ていねいな暮らしをするお姉さんに自作キーボードのことを教えてもらおう

Garanhead

第1話 お姉さんとはんだづけを頑張る


○轟静花宅 玄関


   インターフォンを鳴らす音。主人公、玄関に通される。誰もいない。しばらくしてぱたぱたと足音が聞こえてくる。轟静花、壁に隠れるようにしてひょっこりと顔だけを出す。セミロングの髪の毛がはらりと揺れる。


轟静花(26)「お待たせしてごめんね! 自転車、停める所分かった? よしよし。ちょっと今手が離せなくってね。少しここで待っててくれるかな」


   以下セリフ全て轟静花の独白。


「遠いところ来てもらってるから、ちゃんとおもてなししなくちゃって、朝からやってたらお昼になってしまったよ。あ、お昼ご飯は大丈夫だよね。よしよし」


   再び姿を消す静花。遠くの部屋からオーブンレンジの扉を閉める音。続いてスイッチ類を操作する電子音。その後、静花、主人公の前に姿を現す。


「初めまして。轟静花っていいます。あれ? 初めましてではなかったかな? なかったっけ……。あ、そうだ。思い出したよ。お姉さんの結婚式で会ってるね。式場でうちのおじさんがお酒飲みすぎて倒れちゃって、それで一緒に救急車待っててくれたよね。あの時、君が側にいてくれて助かったんだ。ほとんど会話は無かったし、救急の人には私一人で話したけど。うん。それでもありがたかったの。あの時、色んな人と話しすぎて疲れちゃっててね。私の側にいたいって人たち、みんなお話好きで。だから君のような無口な人がいてくれて助かったの。……よく分からないって? ふふ。分かるようになれるかな?」


   静花、主人公に靴を脱いで入室を促す。


「おっと。いつまでも立たせてたら悪いわね。どうぞ入っちゃって。まだ外、少し暑かったでしょ。よかったらシャワー使って。気持ち悪いでしょ、汗」


「初対面に近い人の家でいきなりシャワーを使う訳にはって? 別に気にしないよ。それに私の兄貴と君のお姉さんは結婚してるんだから、君とはきょうだいでしょ? 家族みたいなものじゃない。それに風邪ひいたらいけないからね」


「はい。決まり。タオルと着替え、今持ってくるからね」


   主人公、静花宅のシャワーを使わせてもらう。シャワーを浴びる音に蛇口を止める音。それから脱衣所の扉が開く音がする。


○轟静花宅 リビング


「ドライヤー使う? はいこれ。電源入れると、いきなりマックスで風出てくるから気をつけてね」


   渡されたドライヤーで頭を乾かしていく。


「あ。あのシャンプー使ったんだ。ううん。いいの。落ち着く香りよね(近づいてきて匂いを確かめる)。あまり強くないラベンダー系のを探したんだ。いい感じ。君もこの匂い、好き? それなら良かった」


   頭を乾かし終える。静花、ドライヤーを片付けて隣の部屋に主人公を案内する。


「それじゃ、キーボード作りを始めましょ。荷物をみんな持ってこっちの部屋に来て」


○轟静花宅 書斎


   部屋の壁には多彩なキーボードが並んでいる。落ち着く色合いのものからショッキングな色の組み合わせのものまで、一つ一つバラエティ豊かなキーキャップで彩られていた。決して少なくない数だ。木製のサイドテーブルには読み差しの本が伏せられていた。壁の二面は本棚になっていて専門書やら洋書が詰まっている。


「(軽く軋む様な音を立てて扉が開く)物が多くてごちゃごちゃしてて、ごめんね。ここが趣味の部屋であって仕事部屋だよ。……カラフルで楽しい? 見ててワクワクする? ありがとうございます。本当はもっとシンプルにして、家具の色も統一するのが良いんだろうけど、好きな物が多すぎて絞れないんだよね」


「(椅子のキャスターが転がる音)はい。椅子をどうぞ。道具と部品は持ってきたよね。一度机に並べちゃおうか」


   バッグのチャックを開く音。主人公は持参した道具類を並べていく。はんだごて、基板、パーツの入った袋、はさみやニッパー。


「はんだごてと、部品一式、それからはさみとニッパーね。言われた通りに持ってきたね。はさみとかニッパーはうちにもあるんだけど、自分のものを持った方がいいって思ったんだ。どんな些細な道具でも自分のを使うと愛着が湧いてくるんだよ。それが積み重なると楽しくなるの」


