第32話

 というわけで。何がというわけでなのかよく分からないが、とにかくスロウの修業相手として土属性の頂点を呼ぶという無茶苦茶がまかり通ってしまった。

 この間出会った常に笑顔の眼鏡の男が、じゃあ今日はよろしくお願いしますねと俺達の前に立っている。


「えっと、迷宮の管理者」

「なんだい?」

「本当に良かったのか? 俺としては普通に断られると思っていたし、そもそも頂点をそんなことで気軽に呼ぶなと怒られることも割と覚悟していたんだけど」

「ああ、そんなことですか。僕はまあ、自分が属性の頂点であり超越者であるという自覚は持っていますが、割と気さくに接しようとも思っているんです。だから頼まれごとには結構気軽に返事をしてしまうんだよ」

「だとしても、限度がないか?」

「勿論ある。君達の修業の協力はそこに該当しないというだけさ。将来有望な冒険者、そのレベルアップの手伝いをするくらい二つ返事で了承するよ」


 変わらず笑顔を貼り付けたまま迷宮の管理者はそんなことを述べる。だから心配いらない、そう続け、そして安心して欲しいと締めた。


「大事な仲間を痛めつけるような真似はしない」

「そこは別に……修業だしいっそボコボコにしてやってもいいと思ってるけど」

「おや? 本当かい?」


 笑顔のままそう問われ、俺は思わず視線を逸らす。それを見てはははと満足そうな笑い声を上げた迷宮の管理者は、では始めようかとスロウに話しかけていた。


「はい、よろしくお願いします。エミルより強くなります」

「その意気は立派ですけど」


 笑みを浮かべたまま、迷宮の管理者は一歩踏み出す。へ、と不意を突かれたスロウに向かい、デコピンを一発叩き込んだ。


「彼は強いよ。まあそれは君が一番分かっているだろうけれど。だから安易にそんなことを言ったところで、到底無理な目標を掲げているに過ぎなくなる。出来るところまでは協力するが、出来ないことまで手助けするほど僕はお人好しじゃない。魔物だから、人じゃないけれどね」


 それでも十分お人好しである、人じゃないけど。そんなことを思いながら、なあセフィと今日は見学組になった彼女の名を呼んだ。


「どうされました?」

「いや、実際のところ迷宮の管理者って、どんな強さなんだ?」


 属性の頂点なのだから強いに決まっているのは分かるが、どういう感じの強さなのかをいまいち知らないまま修業を頼んでしまったことに今更ながら気付いたのだ。まあ少なくともチンピラや野盗相手に追い込み漁が出来ることと、オルトロスゴーレムを使役だか生成だかが出来ることは知っているが。思い返してみたが、強さとしてはこれでも十分だな。


「そうですわね。純粋な力という点では、月の大聖女様の方が上かもしれません。策謀の点では、傀儡人形様に劣るかもしれません」


 まあそれはそうだろうとも思う。それはそれとして月の大聖女やっぱり脳筋極まってるじゃねぇかよ。


「まあですが、私達からすれば微々たる差です。そしてそのお二方よりも優れている点として」

「かったーい!?」

「そりゃそうですよ」


 激突音とスロウの悲鳴。そしてあははと笑う迷宮の管理者。何だ何だと視線を戻すと、スロウが攻撃したらしい右腕を擦っているところであった。攻撃した方がダメージ食らうって、まるでスロウの支援をガッツリ掛けた時みたいな。


「迷宮の管理者様は、支援、とりわけ防御に長けています。スロウさんが徒手空拳、体術で戦うならばこれ以上無いお手本かと」


 成程な。昨日体術の基礎を教えていたものの、セフィ自体のメインウェポンは月の大聖女戦でも使っていたレイピアだ。レイピアってレベルの頑丈さじゃないのはまあ置いておいて。

 ともあれ、そういう意味では完全なるお手本となる相手がいるのは確かに望ましい。


「さて、これくらい硬い相手では拳はただ痛めるだけ。となると最適解は」

「きーっく!」

「ですが、蹴りはその分バランスが悪い」

「わっとと」


 こんにゃろ、と放ったスロウの蹴りを体をずらすことで躱した迷宮の管理者は、そのままあいつの軸足を払った。すぱん、と気持ちいいくらいの音を立ててスロウがすっ転ぶ。


「なので、こういう時は拳を使わず、掌を使うのがいいでしょう」


 こんな風に、と立ち上がったスロウに掌底を一発。軽く放ったように見えたそれは、スロウが目を見開き、そして膝から崩れ落ちたことで相当な威力を持っていたことが伺わせた。


「いいの? スロウ倒れたわよ」

「いや、修業だし……心配ではあるけど」


 アリアが茶々を入れてくるが、そこで何やってると言い出すほど空気の読めない馬鹿ではない。心配は心配だが、お手本となりうるとまでセフィが言うんだから、まあここは素直に黙って見ているのが正しいだろう。

