第25話 現実

「行こうか、ユキ」


「うん」


 ユキが小さく返事をする。その横でテンコはカメラを構え、ムサシは「終わったらカツサンドな」と真顔で呟いた。


 店長が、壁に埋め込まれた小型モニターを指でタップすると、そこにコンパクトな機械の設計図が浮かび上がった。


「写真や動画からサイズを割り出すサービスはもう珍しくないでしょう? 

 でも、私たちが作ったのは、もっと手軽で正確なボディスキャナーなんです。LowZen社と共同で、これをこのサイズにまで圧縮しました。

 今はこの店舗と、もう一か所だけで先行運用していますが、将来的にはスキャナーだけ全国に置いて、集めたデータから各地の3D縫製センターに飛ばして、ぴったりの服を最短で送れるようにしたい」


「なるほど」


 熱を帯びた口調に、直哉は小さく呟く。服屋っぽくないビルの理由が腑に落ちた。

 LowZen社のポイントで利用できる企業が多いこともまた、合点がいった。


(LowZen社と業務提携、もっというなら技術提供や、消耗品で取引があったりする企業もポイントの対象になっているんだろうな)


「じゃあ、あたしがデザイン面は見とくから、直哉は測定いってきて」


 テンコが笑顔で促す。


「完全に丸投げするけど大丈夫?」


「任せといてよ。ユキちゃんと店長さんと一緒に選んどくから」


 直哉は言われるまま、試着室ほどの大きさのボディスキャナーへ入る。半透明の扉が閉まり、薄緑のレーザーが全身をなぞった。温度も圧迫感もなく、ただ光が身体を撫でるだけだ。


 外ではテンコとユキが、モニターに映し出された直哉の3Dデータを見ながらデザインを指定していた。


「白いYシャツをベースに深緑のニットを重ねるのどうかな。爽やかで清潔感もあるし、少しフォーマルにも寄せられる」


 テンコが指でサンプルをスワイプしていく。


「いいかも。直哉くん、長身だからブルーのパンツで全体を締めても映えると思う」


 ユキも頷く。


「店長さん、素材はどれに?」


「このモニターのランクで選べる生地の中だと、このグレードが一番おすすめです。吸湿速乾で、シワになりにくい。勿論標準で、汗の水分で脱熱する高機能素材だよ」


 店長が素早く操作を終えると、隣のブースにある3D繊維プリンターが稼働し始めた。

 糸の束が機械の中で編まれ、縫われ、まるで立体のイラストが現実化していくように、型紙が服の形を取っていく。


「複雑な形なのに、30分で出来ちゃうんですか」


 ユキが目を丸くする。


「ええ。最新の繊維プリント技術と、同時縫製ユニットの合わせ技でこのスピードが出せるんです」


 店長が誇らしげに笑う。

 やがて、仕上がった服を直哉が試着した。白い半袖のワイシャツに深緑のサマーニット、爽やかなブルーのパンツ。肩も袖口もぴたりと合っていて、着ているというより「纏っている」という感覚に近い。


「うわ、全然つっぱらない。軽いし、動きやすい」


「ね? フォーマル寄りでもいけるし、清潔感もある。これぞ“オーダーならでは”って感じ」


 テンコがうれしそうに身を乗り出した。

 続いてユキが薄桃色のブラウスとひざ丈のフレアスカートに着替えて現れる。

 デコルテがちらりと露出しているが決して下品ではなく、胸元はしっかりと隠れている。清楚だが大人の色気も感じられるデザインだ。しかもその胸元のラインや絞られたウエストが自然に際立つ。


「え、似合いすぎてない?」


 直哉は思わず声に出してしまった。


「ほら、言ったとおりでしょ。ユキちゃんの体型データにぴったり合わせてるから、既製品とは全然違うの」


 テンコがにやりと笑い、くるりと指を回す。ユキがその場で軽くターンすると、スカートがふわりと広がり、光沢のある生地が柔らかく波打った。


「テンコちゃん、レビューが上手だねえ」


 店長が目を細める。カメラで直哉とユキを被写体に、連続シャッター音が鳴り続けている。


「インフルエンサーでもモデルでもない優待枠で、こんな逸材が来てくれるなんて思わなかったよ」


「ですよね!逸材!」


 テンコが大げさにリアクションしている。


「本当に助かるんですよ。私たちのような挑戦的なベンチャーには、こうやってきちんと体験して発信してくれる人が一番ありがたい。

 それが服飾に詳しい人なら猶更だ」


「服好きですし、こういうの、楽しくて仕方ないんです」


 テンコの瞳がきらきら光る。


「オーダーメイドって敷居が高いイメージあるけど、これだけ短時間で、このクオリティで、しかも既製品とそこまで変わらない価格帯で作れるって、ほんと革命ですよね」


「その言葉、うれしいなあ。まさにそこを目指してるんです。素材グレードは値段によって変えますけど、全身コーディネートを数万円で揃えられるようにするのが夢でね」


 店長は笑みを浮かべたまま、試着した二人を見比べる。


「いやあ、やっぱり並ぶと映えるねえ。お二人とも、とってもよく似合ってますよ」


「ありがとうございます」ユキが微笑む。


「こういうの見せられると、既製品に戻れなくなりそうだな」直哉が苦笑する。


「そう思っていただけたなら、成功です。お二人のサイズはデータベースに残っているので、以降作る際は割引が利きますので」


 店長が肩を揺らして笑った。


 テンコはすかさずスマホを構え、角度を変えながら撮影していく。


「サイズ感の正確さ、縫製のスピード感、あと素材の質感。どれも既製品と一線を画してる。これ、SNSに上げたらきっと反響すごいですよ」


「ぜひぜひ。私たちもフィードバックがほしいですしね」


 直哉はその様子を見ながら、テンコの服への熱をあらためて感じていた。自分は服に詳しくないが、こうやって情熱を持って伝える人のそばにいると、なんだかこちらまでワクワクしてくる。


