九 ガレージ

九 ガレージ

 私たちは無名の裏通りに再びやって来た。翠色の空から注ぐ昼の光が、完全に人通りの無い、打ち捨てられた裏通りの埃っぽいアスファルトを照らしていた。初めてその風景を見たミスキーガールもベーコン太郎も、神妙な面持ちで剥落した雑居ビルの壁や錆びついた自転車を眺めていた。

 そこはかつて「ファイナルエリート総合チャンネル」だった場所。その証拠に、私たちの目の前にある雑居ビルのシャッターには、「ファイエリ芋砂お嬢様」のステッカーが貼られている。

「で、誰がここを開けるの?」

 ミスキーガールが顎でシャッターを指して言うのに、みんな首を傾げて立ち尽くすばかりだった。

「意外と開いてたりして」

 私は一歩踏み出してシャッターに触れてみた。すると、感触が無かった。そのことに驚いて手を引いたあと、もう一度シャッターに触れると、私の手は水面に手を入れたように「飲み込まれていた」。そのまま前進すると、私はシャッターをすり抜けて、雑居ビルの中に入っていったのだった。

 ビルの内部にあったものを目の前にして、わたしは納得の入り混じった衝撃を受けていた。ガレージの中に据えられた巨大な水槽に、たまぼごーろの身体がたくさんのカテーテルにつながれて浮かんでいる。虚ろな目を開いて、おそらく頭の中には脳は無い。水槽のなかを照らす照明が唯一の明かりで、ガレージは薄暗い。

 振り向くと、私と同様にシャッターをすり抜けて、ミスキーガールたちも中に入って来た。

「たまぼごーろさん!」

 水槽を見つけて即座に駆けだしたのはベーコン太郎だった。ベーコン太郎は水槽のガラスに縋りついて、涙を流しはじめる。私たちはそれを見守りながらも、ここに出て来るべき人を待っていた。

「よくこちらがお分かりになりましたわね」

 彼女はゆっくりとした足取りで私たちの前に姿を現した。銀髪のゴスロリ少女はベーコン太郎が泣きつく水槽を背に、私たちに向かってスカートの裾をつまんでお辞儀をする。しかしその姿は私が以前出会ったものとは少し違った。彼女の肩にはスナイパーライフルが背負われていたのだった。リーとロンはおもむろに腰のホルスターに手をかける。

「君が『ファイエリ芋砂お嬢様』だったわけだ」

 私が目の前の芋砂お嬢様にスマートフォンのカメラアプリをかざすと、現象ちゃんが検索した乱数の名前のアカウントと一致していた。

「バレてしまっては仕方がございませんわね。わたくしが芋砂お嬢様でしてよ」

 寂しそうな表情の芋砂お嬢様に、私はスマホを仕舞いながら言う。

「こうして、犯人が特定できてしまった限りは、君を通報して正式にモデレーションしてもらうことができるわけだけど」

「でしょうね。でもどうしてわたくしの消したはずの最初のノートが検索できたのかしら」

「Fediverseでの投稿は他のサーバーとの『連合』を切っておかないと、他のサーバーにもデータが配送されるから、たとえ自分の居るサーバーでのノートを消しても、他のサーバーにデータが残ってしまうんだよ」

 そう告げると、芋砂お嬢様は下唇を噛みながら言う。

「不覚でしたわね。もう逃げも隠れもいたしませんわ。好きになさって」

「そうさせてもらおう。でもその前に、いろいろ訊いてもいいかな」

「どうそ。もう隠し立てすることもございませんわ」

 芋砂お嬢様の言葉を受けて、私はシャッターのほうを指さして訊く。

「この裏通りは『ファイナルエリート総合チャンネル』だったんだね」

「そう。こちらのチャンネルを建てた時のアカウントを消す前に、チャンネルの概要情報は管理者として全部消しましてよ。ですから今のアカウントは作り直し。それでもバレてしまうのだから、Fediverseは恐ろしい場所ですわね」

「どうしてたまぼごーろさんの身体を奪おうなんて思ったんだい」

 その問いに、芋砂お嬢様は遠い眼をして言う。

「あの方ね、わたくしのファンアートを最初に描いてくださった方なの」

「それはX-Twitterでの話?」

 ミスキーガールが訊くのに、芋砂お嬢様は深くうなずく。

「そう。昔の話。でも、ファイナルエリートがサービス終了になってしまったあと、あの方、TwitterからMisskey.ioにお移りになったの」

「それは、二〇二三年の春ごろの話かい?」

 私の問いにも、芋砂お嬢様は深く深く頷く。

「そうね、それぐらいだったかしら」

 すると、芋砂お嬢様は振り向いて、水槽に泣き崩れて座り込んでいるいるベーコン太郎の肩に手を置いて、たまぼごーろの脳のない体を見上げながら、言った。

「わたくし、とても悔しかったの。Twitterでオリジナルキャラクターとしてお嬢様なりきり垢を運営しはじめて、少しずつフォロワーも増えて、そのときにファンアートを描いてくださった方だったから、その方がTwitterも、ファイナルエリートも見捨てて、まるで何もなかったかのようにMisskey.ioで楽しそうに過ごしているのが、耐えられませんでしたの」

「それでMisskey.ioでも芋砂お嬢様のアカウントを登録した」

「そういうこと。でも全然でしたわ。サ終しているゲームをネタにしたお嬢様垢なんてどなた様も見向きもしませんでしたから。だからわたくし、たまぼごーろさんのアカウント、こちらからフォローいたしましたの」

「フォロワー解除されたのかい」

「フォロ解のあと、もうサ終したゲームの界隈とは縁を切りたいって、匂わせエアリプされてましたわ、あの方。わたくし、それが許せなくて。ですから、お嬢様垢を消して、あたらしくこの乱数のアカウントを建てて、あの方を襲いましたのよ」

 ベーコン太郎の肩に乗せている芋砂お嬢様の手が、震えているのが分かった。私が黙っていると、ミスキーガールがお嬢様に訊いた。

「お気持ち察するに余りあるけれど、それでも、彼に恨みをぶつける方法として、生体サーバーと体とに分けてしまうのは、どうしても腑に落ちないんだけれど」

「わたくしの理想のあの方を、わたくし自身で新しく作り直そうと思いましたのよ」

 そう言って芋砂お嬢様は、水槽の横にあったデスクに被さっていたシートを除けた。デスクの上のPCモニターには、有名な生成AIのアプリのロゴがぎらぎらと輝いていた。

「あの方のTwitter垢はまだご存命でしたから、ツイートからデータを吸い上げてわたくしの理想の『たまぼごーろ様』の脳を作り上げて、移植しなおそうと思いましたの」

「うまくいきそうだったの?」

 ミスキーガールの問いに、芋砂お嬢様は首を振って、瞳から一筋、涙をこぼした。

「うまくいくならこんな風になってはございませんわ」

 芋砂お嬢様はスナイパーライフルを降ろしてデスクに立て掛けた。リーとロンはホルスターに掛けていた手を降ろし、ベーコン太郎も泣き尽くして立ち上がる。ミスキーガールは黙って、そっと芋砂お嬢様の肩を抱いた。

「さて、そろそろにしようと思うけれど」

 私はスマートフォンを取り出し、乱数のアカウントのプロフィール画面から、通報のボタンに指をかける。

「お好きになさいまし」

 ミスキーガールの腕の中で、芋砂お嬢様はガレージの床に、ぽたり、と涙をこぼした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る