 うげぇ、とげんなりした顔でスロウが立ち上がる。掌底を食らった箇所を擦りながら、なんだか変な感じがしますとぼやいていた。


「この掌底は貫通攻撃だからね。壁を壊さず、内部を破壊する。そういった類の特殊体術だ。聖女も意外とこれを好む者がそれなりにいる」

「聖女って実はバーサーカーか何かだったのか?」


 ちらりとセフィを見る。というか、そもそも彼女が元見習い聖女っていうのも今更ながら怪しくなってきた。自称見習いだったりしないか? まあ成って日が浅いという意味で見習いを名乗っていたのなら分からないでもないし、自称なのは当然と言えば当然になるが。

 そんな俺の視線に気付いたのだろう。セフィが微笑みながら何か? と尋ねてきた。いえ、何でもないです。そう答えるしか無かった。


「バーサーカー云々言っておいて何でも無いはもう通じないわよ」

「ぐぅ……」

「ふふっ。まあ実際、聖女というものは支援や回復に長けた能力を持った役職ですが、同時に己を守る術も身に付けなければならないという部分もあります。そしてそこが聖女を狭き門としている由縁です。ですので、本来はスロウさんのようなタイプの方が珍しいのですよ」


 それでも尚聖女足り得ると判断したので推薦したのですが。そうセフィは続ける。

 確かにまあスロウの場合、支援と回復全部覚えているから、その一環として《リザレクション》でセフィを復活させたから。そんな感じで推薦を受けた特別枠だ。経緯も能力も普通とは違う、ついでに種族なんか普通とかけ離れている。そういうやつだ。


「ですので、エミルさんの仰るようなバーサーカーになるのが本来の聖女なのです。お分かりになられましたでしょうか?」

「分かった! 分かりました! ごめんなさい!」


 微笑みながら圧を掛けてくるセフィに俺は平謝りすることしか出来なかった。だって怖いもの。







 修業の見学に戻る。スロウの動きは段々と無駄がなくなっていき、きちんと相手の攻撃を避けながら自身の攻撃を当てるようなものへと変化していった。前衛を張れるか、と言われれば少し疑問ではあるが、でもまあ役に立たないということはなくなってきている。

 そもそも支援と回復の時点で常に役立っている、というかスロウはパーティーの要なのだが。


「ふむ」


 一度休憩を挟む。そうしながら、迷宮の管理者は何かを考えるように顎に手を当てた。表情は相変わらず笑みである。そういや一切表情が変わらないな。

 そんな俺の視線に気付いたのか、迷宮の管理者はこちらに向かって声を掛けてきた。


「僕の表情がやっぱり気になるかい?」

「あー。まあ、そりゃ、気にならないって言ったら嘘になるな」

「正直だね。まあでもそんな大したことじゃないですよ。他の表情パーツを使うのが手間なんで、これをずっと使っているだけだからね」

「表情パーツ?」

「あれ? 言ってなかったかい? 僕の種族はゴーレムだ」


 人に似せた姿に形を変えているだけで、基本的にそのまま。だから顔の部分も表情パーツを使っているらしく、そしてそれがデフォルトの笑顔に繋がっているのだとか。

 しかし、ゴーレムの強さがピンキリってのは聞いていたが、まさか上が頂点だとは。


「このロングコートも、ズボンも、できるだけ肌を見せないためさ。そういう意味では君達の擬態は素晴らしいね。どんな姿にでも対応出来るなんて」


 スロウだけでなく、アリアとシトリーも見ながら迷宮の管理者はそんなことを言う。スロウは規格外ってのはよく聞くけど、アリアとシトリーも何だかんだ凄いのか。


「スロウちゃんは別次元だから置いておいて……ワタシとアリアちゃんも、ちょっとは自信あるよぉ……」

「あたしは下半身端折ってるけれど、まあ、やろうと思えば出来るもの」

「え? そうなのか?」

「そうよ。よ、っと」


 ゴキンゴキン、と何かが変形するような音を立ててスカートの中がモゾモゾと動く。そうした後、ほら見なさい、とアリアがスカートをたくし上げた。ヒールとガーターストッキングが俺の目に飛び込んでくる。

 いや上げすぎだろ、見える、パンツ見える。思わず視線を逸らしたことで気付いたのか、あ、とアリアが慌ててスカートを戻すのが横目で見えた。


「……見た?」

「見てない」

「……まあ、今のはあたしが悪いし、見てたとしても不可抗力よね」


 ここでそうだなっていうのは違うと俺でも分かる。無言を貫くと、まあいいわ、とアリアは再び下半身をいつもの下腹部に戻したらしい。ごきり、と音が聞こえてきたので間違いないだろう。


