シャングリラ

九浄新

第1話 つまらない日常

 『シャングリラ』とは、一般的に理想郷や桃源郷を意味する。

 僕、高橋修が出逢った兄弟バンド『シャングリラ』はまさしく僕にとっての理想郷だった。

 だからなのか、『シャングリラ』に出逢う前の僕は、何をしてもつまらないと感じるしょーもない人間だった。


 毎日がつまらない。


 僕は、「今日地球は滅びます」と言われても、「ああ、はい。そうなんですか、さようなら」で人生を終わらせてしまう人間だった。


 なんでつまらないのか。

 わからない。

 ただ、毎日が、つまらない。


 根暗な割には友人にも恵まれているし、家族だって変に過保護とか過干渉とかでもないし、逆に厳格すぎたりもしない。

 両親は共に健在で、一人っ子だけど、ゴールデンレトリーバーの可愛い愛犬と兄弟のように暮らしているし、音楽系の大学に通う従姉とも程ほどに仲がいい。


「つまりは平和ボケですね」


 友人の一人、清瀬は目を細めて馬鹿にしたような笑い方で、はん、と鼻を鳴らし言った。

 清瀬、というのはファーストネームで、フルネームを佐藤清瀬と言い、元は関西出身で高校入学と同時に親の転勤で上京してきたクチだが、関西訛りはあまりなく———たまにイントネーションはおかしいが———いつも誰にでも敬語で話すキャラクターだ。

 一学年下に妹の水瀬ちゃんがいるが、結構真逆の破天荒キャラである。


 まあ、清瀬は要所要所で人を馬鹿にしている節はある。


「平和ボケ……」


「修くんにもなにか刺激があれば、人生楽しくなるかもしれませんね」


「刺激ねぇ……」


 僕はリプトンのレモンティーをちゅーっと吸った。

 清瀬が言う『刺激』が全然見当もつかない。

 というか、その『刺激』で、僕は本当に変われるのだろうか?


 高校三年の春なのに、イマイチ進路も決まっていない。

 大学で勉強したい分野もないし、テキトーに面接を受けてテキトーに採用された企業で消費されるのが関の山だ。


 多分、僕は一生『つまらない人生』を歩んでいく。

 きっとそうだ、とその時は疑わなかった。




 つまらない日常を終えて自宅に帰ると、従姉の千夜さんがキッチンで僕の母の手伝いをしていた。


 僕と千夜さんの家は割と近くにあり、父の実家で千夜さんは僕たちの祖父母と叔父さん叔母さんと五人で住んでいる。

 親戚仲は悪くない。


「おかえり、修」


「おかえり~」


「ただいま」


 僕は母と従姉に挨拶をして、足元でじゃれ付いてくる愛犬、マシュマロ(オス)を撫でた。

 マシュマロは嬉しかったのか、わふん!と鳴く。


 千夜さんは大学やバイトやましてや音楽系の仕事もあるのにこんなとこでうちの母の手伝いなんかしてていいんだろうか?


「千夜ちゃん、あんたに用だって」


「え?僕?」


 千夜さんはシンクにかけてあったタオルで手の水滴を拭いてから、しゃがんでマシュマロを愛でてた僕の方に歩み寄ってくる。

 従姉弟仲は悪くないけど、最近の千夜さんはなんか近寄りだいんだよな……。

 千夜さんは最近漆黒のロングヘア―の所々に金メッシュを入れ、薄化粧でも陰影の分かる顔立ちで、ぱっちり二重の大きな瞳に影を作るまつ毛はマスカラなんかなくてもばっさばさだし、鼻は程よく高くて整っていて、唇は何かを薄く塗っているのか淡いピンクでぷるぷるつやつや。

 この絶世の美女を射止めたのは、どんな男だろう。

 別に千夜さんに恋愛感情があるのか、と言われたら、否、だけど。


 たぶん、ただ、嫉妬してるんだ、僕。

 人生楽しそうでいいな、って。

 僕は、人生楽しそうな従姉に引け目を感じている。


「修、今週の土曜日暇?」


「え?ああ、暇だけど……」


「よかった!じゃあ、私とライブ行かない?」


「ライブ?」


 千夜さんの話では、どうやら彼氏が所属しているスリーピースバンドが近くのライブハウスで対バンライブをするらしい。

 対バンライブとは、一つのライブイベントに複数のバンドやアーティストが出て、順番に演奏する形式のライブだ。


 僕が最近つまらなそうにしていると僕の母から聞いて、それならライブで楽しもう!!という魂胆だ。


 母め、余計なことを。


 まあ、実際つまらない人生だなって思ってた。

 でも、たかだがライブに行ったくらいで。


 そう思ってた。


 天音のドラム演奏を、聞くまでは———……。


—第一話 了—

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