今考えても意味ねえな」

 その後も捜査されたが、全くと言っていいほど、進展がなかった。そのまま、一週間が過ぎていく。

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