day2─疑念と信念─

 翌日。


 放課後の図書室には、静けさが満ちていた。

 昨日のように雨は降っていない。窓際から差し込む陽光が机を柔らかく照らし、紙の上に淡い影を落としている。利用者はまばらで、それぞれが思い思いにページをめくっていた。


「今日は白石君は図書委員じゃない。無理に付き合わせることもないだろう」

 優雅部部室を出る前の史桜の穏やかな声を思い返す。

「だから今日は、我々だけで進めよう」


 絢葉は、少し不安げに窓の方を見た。

(白石先輩の為にも、早く解決しないと……)


 そのときスマホが震えた。画面には佐伯からのメッセージ。

【いきなり不参加で悪いけど、良かったら調査の内容後でメッセ送ってよ!】

「……あいつ、やっぱり今日は来ないのか」

 奏汰が肩を落とす。


「仕方ないですよ、今日は雨降ってませんし、普通に陸上部の練習があるんでしょう」

 絢葉は言いながら図書室を見渡す。

 今日の史桜からの調査指示は、

「人の少ない図書室だからこそ、常連に的を絞った方が効率がいい」


 対象は二人。

 一人は今日の当番を務める図書委員、二年生の岡江。

 もう一人は、机いっぱいに紙を広げ、熱心にペンを走らせる漫研部の二年生、小堀。


 最初に声をかけたのは岡江だった。

 長い髪をきっちりまとめ、無駄のない動作で貸し出しカードを整理している。絢葉が恐る恐る近づくと、冷ややかな視線が返ってきた。

 白石の事や、窓の謎の文字について尋ねる。


「白石さんのこと? ……あの子、暗いわよね」

 言葉は乾いていて、どこか距離を置いた響きがある。


「暗い……というのは?」絢葉が問い返す。


「周りとあまり話さないし。孤立してて、私は正直、苦手かな」

 岡江は視線をカードから外さず続ける。

「それに──窓の文字。あれが現れるのは、彼女が当番のときだけ。私がいる日には、どんなに雨が降っても出てこないわ」


「何か言いたげだな?」

 奏汰が眉をひそめる。


「周りの気を引きたくて、自分でやってるんじゃないの?そういう噂もあるってだけ」

 岡江の言葉は淡々としているが、どこか突き放す冷たさがあった。


 絢葉は反論したい気持ちを飲み込み、視線を落とした。



 次に小堀が作業している机へ向かう。

 原稿用紙の山に囲まれ、彼は集中してペンを走らせていた。近づくと絢葉たちに気づき、大げさにメガネを押し上げる。


「おおっ!何か御用ですかな?」


 絢葉が静かに切り出す。

「白石先輩について、聞かせてもらえますか」


「ほう白石氏!──彼女は髪を整えて眼鏡を外せば、間違いなく美少女!」

 小堀は勢いよく断言し、ドンと胸を叩いた。

「小生には分かりますぞ~!」


「そ、そうなんですか……」

 絢葉は小堀の勢いに押され苦笑いで返す。


「まぁそれは置いといて。貴殿らの本題はそこではありませんな?」

 小堀は咳払いをし、ペンをくるくる回しながら言葉を続けた。

「小生がここで原稿を描いていると、時々迷惑そうな視線を送ってこられることがあるのですな。特に図書室の利用に制限はないはずですが……彼女は漫画をあまり好ましく思っていないのかもしれません」

 机いっぱいに原稿用紙を広げているのが問題なのでは……と、思いつつも、絢葉は質問する。

「……雨の日に現れるという、窓の文字については?」

「ふむ、見たことはありますな」

 小堀はペンを置き、少し真剣な顔になる。

「ただ、どういう仕掛けなのか、小生にはさっぱり。幽霊の仕業かもしれませんが……まあ、創作のネタにはなるでしょうな!」


 そう言って、彼は描きかけのコマを嬉しそうに見せてきた。そこには、窓に浮かび上がる不気味な文字を背景にした少女のシーンが描かれていた。


「取材利用してんじゃねーよ」

 奏汰が思わず突っ込む。


「創作の源泉は日常にあり、ですぞ!」

 しかし小堀は誇らしげだった。


─────


 聞き込みを終え、絢葉は改めて内容を奏汰とまとめる。

「……白石の自作自演説も、ゼロじゃないのか」

 奏汰がぽつりと漏らす。


「そ、そんなことはないと……信じたいです」

 絢葉は慌てて首を振った。昨日、勇気を出して優雅部の扉を叩いた白石の姿が脳裏に浮かぶ。あの表情は、決して作り物ではなかったはずだ。


【今日はここまでにしよう】

 史桜への報告のメッセージからの返信によって、この日の調査は打ち切られた。


 絢葉は続けてスマホを操作し、佐伯にも調査内容を送信した。返ってきたのは、怒りが込もったような短い返信。

【白石はそんな事するやつじゃねぇ!!】


「えっ……」

 驚く絢葉の横で、奏汰が肩をすくめる。


「まぁ、アイツ裏表ないし。特定の誰かを除け者にしたりなんて絶対しない性格だしな。オレにだって、あんな明るい態度だったろ? なんとなく分かるだろ」


「……他人のために、こんなにしっかり怒れるなんて」

 絢葉は胸の奥でつぶやいた。

(佐伯先輩って……真っ直ぐな人なんだな)


 気づけば窓の外には夕日が傾き、図書室の中は静けさに包まれている。

 ページをめくる小さな音や、鉛筆の走るかすかな音だけが、広い空間に点々と漂っていた。

 窓には、昨日のような文字は一切浮かんでいない。ただ透明なガラスが、朱に染まる空を映している。


 ──それでも、絢葉の胸の奥にはざわめきが残っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る