「何かごめんね。いきなり私のこだわりを聞かせちゃって。……え? 自分は教えてもらう身だから話してくれるのは嬉しい? 殊勝だ。感心するってことよ」


「では、これから自作キーボードを作っていきましょ。よろしくお願いします。(スマホのカメラのシャッター音)え? ああ、お姉さんとお母さんに送る用の写真。作り始めの写真があると、完成した時に見比べて感慨深くなれるんだ。君にも送っておくよ」


「それで、君の学校の電子工作の宿題、なかなか良いと思うけど、初心者にはつまづきやすい所あるよね。それを察して兄も私に声をかけたんだと思うんだけど。今時の高校生は皆こんなマニアックな課題をやるの? へえ、選択授業ね。他のクラスメートは家でのお菓子作りを選んだ? でも君はキーボードを選んだんだ(静花、顔を近づけてくる)。どうして? 何で君はキーボードにしたの? え? 内緒? そっか……内緒ね……」


「じゃあさ、もっと仲良くなったら教えてくれる? あ。照れてるな? 君は照れると軽く目を瞑る癖があるね。奇遇。私と同じだ」


「君から事前に送ってもらったビルドガイド、ここに印刷してあるんだ。二人で見ながら作業をしよう。紙が好きなの。手触りとか匂いとかかな?」


「(紙をめくる音)一通り、完成までの流れを説明しておこうか。まず基板にダイオードを実装するんだよね。これ、足長のクラゲみたいなやつ。二本足だね。これを基板の穴に通してはんだづけをする。スイッチ一個につき、ダイオード一個。キーの数だけある。最初の工程が一番大変かも。根気がいるから」


「ダイオードはね、押下したキーが確実に意図した入力を行うためのものよ。あ、分からなかったら言って大丈夫だから。説明し直すよ。えっと、キーを同時押しすることってあるでしょ? AとBのキーを二つ押すと画面にはAとBが表示されるよね。でも、三つ以上の時に問題が起きるの。キーを一気に押すと中で回路が混乱して、押したものとは全然違う文字が表示されるの。例えばだけど、ABCって同時に押したのに、全く関係ないDが表示されるみたいな。それを防止するためにダイオードを付けるの。かなり地味だけど大事な工程だよ」


「(紙をめくる音)それが終わったらマイコンボードのはんだづけね。パソコンと繋ぐ部分だよ。ここは細かいはんだづけがあるから難易度が上がります。でもその前のダイオードで慣れると思うから平気だよ」


「それからキーボードとパソコンを繋いで動作確認ね。基板の穴に針金で触れて回路に異常がないか確認しましょう。それからキースイッチやキーキャップを実装していくよ。キースイッチは一個一個はんだづけ。スタビライザーもここで組み立てるの。スペースバーやシフトキーの支えとなる部品ね。それが済んだらキーキャップをかぶせていく。ここまでで完成ね」


「どう? ワクワクするでしょ。……ここまでの私の話、メモとって聞いてたの? 殊勝だ。すごく嬉しい。でもね、そこまで緊張しなくても平気だから。分からない所は何度だって教えるよ。失敗しちゃってもリカバリーは任せて」


「では最初の一歩を踏み出してみよう。ダイオードのはんだづけだね。まずははんだごてを熱して、はんだっていう柔らかい金属を溶かして基板と部品の間に流し込むの。何百回も言われていると思うけど火傷に注意! はんだごての先端が指に触れたら、確実に火傷しちゃうから。それだけは本当に気をつけようね。安全第一」


「はんだごてをコンセントに繋いでみて。おっと、作業では煙が出るの。はんだは少なからず有害だからね。窓は開けちゃおう(窓を開ける音。風鈴の音が響く)。金木犀がどこかで咲いているよ。そろそろ秋支度かな」


