ベテルギウスの蹉跌

ゆうじろう

第1話 1~3 ミュー大佐の簡潔な想念

1


 艦隊の華といえば巡洋戦艦だというのがミュー大佐の持論だった。体温、血流、モイスチャーを最適の状態に保った新調の肌着の感覚を楽しみながら、階級とオーラを周囲に微かに放つ軍服、その上に羽織った金と銀の流麗な将校用ローブ――それも艦長用に特別に仕立ててある別製――の端がひらひら靡く様子を彼は胸で感じていた。


 ブリッジの中心に誇らかに立っているのが彼で、その周りを「ハルナ」の主要なスタッフたちが取り巻いたり、この軽快でスマートな艦を制御するパネルや装置に手を伸ばし、必要な操作を加えたりしている。何名かのドロイド将校や当番兵たちもなにやら動き回って、与えられた仕事をてきぱきとこなしている。


 ミュー大佐はいつしかハートに熱気がこもっていたことに気付いて、少し深めに呼吸し、その熱を抜いた。そうして組んでいた腕をほどいて少々だらんとした感じで下におろした。

 手のひらがローブの下のベルトに付けている短剣に触れたのを、薄い織物の緩い起伏をとおしてふっと感じた。軍人としての矜持。古来からなぜ戦士は硬質で冷たい材質のものを好むのか。ブリッジをドーム状に覆う硝子ごしに戦隊各艦が体形を整えるのを眺めながら、ミュー大佐は兵学校時代の図書館の匂いを思い出していたのだった。




2


 メイプル、リンデンバウム、チェリーブラッサム……、……


 いったんバランスを失した生態系をもとの姿に回復させるのはほぼ不可能だ――とりわけ有限な存在者である人類のような生き物にとっては――かつてのそれに似たなにがしかが自然の気まぐれで手に入る僥倖を除けば。そもそも自然に正解などなくて、ただそのようにしてそこにあることがすべてなのだと、窓の向こうに雑多に並んでいる各種樹木を眺めながら、学び舎にある若いミュー候補生は思った。

 彼が学んだ兵学校にある図書館の窓には、昔の製法で成形された少しばかり歪みのある窓硝子が嵌められていた。だから外から差し込んでくる光は不思議に柔らかくて、窓外の様子は少々曲がって見えた。ほんとうはそんな形をしてはいないのだけれど、こちらから見るとぐにゃっと歪曲した窓外の景色を彼は愛した。手ざわりの良い胡桃の木でできた机に手のひらを置いて、頭の中の想念がとろけていくようなぬくもりを感じていた。


 地球本来の植生をほぼ無視したと言っていいほどに無造作に、手当たり次第に――その意味では軍隊式といっていい――植え込まれた樹木の連なりを目にするたびに、いつも彼は自然と人工の違いについて考えこんでしまうのだったが、その日は別のことを思っていたように思う。なにかなやみ事でもあったのだろうか……旗艦「リュッツォー」を先頭に、彼の座乗する二番艦「ハルナ」がその右斜め後ろに付き、三番艦「バジャー」、四番艦「ハルヒンゴール」が旗艦左舷後方斜めに展開していく様子を見つめながら、艦上の人ミュー大佐はその日の自分のことを心配していた。 その日彼が目を落としていた書物はマサダ攻防戦に関する著述だった。




3


 自分で“指定席”と勝手に決めている窓辺の席の景色とともに、書物の匂いもまた彼がここに足繁く通う理由になっていた。もう数百年以上も前に刷られた本だが、特殊なコーティングが出版時よりもはるかに後世の技術によってほどこされていて、手ざわりも匂いも抄紙された時そのままのコンディションで、外気に触れても朽ちることのなくなった紙で綴られた本が机に置かれていた。そこに書かれているあまりにも凄惨な結末に、候補生である彼は読んでいて息苦しくなり、気分を変えようと思って窓の外に目を向けたのだった。


 ……ハルナの少し上にベテルギウス派遣艦隊の打撃力の中核を形成する戦列艦の群れが一直線に伸びようとしていた。懐かしい「ネブラスカ」の勇姿がキャプテン・ミューの視界の隅に映った。艦齢はちょっとばかり古いが、直近のローテーションでドック入りしたときにジェネレーターを最新式に換装したと聞いた。前線哨戒中にハルナの多次元走査レーダーアレイの覆いがなんらかのエネルギー的な損傷を受けたため、一時的に作戦海域を離れて「ビブロス」拠点のドックに入ったおりに整備士がそのことを教えてくれた。

 ミューが所属する第四艦隊――第四艦隊基幹のベテルギウス派遣艦隊が特別陸戦隊を含む諸兵科混成群とともに編成されていた――の担当海域にいちばん近い拠点は「スカパフロー」か「ペナン」だったのだけれど、プロキオン周辺で生起した遭遇戦で損害を受けた何隻かが先客に入っていて“満室”だったため、ちょっと遠いビブロスに回されてしまったのだった。水兵のクチコミでは「スカパフローは飯はまずいが遊び場が充実してる!」となっており、ペナンについては「珍しい酒がいっぱい置いてある」のと、「とにかく波動がよくてリラックスできる!」ということで、部下は皆ペナンに行きたがっていたが、地味な根拠地のビブロスがあてがわれて残念なことだった。


 ビブロスに回航してハルナが入渠したドックから数隻離れたところにネブラスカの雄大な艦影が見えた。ミューは思わず笑顔になった。横にいた砲術長がそれに気づき、ニヤニヤしながら、

「艦長、訓練航海課程を再履修ですか?」

と軽口を叩いた。

 ミューは笑いながら「おう、一緒にやり直すか」と応じた。二人とも訓練生の頃にネブラスカに半年ほど勤務していた。「ヘルゴラント」級戦艦が就役しはじめるまでは海軍最強戦列艦のネームシップとしてあこがれの的になっていたネブラスカだが、ヘルゴラントに続いて戦訓改良型の「ダンケルク」「キーウ」らが次々と戦線に投入され、いつしか彼女は過去の艦になっていた。


(つづく)

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