第41話

 王宮の扉が重く閉ざされると、夜の冷気が頬を打った。

 正門前にはすでに馬車が待っており、御者台には二人の兵士、両脇には槍を持つ騎士が控えていた。

 松明の炎が鎧を照らし、金属の縁が鈍く輝いている。


 外務卿が軽く手を上げると、兵たちは一斉に姿勢を正した。

 「こちらへ」

 促されるまま、颯真は馬車に乗り込む。

 革張りの座席に身を沈めると、外務卿が向かいに腰を下ろした。


 ポット「先生、馬車というのはずいぶん遅いですね。歩くよりは速いですが」


 颯真はわずかに眉を寄せたが、何も言わず窓越しに夜の石畳を見つめた。


 車輪が石畳を踏み、馬蹄が夜の街に乾いた音を響かせる。

 王都の灯火は規則正しく並び、衛兵の影が巡回のたびに横切っていった。

 窓越しに眺める景色は静まり返り、先ほどまでの王宮の喧騒が遠い幻のようだった。


 「異界の方に、この街はどう映りますか」

 外務卿が問いかける。


 「……秩序がよく保たれていると感じます。灯りも均一で、巡回も怠りない。人々が安心して暮らしている証でしょう」


 「観察眼がおありだ」

 外務卿は短く答え、それ以上は言葉を継がなかった。

 馬車の中には、馬と車輪の音だけが一定の調子で流れていた。


 やがて馬車は大きな門に差しかかる。

 鉄製の扉が左右にゆっくりと開き、松明の灯が奥まで連なっているのが見えた。

 砂利道ではなく、白く磨かれた石畳が奥の建物までまっすぐに伸びている。


 馬車はそのまま門を抜け、玄関前のポートコーチ(車寄せ)へ進んだ。

 夜風がわずかに流れ込み、ポットが小声でささやく。


 ポット「門から玄関まで直通です。迎賓仕様でしょうか。造りが優雅です」


 颯真は軽く目を細め、応える代わりに視線だけを外に送った。


 広い前庭には、灯を散らした小径と噴水が見える。

 玄関ポーチは白い大理石で縁取られ、四本の太い円柱が二階まで伸びていた。

 天井には金の装飾がほどこされ、控えめなランタンが温かな光を落としている。

 屋敷全体が夜の闇に淡く浮かび上がり、石壁の間を風がさらりと抜けた。


 馬車が静かに止まると、両側の兵が同時に足並みを揃えて敬礼した。

 外務卿が扉を押し開ける。

 「私の屋敷です。今夜からはこちらに滞在していただきます」


 颯真はマントを整え、外務卿の後について降り立った。

 大理石の階段を上がると、玄関ホールがゆっくりと視界に広がった。


 内側は外観よりもさらに静謐だった。

 床は濃い灰色の大理石、壁は白を基調に金の細い縁取りが走り、左右には長い廊下が伸びている。

 壁面には古い油絵がいくつもかけられ、燭台の灯りが淡く揺れていた。


 ポット「先生、内部の湿度は理想値に近いです。絵画の保存状態が非常に良好。管理が行き届いています」


 颯真はわずかに顔をしかめ、ポットを制するように小さく息を吐いた。


 応接間に通されると、銀の盆に載せられた茶器が運ばれてきた。

 琥珀色の茶から立ちのぼる香りは、甘さと土の匂いを含んで心を落ち着ける。


 外務卿は胸に手を当てて礼を示した。

 「私は外務卿を務めております。カイエル・フォン・ルーメルと申します」


 颯真も深く頭を下げた。

 「神谷颯真と申します。学者とでも呼んでいただければ」


 二人は茶を口にし、短い沈黙を挟んだ。


 そのとき、カイエルの瞳がわずかに光を帯びた。

 指先が微かに動き、魔法の気配が走る。

 鑑定魔法――。


 同時に、颯真の視界に光の板が展開された。

 まるで跳ね返された鏡のように、自身の鑑定魔法が勝手に発動したのだ。


 ポット「先生、双方向鑑定ですね。興味深い反応速度です」


 颯真は眉をわずかに寄せ、茶器を指でなぞった。


 ――【鑑定結果】――


 名前:カイエル・フォン・ルーメル(伯爵)