「はんだごてが温まったらいよいよはんだづけ。その前にダイオードを一つ外して足を二本とも折り曲げよう。それを基板に通すの。向きに気をつけてね。うん。それで平気よ。奥まで詰めて差し込んで大丈夫。そうそう。裏からはんだで部品を固定しよう」


「(静花、主人公の耳元に移動してくる)はんだはコツがあってね。くっ付けたい部品をまずこての先端で温めてあげて。それからはんだを近づければ自然に溶けていくから。そうそう。いいね。バッチリ。これをはんだを送るって言うんだけど、熱したところにゆっくりはんだを差し込んでいくイメージだね。それで今度は隣もやってみて……うんうん。完璧。次に余ったダイオードの足をニッパーで切ります。余らせなくて良いからね。ギリギリで切ってあげて(針金を二回ニッパーで切る音)。仕上げに針金の断面をこての先端でちょっと押して。そうすると丸まって綺麗になるよ」


「(静花、主人公の耳元から離れる)ダイオード一個目、完成。上手だよ。君にとっては偉大な一歩目だね。そう言えば知ってるかな。かの有名なIT企業の創業者も、その始まりは基板へのはんだづけだったんだよ。君もこの一歩をさらなる飛躍の糧に。……ん? はんだづけは授業ですでに習ってるって……? そ、そっか。何か馬鹿にしているみたいになっちゃったかな。でも本当に出来は最高だよ。嘘なんてつかないよ」


「ではね、これを残りのスイッチの数、七十回以上繰り返しましょう。おや、あんまり絶望してない様だね。そもそも甘い道のりだとは思ってなかった? 殊勝。やる気があるのはいいことだよ。どんどんやってしまおうか。でもね、慣れてきたら油断してやけどの確率が上がるから。それだけ注意しよう」


   主人公は何個かダイオードをはんだづけする。それを後ろから見守る静花。何ヶ所か終わると近くに来てアドバイスを送る。


「ここ、ちょっとはんだを送りすぎちゃったね。逆に足りないところもあるかな。でも気にしないで。あとで何度でもやり直せるんだから」


   さらにダイオードを付けていく。静花は腕を組んで主人公の手際を確認すると、満足そうに頷いていた。


「うんうん。問題ないね。ちょっと一人で続けてみてくれるかな。ごめんなさいだけど、今日中にやっておきたい仕事があるの。今から片づけさせてね(ノートパソコンを開く音)。分からないところがあったら、何でも声をかけて。別に質問じゃなくても、おしゃべりしたくなったとかでも良いからね。大歓迎」


   主人公、ダイオードのはんだづけの続きをする。一方の静花、ノートパソコンで作業を始める。ノートパソコンのタイプ音が響く。しばらく作業したところで主人公、手を止める。


「壁のキーボードは仕事で使わないのかって? そうね。私にとってはオンとオフを切り替えるスイッチみたいなものだから。趣味の時間で思いっきり楽しむことにしてるの。え? 私の趣味? それはね……」


   ひくひくと鼻を動かす静花。


「はんだの煙とは違う匂いしない? まさか……」


   静花、椅子から立ち上がって慌てて部屋を出ていく。主人公、はんだごてをコンセントから抜いてついて行く。


○轟静花宅 キッチンダイニング


(オーブンレンジを開く音)


「あらら、やってしまった。盛大に焦がしてしまったよ」


   オーブンレンジの中から取り出された物体。焦げた匂いの中に甘い香りも混じっている。


「これ? カヌレだよ。君のためにお菓子を焼こうって思ったんだ。会社でお菓子作りが流行っててね。月に一回くらいで集まってるんだ。その時のカヌレが美味しかったから君にも食べて欲しかったんだけど。焦げちゃったかあ」


「さっき様子を見た時は生焼けっぽかったから、少し追加で焼こうとしたんだ。それがいけなかったのかなあ。うーん……。ごめんね。台無しにしちゃって」


   主人公、焦げたカヌレを一口食べる。


「あっ。無理しなくていいから。え? 焦げてない部分は美味しいし、自分のために用意してくれたことが嬉しいって? 君は本当に殊勝だね」


「じゃあさ、お互いに作業が落ち着いたらコンビニ行こう。外で食べるアイスは最高だよね。うんうん。やる気が満ちてきた。お仕事を片づちゃうね」

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