蟻塚とフラッペ
遠藤ヒロ
1
スピーカーから女性的な機械音声が響く。
『まもなく市街地です.自動運転への切り替えを推奨いたします』
「……まだ車通りがないから大丈夫だよ」
伶久の呟きが終わるか終わらないかというところで、スピーカーからの音声が続いた。
『対向車を検知しました.自動運転モードへ移行します』
無慈悲な言葉と共に、問答無用で車が伶久のコントロールを外れる。
「待って……待ってよ!……ああー!」
音声入力機能が搭載されていても、こんな情けない悲鳴に車が従うはずもない。自動運転モードに切り替わった車は、一定の速度を保ちながらハイウェイを降りる。
伶久は、両手で顔を覆って天井を見上げた。
伶久は自動運転が苦手だ。バスや飛行機で酔うことは少ないが、自動運転の乗用車に乗るとほんの十数秒で酔ってしまう。
「もうちょっといけると思ったのに……勘弁して……」
『曲がりなりにも警察車両なんだから、非常時以外は法律厳守に決まってるでしょうが』
伶久が一人でめそめそしていると、スピーカーから先ほどとは別の声が響いた。
『市街地の手動運転が原則禁止になったのは三十一年前でしょ。アナタが生まれるよりも前じゃないの。いい加減慣れなさいよ』
少ししゃがれた、芝居がかった喋り方の女性の声である。
伶久の補佐役にして相棒の『ウルさん』だ。『さん』までが名前である。
「君には僕の気持ちは分からないよ!」
修羅場を迎えたカップルのように伶久は喚いた。
『そりゃそうでしょう、アタシはAIだもの』
ウルさんは呆れた声で返す。
『どうしても手動で運転したいなら、強制的に変更することは可能よ?何があっても自己責任だけどね』
原則自動運転とされる区域においても、手動運転が完全に禁止されているわけではない。ただしその理由が、客観的に見て正当なものでない場合、事故の際にはあらゆる保険が適用されず、逮捕された場合は危険運転の罪が加算されることになる。
「……やめとく」
伶久がため息をついたそのとき、フロントガラスの向こう、カーブの先から灰色の巨塔が顔を出した。
いや、曲線のみで構成されたいびつなシルエットと、窓の一つもないあの建造物には、塔という単語は似つかわしくない。
「奇石……いや、蟻塚かな」
口を開けて景色を眺めていた伶久を、ウルさんは容赦なく叱咤する。
『ほら、さっさと準備なさい。関東地方の特例施設の中に特任捜査員が入るのは初めてのことなんだから、制服くらいちゃんとしなさいよ』
「はいはい」
下を見ると酔ってしまうので、目を閉じたまま助手席のトランクを開け、手触りだけでゴーグルを装着する。横のボタンに触れ、充電が充分であることを薄目で確認する。
顔の半分ほどを覆ってしまうこのゴーグルは、特任捜査員のトレードマークである。
なお、特任捜査員には妙に悪いイメージが付きまとっており、そのせいで近年ゴーグルの売り上げが低下しているとかいう話もある。それもまたウェブの海に生まれては消える噂話の一つに過ぎないのだろうが。
伶久ははたと思いついてカメラの方へ顔を向けた。
「
『なんにも面白くないからもう黙りなさい』
ウルさんにぴしゃりと言われて、伶久は渋々口を閉じた。
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