 店長が最後に一言、満足そうに呟いた。


「こうやって、服そのものより“体験”を楽しんでくれるお客さんがいると、ほんとに作ってよかったと思えますよ」


「こっちも楽しかったです。ありがとうございました」


 直哉が頭を下げると、ユキも笑顔で続いた。

 撮影と試着が終わり、店長とひとしきり談笑した三人は、オフィスビルの出口へ向かっていた。


「いやあ、面白かったね」


 直哉が軽く伸びをしながら言う。


「服の勉強にもなったし、体験自体も楽しかったな」


 テンコは満足そうに頷く。


「ユキちゃん、すごく似合ってたよ」


「テンコちゃんこそ、解説がプロみたいだった」


 ユキが微笑んだ。



 そんなやりとりをしながら自動ドアを抜けた瞬間、テンコがぴたりと足を止めた。


「えっ……うそ、愛瑠さん!? 本物!?」


 声がワントーン高くなる。

 視線の先には、ふくらはぎまで届くピンクブロンドの髪をゆるくウェーブさせ、風に揺らしている女性が立っていた。

 長い脚に映えるスリット入りワンピース、艶やかな素肌。エルフのように整った顔立ちに大きな瞳、長いまつげ、薄い唇。

 まるでCGから抜け出したような幻想的な美人だ。八頭身インフルエンサー——SNSで見ない日はない人気者、愛瑠その人だった。


「本物よ。やだ、かわいい子達ね」


 愛瑠が目尻をやさしく下げると、テンコは「ひゃっ」と小さく声を漏らす。


 奥から店長が小走りで出てきた。


「いやあ、もう約束の時間でしたか、うっかりしていました」


「社長、本日はお世話になりますお世話になります」


 愛瑠が軽く会釈する。


「愛瑠さんもオーダーに? それとも案件でしょうか?」


 テンコが目を輝かせて質問している。


「一応PRの打診自体は受けてるの。でも、どんなサービスかちゃんと見学してからじゃないと、PRはしない主義なの」


「そこが素晴らしいところですよね」


 店長が笑った。

 愛瑠はさらりと続けた。


「ベンチャーって、話題にする側も注意が必要なの。企業に問題があれば、受ける方も傷つくでしょう? だから、有料PRだろうと必ず自分の目で確かめるのよ。 まああなた達のその笑顔を見ると、すごくいいサービスだっていうのは察しが付くけどね」


 テンコが思わず口を挟んだ。


「今、私たちこのサービス受けてきたんです!」


「あら、やっぱり?」


 彼女の視線が、直哉とユキをすっとなぞった。


「あら、確かに。すごくスタイルを活かした形に際立って、素敵ね」


 ユキの方へ一歩近づき、にっこり笑う。


「あなた、とてもきれい。モデルかインフルエンサー?」


「い、いえ、違います」


 ユキが慌てて否定する。頬がうっすら赤くなった。


「じゃあ、こちらは?」


 愛瑠が直哉に目を向ける。


「僕は……動画投稿をしてます。最新サービスとかガジェット系が多いです」


「見せてもらえる?」


「もちろんです」


 直哉がスマホを差し出すと、愛瑠は軽やかに受け取り、画面をスクロールしながらいくつかの動画を再生していく。

 短い沈黙ののち、目を細め、唇に人差し指を添えた。


「うーん……そうだ、いいストーリーを思いついたわ」


「えっ?」


「社長さん、話題にしたいんでしょ?」


 愛瑠が店長に顔を向ける。


「ええ、もちろん」


 店長が息をのむ。


 愛瑠はくるりと直哉の方へ向き直った。


「ねえ、あなたたち、秘密にできる?」


「ひ、秘密……ですか?」


 愛瑠の大きな瞳が、まっすぐ直哉を射抜いた。声のトーンが少し落ちる。

 直哉は反射的にこくこく頷いた。甘い香りに頭がふわりと浮かぶような感覚。


「ちょっと、直哉」


 テンコが小声で囁く。

 ユキとテンコの視線の外で、テンコの手がそっと直哉の腕をつねった。


「いったっ……」


 直哉が小さく声を漏らす。


「ふふ」


 愛瑠が笑った。


「大丈夫、変なことじゃないの。ただ、私がPRする前に一度あなたたちの動画に絡めて、もっと面白い形にできないか考えてるの。だから、内緒

 にしてほしいだけ」


「も、もちろんです」


 直哉が再び頷くと、ユキもおずおずと頷いた。


「ありがとう。じゃあ、ちょっと奥の部屋借りていいかしら、社長さん」


「ええ、勿論です。どうぞ」


 愛瑠はスマートにスマホを返し、軽くウインクして奥に進んでいく。その後ろ姿まで完璧なバランスで、長い髪からふわりと甘い香りがした。


「……すごい人に会っちゃったな」


 直哉がぽつりと言う。

「すごいなんてもんじゃないよ。今の反応、完全にトリコだったじゃん」


 テンコがじと目で見た。


「だってあんな目で見られたら……」


「言い訳禁止」


 テンコが笑いながら小さくため息をつく。


「でも、あの人、本当に変なPRしない主義で有名だよ。やる時は必ずヒットに持ってく。店長さんにとっては超ビッグチャンスだね」


 ユキも同意するように頷いた。


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