第12話「ケモ耳奴隷少女との出会い」

 奴隷商のローブには、赤いフードを被ったオオカミの紋章が刻まれている。

 あれは、エルタニン王国の裏を仕切る二大組織の一つ、ロッソファミリーの紋章だ。


 ロッソの方は、野蛮で無秩序、構成員の多さから統制が取れておらず品がないと評されており、原作ストーリーで絡むときも、大体が敵役だった。


「――ホントにわかってんのか? こんな不良品寄越しやがって。なんで獣人族がまともに力仕事一つできねぇんだよ。あァ? 返金なんて当たり前だろッ」


 鷲鼻の男が奴隷商に向かって一方的に怒鳴りつけている。

 奴隷商は小さく縮こまり、ぺこぺこと頭を下げており、奴隷の少女はひどく怯えていた。


 どうやら、以前この商人から奴隷を買った鷲鼻の男が、商品に対してクレームを付けている現場のようだ。


 奴隷が役立たずだった、こんなどんくさいヤツ銀貨一枚の価値もないと商人を責め立て、ついには、その矛先は奴隷の少女にも向かっていった。


「クソ、バカにするのも大概にしろよ、魔族崩れのカスがッ!」


 鷲鼻の男が奴隷の少女を激しく蹴りつける。鼻血を出した少女は怯え切った顔で俯いてしまう。鷲鼻の男はまた少女を蹴るが、少女は「うっ、くっ」と呻き声を漏らしながらも、耐えていた。