 体力 8

 筋力 7

 俊敏 9

 魅力 32

 知力 45


 【スキル】

 ・鑑定魔法

 ・言語学

 ・記録術


 職業:外務卿


 ―――――――――――


 カイエルはしばし固まり、驚きと警戒を帯びた視線を颯真に向ける。


 颯真はわざと軽く笑みを浮かべ、茶を口に含んだ。

 「……どうやら、私の鑑定魔法も勝手にカウンターで発動したようです」


 緊張をほぐすように放たれた言葉に、蝋燭の炎がゆらめき、部屋の空気が少し和らいだ。


 沈黙。

 カイエルの表情はまだ固いままだった。


 颯真はその緊張をほぐすように、茶をもう一口すすった。


 だがカイエルはまだ驚きを隠し切れず、口を閉ざしたまま。

 その硬直を前に、颯真の笑みだけが静かに余韻を残していた。


 蝋燭の炎が揺れ、応接間には長い沈黙が流れていた。

 お茶の香りだけが柔らかく漂い、外の噴水の音がかすかに響いている。


 


 カイエルは茶器を持ったまま、視線を落とし、何度か唇を開きかけては閉じた。

 若い貴族の当主としての責務を負っていても、まだ経験の浅さがその仕草に滲んでいた。


 やがて、ようやく言葉がこぼれる。


 「……そんな数字が、本当に存在するのですか。本当なのですか」


 声は落ち着きを装っていたが、かすかに震えていた。

 誠実に向き合おうとするが、驚きを隠し切れない――そんな青年らしさが漂う。


 ポット「先生、彼の脈拍が少し早まっています。驚きが数値に出ています」


 颯真は一瞬だけ眉をひそめ、視線だけで「静かに」と伝えた。


 静かに茶を口にし、少し間を置いて答える。

 「得たものと同じだけ、失った代償もまた大きいのです」


 その一言で、再び沈黙が落ちた。

 燃える蝋燭の音が、妙に大きく聞こえる。


 カイエルは眉を寄せ、慎重に息を整えながらも、どこか戸惑いを残した声で問いかけた。

 「……ご要望は、ありますか」


 颯真は少し考え、穏やかな声で返す。

 「この世界のことを、私はほとんど知りません。だから……確かめたいことがあります」


 「何でしょう」

 カイエルが静かに促す。


 「冒険者ギルドや商業ギルドというものは……あるのですか?」


 その問いに、カイエルの眉がわずかに動いた。

 「……あるにはあります。なぜ、それを」


 ポット「先生、記録更新を提案します。ギルド制度の詳細は非常に価値があります」


 颯真は目だけで軽く制し、言葉は返さなかった。


 「私の世界で語られる物語には、よく登場する組織です。定番と言えばいいのでしょうか。

 ですが、現実にこの世界に存在するかどうかは、確かめてみたかったのです」

 「もうひとつ。身体強化魔法のようなものは存在しますか?」


 カイエルは一瞬だけ考え、やがて頷いた。

 「存在します。兵士や騎士は、ほとんどが訓練の一環として学びます」


 ポット「兵士の平均値を知りたいですね。もし許可があれば計測したいところです」


 颯真は小さく息を吐き、膝の上で指を組み直した。

 「そうですか」

 颯真はわずかに笑みを浮かべ、軽く皮肉を混ぜた。

 「では、あなたも必要なのではありませんか?」


 カイエルは面食らったように目を見開き、それから苦笑を漏らした。

 「……確かに。体力には恵まれておりませんので」


 互いに小さく笑い合った。

 それは親しい笑いではない。

 ただ、硬さを溶かし合うための、知的な冗談のやり取りだった。


 蝋燭の炎が揺れ、二人の影を壁に映す。


 まだ深い信頼には程遠い。

 だが、少なくとも「話ができる相手」として、互いに一歩だけ歩み寄った瞬間だった。

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