「確認する?」

「しない」

「じゃあわたしのスカートの中なら見放題ですよ!」

「似たような流れこないだやったな」


 スカートを捲りあげようとしながら突っ込んでくるスロウを止めて、修業をやれと押し戻す。見たくないんですか、と文句を言ってくるスロウのそれは聞かなかったことにした。


「実際どうなの? 見たくないの?」

「ひょっとして……見慣れてるのぉ……?」

「そういうんじゃないから。あと、シトリーは後で説教な」


 答えになってない誤魔化し方しやがってとばかりにこちらをジト目で見るアリアを見ないようにしながら、俺はセフィに助けを求めるように視線を動かす。微笑みで躱され、ああこういう時味方はいないんだと諦めた。

 まあもうそれはいい。ところで修業は順調なんだろうか。休憩を終えて再び組手をしているスロウを見ながら、俺はそんなことを思う。

 が、そこで俺はふと気付いた。


「あ、スロウ。……ちょっと待った!」


 迷宮の管理者がその言葉で動きを止める。どうしました、と俺に尋ねてきたので、ちょっとスロウに用事が、と伝えた。


「どーしたんですかエミル」

「お前、擬態ちょっと解け掛けてるだろ」

「え? あー……言われてみれば?」


 支援魔法とかは別に状態の問題ではないので大丈夫だが、現在聖女の体術を学ぶ際に芋虫状態はよろしくない。というかその場合は戦える芋虫を目指す方向に修業を変える必要がある。

 そんなような話をしている時。スロウが、あ、そうか、と何かに気付いたように声を上げた。そうしながら、ちょっと待ってくださいと迷宮の管理者に述べ、そのままグニグニと芋虫状態に戻っていく。


「どうした?」

「ちょっと試したいことがあるんですけど、そのまえにエミル分を補給していーですか?」

「エミル分ってなんだよ……いやまあいいけど」

「やった」


 がばりと俺に覆い被さる芋虫。多足でわしゃわしゃと俺の腹を撫で、すりすりと顔に頬ずりをする。何だか知らんが必要らしいので、俺はそのままスロウが抱き着いてくるのをされるがままにした。ついでだから背中を撫でる。相変わらず芋虫のブニブニとした感触がした。


「よーし、エミル分補給しました」

「そりゃ良かったな。んで、何か思い付いたのか」

「はい。よくよく考えればわたしミミックロウラーでした」


 何言ってんだこいつ。そんなことを思ったが、どうやらこいつは本気らしい。何だか分からんが、とにかくミミックロウラーだと何かいいことがあるらしい。

 再び人型に擬態したスロウは、迷宮の管理者にお待たせしましたと頭を下げる。そうしながら、ちょっと試したいので思い切り行きますねと宣言した。


「了解。じゃあ僕はそれを防ぐように動こうかな」


 そう言いながら迷宮の管理者が一足飛びに距離を詰める。向こうの拳をよく見て躱し、そして追撃も横っ飛びで躱したスロウは、そこで口角を上げた。

 ん? と迷宮の管理者が声を上げたが、しかし何かに気付いて視線をスロウから自身の腕に動かす。糸が絡みついて動かしにくくなっているその右腕を。


「これ……ぅわっ」


 それに笑みを浮かべた表情のまま目を見開いた迷宮の管理者の顔に、今度は大量の糸がぶつけられる。糸の出し主は勿論スロウだ。思い切り吐き出したその糸は、迷宮の管理者の視界を完全に奪っていた。


「わたしは人じゃないですから。こーいうやり方も、全然ありですよね!」


 その隙をついて、迷宮の管理者の土手っ腹に掌底を叩き込む。体が浮いた迷宮の管理者は、そのまま吹き飛んでゴロゴロと転がった。


「どーですか!」

「ははははっ、うん、面白い。いいね」


 よ、とスロウの攻撃を食らっても堪えた様子もなく立ち上がった迷宮の管理者は、いやまいったまいったと頭を掻く。そうしながら、笑い、合格だと言葉を続けた。


「成程、確かに君はミミックロウラー、戦闘にそれを使うのは理にかなっている。いやぁ、やっぱり君達と関わると楽しいものが見られるね」


 そう言って笑う迷宮の管理者は、表情パーツが笑顔だからというわけではなく、心の底から笑っているように見えて。

 まあ、そういうわけで。スロウは新しく体術を覚えた。まあ前線で戦うかは別問題だけどな。


「どーしてですか?」

「お前が大事な支援役だからだよ」

「そうね、そこはまあ同意よ」

「基本的な前衛は……ワタシとエミルくんでやるよぉ……」


 とはいえ、選択肢が増えたことはいいことだ。そういう意味では、このパーティーはレベルアップした、でいいだろう。


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