 少女はひどい有様だった。服より布と呼んだ方が適切な装いで、体もしばらく洗っていないようで汚らしい。


 人族は、普人種ヒューマン緑精種エルフ土精種ドワーフ、獣人族の四種族からなるが、その中でも、獣人族の扱いは少し特殊だ。


 猫人種ウェアキャット狼人種ライカンスロープ兎人種ヘアピープル犬人種クーシーなどの種族を合わせて、獣人族という括りにしている。


 獣のような耳や尻尾が特徴的で、一部の地域では魔族に似ているという言い掛かりにも近い理由で差別を受けている。


 その風潮も今ではかなり風化してきたが、エルタニン王国では獣人族差別が日常的に行われていた。

 この国で奴隷と言えば、獣人族のことだ。


「待てよ……彼女は妖狐種ルナールか」


 非常に珍しい種族だ。

 王都からは遠い極東の地に住む獣人族で、他の獣人族とは決定的に異なる特徴を持っている。


 話ぶりから察するに、鷲鼻の男はどうやら、その事実を知らないらしい。


「おいおい、話通じねえな。返金するってだけじゃ納得できねえって言ってんだ」

「えっと、何がお望みでしょうか……」

「お前んとこの上等な奴隷を上から三つ寄越せ。それで手打ちにしてやる」


 鷲鼻の男は下卑た笑みを浮かべ、強気に吹っかける。

 それが無茶な要求であることは、ベリウスにもわかる。

 あの奴隷商がどれほどのものかは知らないが、奴隷と言っても上から下まで様々で、屋敷が建つほど高級な個体というのも存在するのだ。


 奴隷商の男は苦い表情を浮かべ、なんとか場を切り抜けようと言葉を探している。


「……ものの価値のわからぬ、ぼんくら共め」


 一連の流れを見て、ベリウスはそう吐き捨てた。

 鷲鼻の男も、奴隷商もバカばかりだ。

 ならば仕方がない、自分が有効活用してやる他ないじゃないか――そう思い、ニヤリと口角を上げたのだった。


    ◇


 妖狐種の少女――シグレは王都アルティバからは遠く離れた、とある山奥の村で暮らしていた。


 父と母と三人家族。決して裕福ではなかったが、村は皆仲が良く助け合って生活を送っていた。それでも食べ物に困ることもあった。


 母はよく神様について話をしていた。


「いい子に過ごしていたら神様が迎えに来てくれるからね。神様に尽くし身を捧げるのよ。そうすれば幸せになれるから」

「神様……?」

「毎日祈りなさい。そうしたら、きっと救ってくれるわ」


 しかし、現れたのはもっと悪魔みたいなヤツらだった。


 奴隷狩りに遭ったのだ。

 必死の抵抗をしたが大所帯で攻め込まれ、抗うことができなかった。


 大人は殺され、シグレを含め子供はほぼ全員奴隷商に捕まった。

 殺された大人の中に父と母もいた。

 シグレは一夜にして全てを失った。


 与えられたのは、ただ命を繋ぐための最低限の食事と、血と泥に塗れた劣悪な寝床。

 病気になって捨てられる奴隷もいたし、奴隷商の気分で痛めつけられることもあった。そういう時は、痕が気にならないように、お腹をよく殴られた。


 最初こそ、いつか抜け出してやる、復讐してやると憤怒の念が滾っていたものだが、それもいつしかなくなっていた。


 明確なきっかけがあった。

 一人の奴隷が奴隷商の目を盗んで逃げ出したのだ。


 そして、あっさりと捕まった。

 当たり前だ。奴隷契約を結んだ奴隷がどこにいるかなど、主人からは一目瞭然なのだから。


「次逃げようとしたらどうなるか。この一匹を使って、テメエらのすかすかの脳みそで覚えていられるように叩き込んでやる必要があるなァ」


 奴隷商が逃げ出した奴隷を引き摺ってやってくる。


 それから地獄が始まった。

 奴隷商は、奴隷たちの目の前でできるだけ凄惨に映るように、その奴隷を痛めつけた。

 爪をはがし、指を捩じり、目玉を刳り抜いて、熱した剣の腹で皮膚を焼いた。

 痛みに絶叫する少女と、息を呑む他の奴隷たち。それらを見て、奴隷商の男は「よく見てろよ」と言いながら、意気揚々と少女の拷問を続ける。


「痛い、痛い、嫌だ……熱い、暗い、何も見えない。怖い、助けて、助けてッッ!」


 奴隷商の目論見通り、奴隷には強い恐怖が刻まれた。

 次は自分の番かもしれない。逃げだしたら……いや、少し機嫌を損ねただけで、同じような目に遭うかもしれない。反抗する気力を根こそぎ奪われてしまった。


 それは、シグレも同じだった。


「神様、神様……尊き神様、どうかシグレをお救いください」


 シグレは恐怖の中、神に祈るしかできなかった。

 しばらくすると、奴隷はそれぞれ別の奴隷商に引き渡された。

 シグレはその時に他の妖狐種とは散り散りになり、今の奴隷商――ロッソファミリーの男に引き渡された。


「いいご主人様が買ってくれるといいね。ご飯をたくさん食べさせてくれるような」


 そのとき、一緒になった同じく奴隷の少女とそんな話をした。


 一言で奴隷と言っても、その扱いは主人によって大きく差があるらしい。

 素敵な洋服を着せてくれて、お腹いっぱいのご飯を恵んでくれるような素敵なご主人様もいるとかいないとか。


 そう聞くと、少しだけ希望が持てたような気がした。少なくとも、今の環境よりは百倍マシになるだろうと思った。


 しかし、どれだけ時間が経っても、シグレは買われなかった。


「……ああ、神様。シグレは悪い子なのでしょうか」


 周りの奴隷たちが次々と買い取られていく中、シグレは残り続けた。

 原因は明白で。


「はあ? 獣人族のくせに、この程度の物も持ち上げられないのかよ」

「こんなの買っても意味ねえよ。他のヤツ見せてくれ」

「これ不良品だろ。本当に獣人族か?」

「ありえねえ、非力すぎだろ」


 他の種族に比べて身体能力が優れた獣人族を奴隷として買おうとするのは、主に戦闘や力仕事のためであるが、シグレはそれが他の獣人族に比べて非常に劣っていた。


 次第に奴隷商の男からも強く痛めつけられるようになった。


「クソ、この役立たずがよ。珍しい種族だから売れるって話だったのに、とんだゴミじゃねえか。使えねえ、ゴミカスが!」


 痛い。やめて。ごめんなさい。許してください――そんなシグレの叫びが聞き届けられることはなかった。


 なんとか買い手が見つかり、奴隷商は喜び、シグレ自身もやっとこの生活から解放されると安堵した。


 しかし、どうも彼はシグレの性能を偽られて買ってしまったようで、「使えねえ……」と吐き捨て返品を決めた。


 そして、不良品シグレを買った男が奴隷商に対して返品と、それ以上の対応を求めて吹っかけているのが今というわけだ。


 奴隷商の男の鋭い視線がシグレに刺さる。

 お前のせいで、そんな呪詛にも似た思いが伝わってくる。

 同時に、一度は自分を買った元主人もゴミを見るような目で蔑んでくる。


 もう全てに期待が持てない。

 全てがどうでもよかった。どうして、こんな目に、いや、自分が全く役に立たない無能だからいけないのか――そう自己嫌悪に陥りかけた瞬間、元主人だった鷲鼻の男の首が飛んだ。

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